摩天楼の空中競技者

摩天楼の空中競技者 第9話「第8章」

夜風が塔の鉄肌をなぞる音は、遠くの市場灯が揺らめくたびに細い拍を刻んだ。マコトはヘルメットの頬に冷たい金具の感触を頼りに、点検口の縁に爪先を引っ掛けていた。全身を覆う革のスーツは古いロウの匂いと油の匂いを帯び、ネオンの反射が布目に斑点のように瞬く。足下のローラーベルトが微かに唸り、空中路の風切り音が彼の耳を満たす。耳鳴りが、その縁に小さな沙羅双樹の花弁のように引っかかった。

夜風が塔の鉄肌をなぞる音は、遠くの市場灯が揺らめくたびに細い拍を刻んだ。マコトはヘルメットの頬に冷たい金具の感触を頼りに、点検口の縁に爪先を引っ掛けていた。全身を覆う革のスーツは古いロウの匂いと油の匂いを帯び、ネオンの反射が布目に斑点のように瞬く。足下のローラーベルトが微かに唸り、空中路の風切り音が彼の耳を満たす。耳鳴りが、その縁に小さな沙羅双樹の花弁のように引っかかった。

「入るわよ」リコの声がヘッドセット越しに低く響く。端末のスクリーンが薄いセピア色の波形を震わせ、そこに幾筋もの細い線が絡んでいた。リコの指先が飛沫のようにタップして、波形の一部分が拡大される。刻印の写真がフラッシュで現れ、その輪郭がリコの工具箱の破片の刻印と正確に一致するのを、マコトはぼんやりと視認した。旧式のネジ穴の並び、その上に刻まれた小さな三角形──それが彼らの手掛かりの一つだった。

「同期取る。こっちで受信ログを回すから、君は線を追って。速度域を保って、低速は絶対ダメ。視認は動いているときだけ有効だ。止まるな」センの声が冷たく、しかし確固たる指令を与えた。マコトは頷き、ローラーに荷重を移す。空気が彼の皮膚を擦る。視界の端で、風の線がまた太くなり、ねじれが明瞭になる。塔の内部から送られる残留波は、外部に漏れる振幅の微かなうねりとして、彼の視覚に浮かんでいた。風軌視──その線は単なる図形ではなく、時間の帯を刻むリボンのように動いた。

点検口に滑り込むと、鉄の体温が肌に冷たく伝わる。内部は古い計器と配管の迷宮で、セピアに照らされた計器の針がゆっくりと往復していた。マコトは息を吐き、視界を開く。目に映るのは、配管を伝う残留波の流れだった。線は配管に沿って渦を巻き、ところどころで規則正しく脈打つ小さな節が光る。リコの端末に送られるデータは、波形を符号化したかのように一定の高調波を含んでいた。

「見えるか?」リコの問いに、マコトは短く返す。「見える。芯が二つ、同相で交差してる。発振器が複数。刻みが規則的だ」

「その刻みの周波数、録った」リコの声が興奮を抑えきれない色を帯びる。端末のログが増幅され、画面の数値列が滑るように並ぶ。その数値の一つに、マコトはひどく馴染みのある数字を見た。それは――耳鳴りの断片で彼の中に残る、あの不快な高調波のスペクトルに一致したのだ。過去の試合で、事故の夜に彼が耳の奥で聞いた断続的な音。いつも彼を捕らえて離さないその音が、ここで装置の発振と同じ輪郭を描いている。

胸の中で何かが固まる感触があった。耳鳴りは彼にとって単なる副作用ではなかった。リコが解析するログと、自分の体内で起きた現象が重なり合っている。彼は思わず手を伸ばし、配管の節目に付いた小さなプレートの刻印を指先でなぞる。そこには、工具箱の破片と同じ三角形が並んでいた。旧式計器の刻印。廃棄予定とされていた塔群が、実験装置として再稼働している証拠だった。

「刻印が一致する。ここは局の前身が扱っていた機材のコアだ」リコの声が震える。「このノイズ成分、あなたが言う耳鳴りのスペクトルと一致する。秘密チャネルが詰め込まれているかもしれない」

「詰め込まれてる」センの無線が重く入った。「通信の遮断を試みた痕跡もある。だが完全には消せない。ログを抜けば、彼らの暗号通信と同期する隠し帯域が浮かび上がるはずだ」

マコトは深く息を吸い、頭に微かな違和感を覚えた。耳鳴りが先に来る、という恐怖。能力を多用すると襲う風酔いの前兆が、いつもより早く立ち上がる。代償は明確だ。見えるということは、それだけで体を削る取引でもある。だが彼は知っていた。ここで得るものが大きければ大きいほど、代価も影を濃くして襲ってくる。

「記録!」リコの指が一瞬震えた。端末が大きくデータを捕らえ、音圧と位相を分離してログを書き出す。マコトは眼前の線をたどり、配管の曲がり角に視線を固定した。その曲がり角が、外部の送受信アンテナへと通じる内部路の分岐点であることを彼は感じ取った。線はそこから外に向けて伸び、外の塔群へと連なっている。渦は塔群の配置に沿って盤面のように配され、地図上の一点を示していた。それは──前に見つけた渦のねじれの分布図とピタリと重なっていた。

だが静寂は突然切り裂かれた。外から足音が近づき、金属のスリッパが鉄の階段に触れる音が聞こえる。誰かが巡回に戻ってきたのだ。アマネの声が冷静に入る。「外に一組。警備か、局の巡回部隊のどちらか。進退を決めて」

センが一拍置いて命じる。「今持てる最大のデータは取った。だが通信帯の完全解読には時間がいる。脱出だ。外からの退路はニコラ、君が押さえてくれ」

ニコラの無線が低く笑った。「任せとけ。もし追われたら、速さで混乱を作る」

マコトは頷き、体を翻した。彼はローラーのベルトに圧力をかけ、塔の内部通路を滑り出す。風軌視は彼の目に結び付けられたまま、残留波の一本一本を線として追わせる。線は出口へと向かう最短の流路を示し、同時に外部に張り巡らされた聴取ポイントも示す。彼はその線に沿って動き、配管の影に沿って交差する性急な角度を抜けた。追手の足音が近づく。鉄の鳴き声が重なり、階段の手摺が遠くで光る。

外へ出ると、夜の空は冷たく澄んでいた。浮遊マーケットの影が壁面に落ち、ネオンが水面のように揺れている。ニコラが既に場を固め、二人の黒い影が塔の縁を見張っていた。だが追手は数が多い。装甲ベストとヘルメットに身を包んだ影が、梯子を下りて二手に分かれるのが見えた。

「分散して来る」リコの声。「こっちのログを差し替えて注意を引く。マコトは線を見ろ。非線形のジャンプポイントで急旋回を」

彼女の命令に従い、マコトは風の線を頼りに跳躍した。視界に浮かぶ線は彼の行き先を示し、不規則に置かれた鉄骨を結ぶ安全帯を教える。追手の銃口が一瞬光るが、彼らは風の流れを読めないため、進路を合わせられない。マコトはその微かなずれを利用して、空中の斜めのスペースを抜ける。ニコラが後方でエンジンを煽り、追手の一団の前を横切って速度の波を作った。追手の隊形が乱れる。彼らはローラーでの追走に慣れていないのか、速度域の見誤りで坑間を抜けられず、追い越しの判断を誤る。

だが脂汗が背を伝う。視界に入る線は次第に鋭く、過度に多層化していく。マコトの胸の奥で耳鳴りが波打ち、最初の不快感が膨らんでいった。視像が瞬間的に歪み、線の輪郭が滲む。リコの声が耳に届く。「まだだ、戻らないで。ログは送った。もう少しで中継局に到る」

マコトは速度を落とすことができない。動いているときにしか風軌視は機能しないという条件が、彼を縛る。だが動き続けることで代償の加速も早まる。彼は周囲の風の線を一つのリズムとして聞き取り、足先でその拍子を刻むようにして宙を蹴った──そして、代償が一気に襲った。耳の奥で金属の擦れるような高音が突き抜け、視界が一瞬白い霧に飲まれる。風酔いだ。全身の感覚が薄れ、記憶の断片が白く剥がれ落ちていく感触がした。

「マコト!」リコが叫ぶ。ニコラが横で速度を緩め、体を預けるように手を伸ばした。だが彼は制御を失いかける。ローラーの感覚が遠のき、足先の反応が遅れる。視界の線が途