誰もいない選挙の投票箱

誰もいない選挙の投票箱 第7話「第6章:デジタル・クレンジング」

役場の庁舎は、体育館のすぐ隣にある。近代的なガラス張りの建物だが、今はフロンティア・テックの社員たちが慌ただしく出入りし、異様な緊張感に包まれていた。まるで、町全体を再起動しようとしている巨大なコンピューターの内部のようだった。 遥は裏口の通用門に身を潜めた。父の正和がいつも持ち歩いているカードキーは、先ほど彼が上着を脱いで椅子にかけた際、密かに抜き取っておいた。指先が震え、罪悪感が胸を刺すが、それ以上に「知らなければならない」という思いが勝っていた。 ピッ、という電子音と共に扉が開く。遥は暗い廊下を忍び足で進んだ。目指すは二階の総務課、その奥にある重要書類保管庫だ。 廊下の突き当たりにあるサ

役場の庁舎は、体育館のすぐ隣にある。近代的なガラス張りの建物だが、今はフロンティア・テックの社員たちが慌ただしく出入りし、異様な緊張感に包まれていた。まるで、町全体を再起動しようとしている巨大なコンピューターの内部のようだった。
 遥は裏口の通用門に身を潜めた。父の正和がいつも持ち歩いているカードキーは、先ほど彼が上着を脱いで椅子にかけた際、密かに抜き取っておいた。指先が震え、罪悪感が胸を刺すが、それ以上に「知らなければならない」という思いが勝っていた。
 ピッ、という電子音と共に扉が開く。遥は暗い廊下を忍び足で進んだ。目指すは二階の総務課、その奥にある重要書類保管庫だ。
 廊下の突き当たりにあるサーバー室から、低い機械音が漏れていた。扉が少しだけ開いている。遥は息を殺して中を覗いた。
「……予定通り、反対派の二千件は完全にパージしました。エラーコード404として処理済みです」
 フロンティア・テックのリーダー格の男が、電話で話している。相手は町長の権藤に違いない。
「ええ、システムエラーとして処理しています。再選挙の必要はありません。明日の朝には、我々が用意した『新住民』――リゾート開発に賛成する架空の法人や移住予定者のデータが有効化されます。これで土地の売却決議は無投票同然で通りますよ。民主主義なんて、データの書き換え一つでどうにでもなる」
 遥は拳を握りしめ、爪が掌に食い込むのを感じた。やはり、すべては仕組まれていたのだ。彼らは「人口減少」という大義名分の裏で、現実に生きている人々をデータ上で殺し、自分たちの都合のいい「幽霊住民」にすり替えようとしている。
 遥はサーバー室を離れ、保管庫へと急いだ。父のカードキーで金庫を開ける。そこには、古い革製のケースに収められた、厚手の紙の束があった。
 パンチカードだ。
 表面には複雑な穴が開けられ、隅には「奥深炭鉱労働組合」の刻印がある。これこそが、レンの言っていた「消せない記録」の鍵だ。カードの一枚一枚に、かつての労働者たちの指紋や、煤の跡がついているような気がした。
 その時、背後で足音がした。
「……遥か」
 振り返ると、そこには父の正和が立っていた。彼は怒っているようには見えなかった。ただ、ひどく疲れ果てた顔で、自分の娘が犯している大罪を見つめていた。
「お父さん……これ、返さないよ。たとえ泥棒だって言われても」
「分かっている。お前がそこへ行くことは、薄々気づいていた。……お前は、私に似ず、強いな」
 正和はゆっくりと近づき、遥の肩に手を置いた。その手は、小刻みに震えていた。
「私は、この町を守りたかった。だが、力がないばかりに、彼らの言いなりになるしかなかった。システムを操作されるのを見て見ぬふりをした。……遥、そのカードを持って行け。体育館の佐伯さんに渡すんだ。それが、この町に残された唯一の『呼吸』だ」
「お父さんは?」
「私はここで、システムのログを消去されないよう食い止める。外部のネットワークにこの不正を流すためのゲートを開ける。……行け! 見つかる前に! お前の投じる一票は、まだ終わっていない!」
 父の背中を押され、遥は廊下を駆け抜けた。背後で父がサーバー室の扉を力強く閉め、ロックをかける音が聞こえた。