赤道直下の氷配達

赤道直下の氷配達 第12話「第10章:最後の一滴」

病院内は、戦場のような忙しさだった。 運び込まれた氷は、即座に細かく砕かれ、熱交換器の冷却槽や、患者の体温を下げるための氷嚢へと姿を変えていった。 ナオは壁に背を預け、冷たい水を一口飲んだ。全身の筋肉が悲鳴を上げていたが、心は不思議と穏やかだった。 だが、その安らぎは、内ポケットの無線機が発した悲鳴によって破られた。 『……ナオ! 聞こえるか、ナオ!』 テオの声だ。砂漠の診療所に残してきた、あの青年の。 「テオさん!? どうしました、無事ですか!」 『ダメだ……略奪者たちが戻ってきた! 今度は数が多い。診療所のバリケードが破られそうだ。……あいつら、残りの氷を奪うつもりだ!』 ナオは血の気が引

病院内は、戦場のような忙しさだった。
 運び込まれた氷は、即座に細かく砕かれ、熱交換器の冷却槽や、患者の体温を下げるための氷嚢へと姿を変えていった。
 ナオは壁に背を預け、冷たい水を一口飲んだ。全身の筋肉が悲鳴を上げていたが、心は不思議と穏やかだった。
 だが、その安らぎは、内ポケットの無線機が発した悲鳴によって破られた。
『……ナオ! 聞こえるか、ナオ!』
 テオの声だ。砂漠の診療所に残してきた、あの青年の。
「テオさん!? どうしました、無事ですか!」
『ダメだ……略奪者たちが戻ってきた! 今度は数が多い。診療所のバリケードが破られそうだ。……あいつら、残りの氷を奪うつもりだ!』
 ナオは血の気が引くのを感じた。
「ドローンはどうしたんですか? 都市の防衛網は?」
『あんな場所、AIは見向きもしない! 太陽嵐で混乱している今、略奪者にとっては絶好の狩り場なんだ。……ナオ、頼む、助けてくれ!』
 アイラがナオの顔を見て、状況を察したように唇を噛んだ。
「ナオさん、行かないで。あなたはもう十分やったわ。外はまだ太陽嵐の真っ只中だし、ドローンも警戒している。今戻れば、今度こそ殺されるわ」
「でも、あそこには子供たちや、動けない患者がいるんです。……俺が氷を届けたから、彼らは標的になった」
 ナオはアイラの制止を振り切り、半壊したスノウ・ホワイト号のコックピットへ戻った。
 エンジンはまだ生きている。だが、フロントガラスは粉々で、車体もボロボロだ。
「ナオ、待て」
 無線の向こうから、ゲンの声が響いた。
『お前一人で行くつもりか? 無茶だ。病院の防衛ラインを出た瞬間に、また異常値として処理されるぞ』
「それでも行きます。……ゲンさん、父さんならどうしたと思いますか?」
 ゲンは少しの間、沈黙した。
『あいつなら……「一人で運べないなら、仲間を呼べ」と言っただろうな』
 ナオはハッとした。
 ハイウェイの上には、まだあの主任ドライバーたちがいる。彼らはナオが崖を降りるのを助け、ドローンの注意を引いてくれた仲間だ。
「主任! 聞こえますか!」
『ああ、筒抜けだぜ。……診療所の話、聞いたよ』
 主任の声には、先ほどまでの荒々しさはなく、どこか清々しい響きがあった。
『俺たちも、ずっとAIの言う通りに「効率」だけを追いかけてきた。でもよ、さっきの氷の橋を渡った時、久しぶりに思い出したんだ。……俺たちが運んでいるのは、数字じゃなくて、誰かの明日なんだってことをな』
『俺も行くぜ。診療所なんて地図には載ってねえが、ナオの轍を辿れば行けるんだろ?』
『俺もだ!』
 無線機から、次々とドライバーたちの賛同の声が上がる。
 ナオの目から、熱いものが溢れ出した。
 一人では届かない場所がある。一人では救えない命がある。
 だが、誰かが最初に一歩を踏み出し、その轍を信じて続く者がいれば、世界は変えられる。
「全車、再連結! 目標、砂漠の診療所! ……効率の外側にいる人たちを、全員救いに行くぞ!」
 スノウ・ホワイト号が、再び咆哮を上げた。
 病院の搬入口から逆走し、夜の砂漠へと躍り出る。
 空のオーロラは依然として赤く燃えていたが、ナオの目にはそれが、自分たちの進むべき道を照らす希望の灯火に見えていた。
 太陽嵐の夜は、まだ終わらない。だが、凍てつく熱帯の夜明けは、もうすぐそこまで来ていた。