記憶を売らない写真館

記憶を売らない写真館 第4話「第3章:効率という名の刃」

「まだそんなカビの生えたような古い紙の束を調べているんですか? 時間の無駄ですよ」 翌日の昼下がり、玲奈が再び写真館のドアを開けた。彼女は伊織の冷淡な態度など最初から存在しなかったかのように、軽やかな足取りで店内に入り、並べられた古いカメラのコレクションを興味深げに眺めた。 「伊織さん、あなたの能力については、弊社も調査済みです。写真に触れると、その場の情景を『再構成』できるのでしょう? 弊社の技術開発部門は、あなたのその『特異な共感覚』に非常に高い関心を持っています」 「……何の話だ。俺はただのカメラ屋だ」 「隠さなくてもいいですよ。でも、個人の感覚なんてものは主観的で不安定なものです。体調

「まだそんなカビの生えたような古い紙の束を調べているんですか? 時間の無駄ですよ」
 翌日の昼下がり、玲奈が再び写真館のドアを開けた。彼女は伊織の冷淡な態度など最初から存在しなかったかのように、軽やかな足取りで店内に入り、並べられた古いカメラのコレクションを興味深げに眺めた。
「伊織さん、あなたの能力については、弊社も調査済みです。写真に触れると、その場の情景を『再構成』できるのでしょう? 弊社の技術開発部門は、あなたのその『特異な共感覚』に非常に高い関心を持っています」
「……何の話だ。俺はただのカメラ屋だ」
「隠さなくてもいいですよ。でも、個人の感覚なんてものは主観的で不安定なものです。体調や気分によって、聞こえる音も変わってしまうでしょう? でも弊社のナノ・スキャンなら、記憶を客観的なデジタルデータとして、永遠に劣化することなく保存できる。ほら、これを見てください」
 彼女はタブレットを操作し、一つの映像ファイルを再生した。それは、昨日辰巳爺が相談に来たのと同じ、夏祭りの記憶を「抽出」したものだという。
 画面の中では、若き日の辰巳と志津子が、信じられないほど鮮明な色彩で笑い合っていた。花火の光が二人の顔を照らし、志津子の浴衣の柄までが細密に描写されている。それは現実よりも美しい、完璧な映像だった。
「綺麗だろう? でも、何かが決定的に足りない」
 伊織は画面から目を逸らし、冷めた声で言った。
「何がですか? 解像度も色彩も、これ以上のものは現時点では存在しません」
「音だよ。この映像には、生活の匂いや、その場の空気の震えが一切入っていない。ただの綺麗な書き割りだ。あんたたちの技術は、記憶から『ノイズ』を取り除いているつもりだろうが、そのノイズこそが、人が生きている証なんだ」
 玲奈は一瞬、完璧な仮面を剥がされたかのように言葉に詰まった。しかし、すぐにプロフェッショナルな表情を取り戻す。
「音なんて、AIによる環境音合成でいくらでもリアリティを持たせられます。重要なのは視覚的な情報と、そこに伴う神経学的な感情の指数です。私たちは、人間が『幸せだった』と感じる瞬間の最大公約数を提供しているんです」
「あんたたちは、思い出をただの数字と記号に変えているだけだ。そんなもので腹が膨れるなら、人間はもっと楽に生きているよ」
 伊織は玲奈の瞳を真っ直ぐに見つめた。彼女の瞳の奥には、冷徹な論理とは裏腹に、底知れない深い空虚が広がっているように見えた。
「記憶を消して、代わりに金をもらう。それで手に入れた新しい生活に、一体何の意味がある? 自分を形作ってきた過去を捨てて、どうやって明日を信じるんだ」
「……意味があるかどうかは、クライアントが決めることです。私はただ、彼らが抱える『過去という名の呪い』を解くための選択肢を提供しているだけですから」
 玲奈の言葉は完璧に論理的だったが、その声はどこか遠い場所から響いているように聞こえた。彼女は去り際、カウンターの上に一枚の写真を置いていった。
「これは、十五年前にこの商店街で撮られた集合写真の、弊社による修復版です。弊社のアーカイブに眠っていたのですが、あなたならこれの『価値』が分かるかと思って」