記憶を売らない写真館

記憶を売らない写真館 第5話「第4章:雨の日の欠落」

玲奈が置いていった写真には、十五年前の花びら商店街の面々が、かつての広場に集まって写っていた。まだ再開発の波が押し寄せる前、街全体が最後の輝きを放っていた時期の記録だ。 伊織の視線は、写真の端の方、人混みから少し離れた場所で、青い傘を差して俯いている女性に釘付けになった。 心臓が、喉元までせり上がってくるような激しい鼓動を刻む。母、葵だ。 彼女が街から姿を消す、わずか数日前の姿に違いない。伊織は震える指を、写真の中の母の、今にも消えてしまいそうな細い肩に重ねた。 ――……。 何も聞こえない。 いや、正確には「音がない」のではない。激しい、あまりにも激しい雨の音だけが、暴力的なまでの質量を持って

玲奈が置いていった写真には、十五年前の花びら商店街の面々が、かつての広場に集まって写っていた。まだ再開発の波が押し寄せる前、街全体が最後の輝きを放っていた時期の記録だ。
 伊織の視線は、写真の端の方、人混みから少し離れた場所で、青い傘を差して俯いている女性に釘付けになった。
 心臓が、喉元までせり上がってくるような激しい鼓動を刻む。母、葵だ。
 彼女が街から姿を消す、わずか数日前の姿に違いない。伊織は震える指を、写真の中の母の、今にも消えてしまいそうな細い肩に重ねた。
 ――……。
 何も聞こえない。
 いや、正確には「音がない」のではない。激しい、あまりにも激しい雨の音だけが、暴力的なまでの質量を持って伊織の耳を塞いでいるのだ。ザァザァという無慈悲な雨音。叩きつけるような水の衝撃音。その中にいるはずの人々の声も、街の喧騒も、シャッターを切る音さえも、すべてがその冷たい雨にかき消されていた。
 伊織は奥の居住スペースへ駆け込み、長年封印していた古い木箱を取り出した。中には、母が残した唯一の遺品――伊織の七歳の誕生日に、母が自分と伊織を撮ったセルフタイマーの写真が入っている。
 それに触れても、やはり聞こえるのはあの雨音だけだった。
 なぜだ。伊織の記憶の中のあの日は、雲一つない晴天だったはずだ。母は手作りのケーキを用意してくれて、「お誕生日おめでとう、伊織」と、優しく微笑んでくれたはずだ。その時の手の温もりも、部屋の中に漂っていた甘いバニラの香りも、伊織は鮮明に覚えている。
 それなのに、写真から聞こえてくるのは、すべてを洗い流そうとするような、絶望的な雨音だけだ。
 伊織は激しい眩暈に襲われ、壁に手をついた。自分の能力が狂ったのか。それとも、自分の記憶そのものが、誰かによって都合よく書き換えられた偽物なのか。
 あの雨音の向こう側に、母が隠し、そして守ろうとした真実がある。伊織は、メモリーリンク社が強引に進めている再開発の裏に、母の失踪と直結する「何か」が隠されていると確信した。彼は、玲奈が言っていた「弊社のアーカイブ」――つまり、彼らの巨大なデータサーバーにアクセスしなければならない。そこには、母が「売った」のか、あるいは「奪われた」のか、彼女の記憶の残骸が眠っているはずだからだ。