ナイター照明が消えない球場 第8話「第7章:中層の回収:観客の不在」
湊が消えた後、紬はしばらく動けなかった。
湊が消えた後、紬はしばらく動けなかった。
照明塔の光は弱々しくなり、夜明けの気配が忍び寄っている。
「……観客、か」
律がバットを杖のようにして立ち尽くしていた。
「湊は、一人で逝きたくなかったんだな。あいつも、怖かったんだ」
紬は兄の孤独を想った。十年前、誰にも見取られず、冷たい川の中で息を引き取った湊。彼は英雄として称えられたが、その最期の瞬間、彼が本当に望んでいたのは、満員のスタンドの歓声と、仲間たちの笑顔だったのではないか。
中層の謎が回収された。幽霊たちが求めているのは「再演」ではなく「完結」であり、そのためには証人が必要なのだ。
「律さん、記録会をやりましょう」
紬は真っ直ぐに律を見た。
「記録会? こんな幽霊が出る球場でか?」
「ええ。市役所には私が掛け合うわ。球場の最後のお別れイベントとして。街中の人を呼ぶの。あの日の試合を見ていた人、野球を諦めた人、この球場に思い出がある人、全員を」
「無茶だ。幽霊が出たらパニックになるぞ」
「いいえ、ならないわ。あの光は想いに反応する。みんなが湊たちのことを想って、彼らのプレイを心から見守れば、それは恐怖じゃなくて祝福に変わるはずよ」
紬の頭の中には、すでに計画が出来上がっていた。
単なる野球の試合ではない。誰もが主役になれる、記録にも記憶にも残る特別な夜。
彼女は翌朝から、狂ったように動き始めた。
市役所の広報課を説得し、SNSで告知を出し、かつての野球部員たちを一人一人訪ね歩いた。
「最後の試合をしましょう。勝敗のない、全員が次の試合に進むための記録会を」
最初は冷ややかだった周囲の反応も、紬の熱意に押されて少しずつ変わり始めた。
「……湊のためなら」
「あの試合の続き、俺も見たかったんだ」
そんな声が、街のあちこちから上がり始めた。
しかし、準備を進める中で、紬は新たな疑問にぶつかった。
管理員の源さんが言っていた言葉。
『あの子はね、自分のために野球をやってたんじゃない。誰かのために、最後の一球を投げようとしていたんだ』
湊が最後に投げようとしていた「誰か」。それは律のことだけなのだろうか?
紬は、十年前の豪雨の夜の記録を、もう一度詳しく調べ直すことにした。そこには、彼女さえ知らなかった、もう一つの「約束」が隠されている予感がした。