消える方言のラジオ局

消える方言のラジオ局 第6話「第五章:語り部の秘密」

翌朝、真帆と蒼は、蒼の祖父である桐生源三(げんぞう)の元を訪ねた。源三は町で最も古い家系の一つで、かつては祭りの際に「町の成り立ち」を語る役割を担っていたという。彼は、町から消えつつある「物語」の最後の保持者だった。 源三の家は、港の端にある古い石造りの屋敷だった。霧の中に沈むその姿は、まるで深海に眠る沈没船のようだった。潮風に洗われた石壁には、奇妙な文様が刻まれている。 「……ほう、航平の娘か。よく似ておる。あの男も、お前と同じように真っ直ぐすぎる瞳をしていた」 源三は、濁った瞳で真帆を射抜くように見つめた。彼の周りには、今では誰も使わなくなった古い木製の網針や、塩害でボロボロになった古文書

翌朝、真帆と蒼は、蒼の祖父である桐生源三(げんぞう)の元を訪ねた。源三は町で最も古い家系の一つで、かつては祭りの際に「町の成り立ち」を語る役割を担っていたという。彼は、町から消えつつある「物語」の最後の保持者だった。
 源三の家は、港の端にある古い石造りの屋敷だった。霧の中に沈むその姿は、まるで深海に眠る沈没船のようだった。潮風に洗われた石壁には、奇妙な文様が刻まれている。
「……ほう、航平の娘か。よく似ておる。あの男も、お前と同じように真っ直ぐすぎる瞳をしていた」
 源三は、濁った瞳で真帆を射抜くように見つめた。彼の周りには、今では誰も使わなくなった古い木製の網針や、塩害でボロボロになった古文書、さらには出所不明の奇妙な石版などが、足の踏み場もないほど山積みになっていた。それらはすべて、この町が「外の世界」とは異なる歴史を歩んできた証左だった。
「おじいさん、教えてください。この町と、言葉の関係について。どうして言葉が消えると、建物や地名まで消えてしまうんですか? まるで世界そのものが書き換えられているみたいで……」
 源三は、ゆっくりと煙管をくゆらせ、紫煙を吐き出した。その煙さえも、外の霧と混ざり合い、奇妙な幾何学模様を描いている。
「真帆よ、お前は『認識』というものが世界を作っていると考えたことはあるか? 人間は言葉によって世界を分節し、意味を与える。名前のないものは、この世に存在しないのと同じだ」
 源三の声は、地底から響くような重厚さを持っていた。
「この霧ノ浦という町はな、もともと地図にはない町だったのだよ。江戸の昔、あるいはもっと前か……。外の世界で迫害され、言葉を奪われた人々が、自分たちだけの『話し言葉』を作ることで、霧の中に隠れ里を築いたのが始まりだ。彼らは、独自の文法と単語によって、外の役人や軍隊には決して見つけられない『認識の壁』を築いたのだよ。この町は、言葉そのものがレンガであり、石垣なのだ」
 真帆と蒼は顔を見合わせた。その伝説は、子供の頃に澄江からお伽噺として聞かされたことがあったが、それが物理的な真実だとは夢にも思わなかった。
「つまり、この町は『言葉』によって物理的に構築されているということですか?」
 蒼の問いに、源三は深く頷いた。
「左様。言葉が共通の認識を作り、認識が現実を固定する。我々が『あなじ』と呼ぶから風が吹き、『いさば』と呼ぶから魚が集まる。だが、時代が変わり、外の言葉が入り込み、古い言葉が使われなくなれば、町の『根っこ』が腐っていくのは道理よ。航平はそれに気づいておった。彼は、言葉を保存することで町を固定しようとしたのだ。だが、保存された言葉は死んだ言葉だ。死んだ言葉を霧に食わせれば、霧は腐敗し、記憶を飲み込む怪物となる」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
 真帆の問いに、源三は彼女の手を握った。その手は枯れ木のようだったが、不思議な熱を持っていた。
「新しい言葉で話し直すのだ。古い意味を守るのではない。今のお前たちが、今の心で、その言葉に新しい命を与えるのだ。それができるのは、霧ノ浦の血を引き、かつ外の世界を知るお前だけだ、真帆」
 源三はそこまで言うと、激しく咳き込んだ。彼の体もまた、微かに霧のように透け始めていた。町の記憶が消えることは、そこに生きる人々の実在性をも奪っていくのだ。