ナイター照明が消えない球場 第11話「第10章:さよならの記録会」
記録会の当日。雁首市の空は、皮肉なことに十年前と同じような重い雲に覆われていた。
記録会の当日。雁首市の空は、皮肉なことに十年前と同じような重い雲に覆われていた。
しかし、球場にはかつてない活気が満ちていた。
紬の呼びかけに応じた市民たちは二千人を超え、スタンドは人で埋め尽くされている。かつての野球部OBたちは、サイズが合わなくなったユニフォームを無理やり着込み、照れくさそうにグラウンドでキャッチボールをしていた。
「浅倉さん、準備は整いました」
市役所の同僚たちが、臨時の売店や受付を切り盛りしている。
グラウンドの中央には、律が完成させた木製のベンチが置かれていた。その横には、湊の遺影と、彼が愛用していたグローブが供えられている。
紬は本部テントのパイプ椅子に座り、震える手で進行表を確認していた。隣では、律が作ったあの長椅子が、雨に濡れながら静かに出番を待っている。
ルールは至って単純だ。
一人一打席。投手は、マウンドに置かれた最新式のピッチングマシンか、あるいは「何か」が投げる球を打つ。
勝敗はない。三振でも、内野ゴロでも、ホームランでも。全力でスイングし、一塁まで駆け抜けたら、それで「記録」として認定する。それは、十年前のあの日、誰もが手にすることができなかった「完結」という名の記録だった。
午後六時。空が暗転し、予報通りに雨が降り始めた。
観客席から、不安と期待が入り混じったようなどよめきが上がる。
「……始まったわ」
紬が呟くと同時に、北側の照明塔が、これまでにない強烈な、天をも焦がすような輝きを放った。
その光は単なる照明ではなかった。グラウンド全体を包み込み、降り注ぐ雨粒の一粒一粒をダイヤモンドの粉のように変えていく。光の粒子が渦を巻き、やがてそれは形を成していった。
そして、現れたのだ。
泥だらけの、エンジ色のストライプのユニフォーム。
十年前の雁首高校野球部のメンバーたち。
彼らは透き通るような姿でありながら、確かにそこに存在していた。彼らはホームベース付近に整列し、満員の観客席に向かって、帽子を取って深く、長く一礼した。
スタンドからは、悲鳴のような歓声と、それ以上の、堰を切ったような嗚咽が漏れた。
「湊!」「みんな!」「帰ってきたんだな!」「頑張れよ!」
十年間、街全体の喉元に詰まっていた声が、一気に爆発した。それはもはや野球の応援ではない。失われた時間を取り戻そうとする、街全体の祈りのようだった。
湊はマウンドへ歩み寄り、ロジンバッグを手に取ってポンポンと叩いた。白い粉が光の中で舞う。彼はスタンドを見渡し、一人一人の顔を確認するように頷いた。そこにはもう、寂しげな幽霊の姿はなかった。彼は、この街の希望として、再びマウンドという名の聖域に君臨していた。
「第一打者、センター、佐々木くん」
紬がマイクを通して、涙を堪えながら名前を呼ぶ。
かつてのチームメイトである佐々木が、震える足で、けれど確かな意志を持ってバッターボックスに入る。
湊が投げる。光を纏ったストレート。
カキン!
乾いた快音が、雨の球場に響き渡った。
それは、世界で一番幸せな、そして世界で一番贅沢な「さよなら」の始まりだった。一人一人が打席に立つたびに、街の記憶が浄化され、新しい歴史としてスコアブックに刻まれていく。紬は泣きながら、そのすべてをペンで追い続けた。一人も漏らさず、彼らが生きた証を、ここに残すために。