銀河ラジオの少年

銀河ラジオの少年 第4話「第3章」

午前二時の鐘が、古い街角の電灯をゆっくりと瞬かせる。夜鳴局の窓から見える空は、辺境らしい薄い藍色に染まり、星たちがまばらに並んでいた。室内は真空管の微かな温度と、古い木の机が放つ乾いた匂いに満ちる。透はブースの前で、手にした葉書をじっと見つめた。封筒を開けたときの紙の擦れる音が、局内の静けさを切り裂いた。

午前二時の鐘が、古い街角の電灯をゆっくりと瞬かせる。夜鳴局の窓から見える空は、辺境らしい薄い藍色に染まり、星たちがまばらに並んでいた。室内は真空管の微かな温度と、古い木の机が放つ乾いた匂いに満ちる。透はブースの前で、手にした葉書をじっと見つめた。封筒を開けたときの紙の擦れる音が、局内の静けさを切り裂いた。

「家族の葉書だな……最後の一枚、だろうか」舞が低く告げる。彼女はブース隣の配線机に腰をかけ、真空管の背部をちらりと覗き込んだ。結は結晶ケースの前で指先を動かし、律子は遠隔のログに目を落としている。ロウはいつものように外套を羽織っていたが、その手には夜市で拾った写真が握られていた。写真の角には、前夜透が見たのと同じ淡い青い染みが滲んでいる。

葉書の表には、震える筆跡で短い一文が書かれていた。隅に押された切手は年代を感じさせる紙質で、宛名はすでに何度も書き直されたように見える。葉書の裏に記された言葉は、簡潔で、しかし重みがあった。

「キーナの灯を忘れないでください。子どもたちの名を──タマとセイのことを忘れないで」──短い文章の脇に、何かの印、数文字の走り書きがある。それは、夜鳴局のリスナーが刻んだというあの壁の文字句と似通っていた。透はその文字に目を留めると、胸の奥がひりりと痛んだ。

時計が二時を打つ。「銀河の夜鳴り」──透はマイクの前に座り、葉書を持ち替える。放送は生、条件は変わらない。放送時に読み上げること、葉書に書かれた事実が確かな思い出であること。それが「夜電波の縫」を起動させる鍵だ。透はゆっくりと息を吐き、針の震えを耳で確かめた。マイク越しに伝わる自分の呼吸は、いつものように生々しかった。

「今夜は、リスナーの方からこんな葉書が届いています。キーナ──小さな灯の名を、呼んでほしいと。タマさん、セイさんへ、ということです」声は平静を装っていたが、その下で響く鼓動を仲間たちは皆感じ取っていた。律子は画面を凝視し、低周波の波形を拡大する。ロウは下唇を噛んだ。

透が紙に指を沿わせ、文字をなぞるように読み上げた。ひとつ、またひとつ。言葉がマイクを通して局の電波へ溶け込んでいく。放送の帯域が狭い分、言葉のエッジが研ぎ澄まされるように届く。外灯のランプがその振幅に合わせて小さく瞬いた。

読み終わった瞬間、室内の空気が引き伸ばされたように変わった。音が薄れて、代わりに湿った木の床の匂いが立ち上る。誰かが屋根の軒先でパンを焼いているのか、朝の店先のような温かい匂い──。その匂いは、透の鼻腔に鮮烈に入り込んだ。続いて、子どもたちの走る足音、綿飴を引っ張る粘着の感触、薄黄色の薄灯りにきしむ浴衣の音。幻視は鮮やかで、部屋の隅々を埋め尽くした。

「見える……」結が息を呑んだ。「小さな坂、草の匂い、あの家の扉。母親の手が、そう――」

それは個人の記憶ではない。放送を介して、誰かの「確かな過去の情景」が一時的に現前したのだ。律子は画面を突くように見下ろし、入力された波形と幻視の時間軸が重なるのを確かめた。ミミがブースの下で小さくチャーム音を鳴らし、外した葉書の端を丸めて小さな引出しへと運ぶ。猫型の小さなロボは、感情トーンを模したブザーを鳴らしながら、受け取った情報の断片を保存する。どの装置もこの場の証言者となるために働いていた。

幻視は鮮烈すぎて、透の胸は引き裂かれそうになった。子どもたちが笑い、浴衣がはためき、父親の声が「ご飯にするか、祭の屋台にするか」と柔らかく弾んだ。透はその声の聞き覚えのない温かさに胸を詰まらせる。だが、次の瞬間、彼は鼻先にあったはずの「朝のパン」の匂いがすうっと消え去るのを感じた。

「ん……においが、しない」透の声が途切れる。胸の中央にぽっかりと穴が開いたような感覚。匂いが消えただけではない。匂いを介して接続していた細かな記憶の粒が、音を立てて溶けていくようだった。瞬間、透は子どもの背中を抱く誰かの手の感触、母の笑い声の細かな輪郭が消え去ったことを知った。言葉で言えば、祭りの名前は覚えているが、綿飴の甘さや母の声の微かな震えが抜け落ちている。

「透!?」舞が立ち上がって駆け寄る。結はすぐに吸い寄せられ、律子は画面を一時停止してログをコピーした。ロウは無言で写真の包みを透に差し出す。だが透は視線を戻せず、しばらく硬直していた。

「どうしたんだ?」舞の手が肩に触れる。触れられた熱は確かだが、匂いの欠落が身体の一部を空洞にする。「朝のパンの匂いが……抜けた。さっきまであった匂いが、なくなったんだ。さっきまで胸の中にあった、母さんの笑い方の細部が、するりと消えた」

律子は指を早く動かし、放送ログと同時刻の生体反応をすべて保存した。「これが代償ね。放送で過去を再確認することで起きる。あなたが読んだ『確かな思い出』を取り戻す代わりに、あなた自身の一つが削られる。嗅覚の一部、あるいは記憶の一部、あるいは……」律子は言葉を切った。データは冷たく正確だが、代償の種類は予見しがたかった。

ミミが保存箱に入れた葉書の切れ端を、シュッとした音で振り返した。小さなディスクが回り、断片化した音の層を一瞬だけ再生する。部屋の中ではまだ、放送を受けた遠方の反応が細く残響していた。誰かが、遠い街灯の下で、ほんの一瞬だけ「キーナ」と呟いたという音声が、律子のスピーカーから掠れて漏れる。

ロウが写真を握りしめ、やや荒い声で言った。「この徽章、ただの落書きじゃねえ。縫切って名前を聞いたことがある。辺境で昔から言われてる、記憶を『整理』する奴らだ──って噂だが、本物かどうか」彼の目が真剣だ。夜市で拾ったという亀裂入りの写真が、突然ここで一つの意味を持ち始めた。

「縫切……」透はその言葉を反芻した。前夜見た写真の青い染みと、今手にしている葉書の端に滲む青が、不穏な繋がりを作る。染みはただのインクの滲みではなく、古い電波結晶の粉塵のような匂いを放っている。律子はその匂いのスペクトルを画面に重ね、既知の物質と比較した。

「この青い痕跡、単純な紙汚れじゃない。電波結晶から出る微粒子に近い成分が検出される」と律子。「つまり、この葉書や写真には、かつて結晶の側で使われていた何かが混ざっている可能性がある。それが『星縫の証票』であるという説は、まだ仮説の域を出ないが」

結は結晶のケースに手を添え、指の感触で亀裂の進行を確かめる。「小さな傷が増えてる。先ほどよりも亀裂が一本、二本と増えたようだ。透、無理するな。世に知られていない作用があるなら、これ以上の負荷は──」

透は苦笑を浮かべた。苦笑は不自然で、少し寂しさが混じっていた。「無理しないで済むなら、始めからやらなかった。だけど、誰かの灯が消えかかってるのを見過ごせない。読んだら、あの子たちの夜が少し戻ったっていう実感があったんだ。匂いを代償にしても、あの夜が少しだけ戻るなら──」

律子は黙ってその言葉を聞いた。科学者の顔つきでありながら、どこか人間の温度を滲ませる。「透、これからは代償のパターンを記録しよう。どの葉書で何を失ったか、どの程度の結晶劣化が同時に起きるか。数を集めれば、あなたがどれほど代償を支払っているかが見えてくる。無作為に続ける