ナイター照明が消えない球場 第7話「第6章:中盤の転換:マウンドの兄」
深夜二時。閉鎖間近の雁首市民球場は、奇跡のような静寂の中にあった。
深夜二時。閉鎖間近の雁首市民球場は、奇跡のような静寂の中にあった。
紬と律は、無人のグラウンドに立っていた。照明塔の光は、今夜も暴力的なまでに白い。その光に照らされたグラウンドには、やはり「彼ら」がいた。
音のない試合。泥だらけの選手たち。
湊がマウンドでロジンバッグを叩き、白い粉が舞う。
「……本当に、湊なのか」
律が声を震わせる。彼はヘルメットも被らず、作業着のままバッターボックスへと歩を進めた。
その瞬間、グラウンドの空気が一変した。
これまで紬が見てきた「再演」は、決まった動きを繰り返すだけの映像のようなものだった。しかし、律がラインを越えた瞬間、守備についていた幽霊たちが一斉に彼を見たのだ。
ショートを守る少年が、グローブを叩いてリズムを取る。サードが前進守備の構えを見せる。そして、マウンドの湊が、ゆっくりと律に向き直った。
湊の目が、律を捉えた。
それは死者の虚ろな目ではない。十年前と同じ、負けん気の強い、いたずらっぽい光を宿したエースの目だ。
湊がニヤリと笑った。声は聞こえないが、確かにこう言ったのがわかった。
『遅いんだよ、律』
「待たせたな、湊」
律がバットを構える。紬はバックネットの裏で、スコアブックを抱きしめながらその光景を見守った。
湊がセットポジションに入る。大きく足を上げ、しなやかなフォームから右腕が振り下ろされる。
白い閃光。
湊が投げたのは、彼が最も得意としていた内角高めのストレートだった。
ブンッ!
律のバットが空を切る。凄まじい風切り音が球場に響き渡った。
空振り。
しかし、律の顔には笑みが浮かんでいた。
「重てえな……幽霊のくせに」
湊は満足げにボールを受け取ると、再びサインを覗き込む。
二球目、三球目。
律はファウルで粘る。一球ごとに、湊の姿は鮮明になり、律の動きはかつてのキレを取り戻していく。
紬は気づいた。湊の投球フォームが、当時よりも進化していることに。彼は死んでからもなお、このマウンドで進化し続けていたのだ。律との対決を夢見て、来る日も来る日も、見えないバッターに向かって投げ続けていたのだ。
しかし、四球目を投げようとした瞬間、湊の体が微かに透け始めた。
照明塔の光が揺らぎ、ノイズが混じる。
「湊!」
紬が叫ぶ。
まだだ。まだ試合は終わっていない。しかし、二人の力だけでは、この「場」を維持するエネルギーが足りないのだ。
湊は寂しげに首を振り、グラウンドの観客席を指差した。
そこには、誰もいない。
湊が求めていたのは、律との対決だけではなかった。彼は、自分たちの野球を愛してくれたすべての人々に、最後を見届けてほしかったのだ。