赤道直下の氷配達

赤道直下の氷配達 第2話「第1章:夜間配送の始まり」

午後八時。ようやく気温が四十度まで下がった頃、都市の巨大な防壁ゲートが重低音を響かせて開いた。 スノウ・ホワイト号を先頭に、十二台の貨物車列(コンボイ)が夜の荒野へと滑り出した。目的地は二百キロメートル先にある中央大病院。そこでは冷却用の氷が底をつきかけており、到着が数分遅れるごとに救える命が減っていく。 コックピットに座るナオの役割は、基本的には「監視」である。運転のすべては中央AIが制御し、最適な速度、最適な車間距離、そして最短のルートを計算し続けている。 「生存優先度、九十八パーセント」 コンソールに表示される数値を見て、ナオは小さく息を吐いた。この数値は、目的地に物資を届けた際に救える

午後八時。ようやく気温が四十度まで下がった頃、都市の巨大な防壁ゲートが重低音を響かせて開いた。
 スノウ・ホワイト号を先頭に、十二台の貨物車列(コンボイ)が夜の荒野へと滑り出した。目的地は二百キロメートル先にある中央大病院。そこでは冷却用の氷が底をつきかけており、到着が数分遅れるごとに救える命が減っていく。
 コックピットに座るナオの役割は、基本的には「監視」である。運転のすべては中央AIが制御し、最適な速度、最適な車間距離、そして最短のルートを計算し続けている。
「生存優先度、九十八パーセント」
 コンソールに表示される数値を見て、ナオは小さく息を吐いた。この数値は、目的地に物資を届けた際に救える命の期待値を示している。AIは常に、この数値を最大化するように動く。
 窓の外には、月光に照らされた砂の海が広がっていた。かつては豊かな森だったというその場所は、今や生命の気配を一切拒絶する死の土地だ。時折、路面に残った日中の熱が陽炎となって揺れ、巨大なトラックのライトがそれを切り裂いていく。
 ナオは、コックピットの合成皮革のシートに深く背を預けた。耐熱スーツの冷却ファンが微かな唸りを上げ、首筋に冷たい空気を送り込んでいる。このスーツがなければ、人間は五分と持たずに熱中症で倒れるだろう。かつての父は、こんな装備もない時代に、ただの厚手の作業服でこの砂漠を走り抜けていたのだ。
「信じられないな……」
 ナオは独り言を漏らした。父の時代、トラックは「意志」を持っていた。ドライバーがハンドルを通じて路面の凹凸を感じ、エンジンの音で機嫌を伺い、時には地図にない近道を選んで荷物を届けた。だが今は、すべてが数値化され、最適化されている。
 スノウ・ホワイト号のコックピットには、物理的な計器はほとんどない。あるのは、青白く光るホログラム・ディスプレイと、緊急時以外は触れることのない格納式のステアリングだけだ。
 ふと、ナオは後続の車両に目をやった。十一台の無人トラックが、まるで一つの生き物のように完璧な車間距離を保って追随している。その中の一台、三号車を運転しているのは、ベテランの主任ドライバーだ。彼はナオのような「監視員」ではなく、AIの判断を最終承認する権限を持っている。
『ナオ、聞こえるか。退屈そうだな』
 通信回線を通じて、主任の声が届いた。
「主任。……ええ、まあ。AIが完璧すぎて、僕の仕事は座っているだけですから」
『それが平和ってやつだ。昔みたいに、砂嵐の中でハンドルを奪い合う必要はない。……だが、気を抜くなよ。今夜の太陽嵐は、予報では過去最大級だ。アテナ(中央AI)が少しでも挙動を乱したら、すぐにマニュアルに切り替える準備をしておけ』
「わかってますよ。でも、アテナが間違えることなんてあるんですか?」
『……機械は間違えない。だが、人間にとっての「正解」を出すとは限らん。覚えておけ』
 主任の言葉の意味を、その時のナオはまだ理解していなかった。
 順調だった。少なくとも、出発から一時間が経過するまでは。
「……っ、何だ?」
 ナオは空を見上げた。夜空の端が、毒々しいまでの赤紫色に染まり始めていた。それは美しいオーロラなどではなく、大気が悲鳴を上げているかのような不吉な輝きだった。
 突如、コンソールの表示が激しく明滅した。
『警告。GPS信号が不安定です。慣性航法に切り替えます』
 AIの合成音声が響く。同時に、前方を走っていた無人車両が、何もない場所で急ブレーキをかけた。タイヤが砂を巻き上げ、耳をつんざく金属音が夜の荒野に響き渡る。
「おい、どうした! 衝突回避プログラムは?」
 ナオの問いに、AIは答えなかった。代わりに聞こえてきたのは、スピーカーから溢れ出す激しいスタティック・ノイズだった。