遺失物課の鑑識員

遺失物課の鑑識員 第24話「第22章」

駅は朝から騒然としていた。改札そばのモニターには朝のワイドショーの映像がループし、見出しは太字で「虹環駅 上層部と幻市の癒着疑惑」と踊る。駅の通路に立ったカメラが人の流れを映すたび、通勤客の顔に苛立ちと好奇心が交互に浮かんだ。SNSは火がついたように情報で満ち、真偽のわからない断片的なスクリーンショットが飛び交っている。

駅は朝から騒然としていた。改札そばのモニターには朝のワイドショーの映像がループし、見出しは太字で「虹環駅 上層部と幻市の癒着疑惑」と踊る。駅の通路に立ったカメラが人の流れを映すたび、通勤客の顔に苛立ちと好奇心が交互に浮かんだ。SNSは火がついたように情報で満ち、真偽のわからない断片的なスクリーンショットが飛び交っている。

遺失物課の前室には、葵、石神、凪、鳴海、そして紬が揃っていた。午後には記者会見を開く予定だったが、既にいくつかのメディアは独自に流出した資料を検証したと称してオンエアで論評を始めている。葵は薄く赤い痕の残るタブレットを指で撫でながら、目の前の画面に細い線を引いて示した。

「流出したのは、契約書の断片、発注履歴、そして一部のメールヘッダです。どれも改竄されていない可能性が高い。ヘッダ解析で、送信元のIPが旧北口の保守サーバと一致しました。そこに旧名プレートの管理情報、再開発関係者の連絡先が残っている。鳴海さんの写真にある名刺の氏名と、一部一致する箇所も出ました」

鳴海は無言で資料を見つめ、肩越しに紬を一瞥した。紬の左手の痣が、薄い紫色で高鳴っている。痣はいつもより少し熱く、その下にある繊細な糸のような感覚が皮膚の奥でざわついた。

「流出の範囲が広い」石神が低く言った。「公表の前に我々が得た証拠を固める必要があった。だが、今は世論が先行している。上層部からは『混乱を抑えよ』と圧力が来るだろう。ここで弱腰に回ると、かえって相手の思う壺だ。だが我々も法的手続きに従わねばならん。手順を飛ばせば、証拠は無効になりかねない」

「それと」葵は言葉を切り、別の画面を表示した。「今回の流出には、我々の内部データへのアクセスがあった形跡は見当たりません。誰かが外部の内部資料を掻き集めて組み合わせた—恐らく内部告発者がいたのでしょう。だが、メールの一部に鳴海さんの古い顧客名簿と一致するクレジットコードが含まれている。鳴海さん、あなたの写真に紐づく人物の名前が文書に並んでいます」

鳴海は静かに手を組んだ。「私はその名簿の一部を持っている。だが、全てを公開するつもりはない。過去のことだ。だが今回のように、無辜の人々の記憶が商品として流通しているなら、それを止めるために必要な情報は出す。私の関与が、誰かの救済につながるなら——それで償いになるなら、私は出す。だが手続きは慎重にしてくれ。無秩序は二次被害を生む」

「鳴海さんの負い目を利用するつもりはない」石神が固く言った。「ただし、公開する情報は法的に使える形に整えておかねばならない。我々は法務と連携して、証拠収集のチェーンを保全する。葵、旧北口の保守サーバには法的な差し押さえをかけられるよう、裁判所への申請書を作る」

葵はすぐにタブレットを操作し、必要なメタデータを並べた。「しかし注意点があります。紬さんの能力による『再生』映像は、法廷でそのまま公開証拠にならない可能性があります。再生は当事者と紬さんのみの共有で、第三者への転用は条例でも制限されています。我々が映像を証拠として提出するには、持ち主の同意か、法的なMRQ手続きが必要。つまり、再生で得た情報だけに頼ることはできない」

紬は肩の力を抜き、窓の外の群衆を眺めた。ニュースのバナーが風に揺れ、駅の大時計の針が静かに進む。彼女の心臓は規則正しく打っているはずなのに、胸の奥に小さな波紋が広がる。痣が疼く――いつもより確実に、だ。

「公共のために使う」と鳴海の言葉が耳の奥で反芻する。公共のためになら、再生は許される。だがそれでも、再生は紬の身体と記憶を消耗させるリスクを伴う。私情で判定した場合は代償が発動する。今日の行為が正当かどうか、その境界線はあまりに細かった。

課は早々に弁護士と連絡を取り、記者会見の声明文を作成した。上層部は沈黙を守っているが、それがかえって憶測を助長する。駅の利用者の一部は抗議の小旗を持って駅前に立ち、記憶の権利を守れと唱える者と、透明性が足りないと主張する者が言葉を交わす。テレビ映像のフレームに紬たちが入るわけではない。だが遺失物課の業務は、今日この時間から世論の渦中に晒されていた。

その頃、凪は窓の外の騒ぎよりも職場の電話の着信履歴に目を留めていた。彼の指は何度も携帯の画面を往復し、最後に深いため息をついた。「俺さ、昔から拾い癖があってよ。たまに、問題が起きたものを見つけちゃう。今日みたいな時に、それが災いになるかもしれねえって思うと……」

石神が凪を見つめる。「お前の過去が、今の我々の武器になる可能性もある。だがそれを使うなら、守るべき人を守るためだ。自己弁護や個人的な復讐のために使ってはいけない」

凪はただ黙って頷いた。彼の視線は硬くなり、昔の悪癖を今は利に変える準備をしているように見えた。

午前の遺失物課は、外の喧騒とは別の静けさに包まれていた。だが葵の端末が低い音で警告を鳴らす。彼女が画面を凝視し、眉を寄せる。「新しい送信がありました。暗号化されたメッセージです。発信元は匿名ですが、内容は——」

画面に短い文章が浮かぶ。文字は無機質で冷たい。

「あなたの知るべき切符を持っている。旧構内北口・旧名プレート近く。今夜23時。来るなら一人で。公共で暴くなら、あなたには他の方法があるだろう。でも、私情で確かめたいなら、私を信じろ。来なければ資料は放出する。——大槻」

メッセージは一行ごとに意味を持って震えた。画面の文字が、紬の為にだけ振動しているかのようだった。大槻という名前――鳴海の写真に写っていた人物の影。紬は息を飲んだ。左手の痣が、まるでそれを合図するかのように強く疼いた。

「来なければ資料は放出する」——その言葉が重く胸に落ちる。内部からのリークがあった今、さらに別の手が文書をばら撒く可能性がある。だが誘いの文言は明白だった。紬の個人的な過去、あるいは彼女が追っている前世の断片に触れることをちらつかせて、彼女を単独の場へ誘い込む。しかも来るなら一人で、とある。これは罠である可能性が高い。鳴海はすぐに首を振った。

「それは誘導工作だ。公共の手続きから貴重な証拠を逸らすための手口だ。あなたを孤立させ、再生を私情で使わせようとする。そうなれば——」鳴海は言葉を切り、紬を見た。「代償が発動する。あなたはまた何かを失うだろう」

紬は痣を見つめ、自分の掌に刻まれたものの感触を確かめた。記憶を取り戻したいという欲望は、深い海底に沈んだ宝のように彼女を引き付ける。だが鳴海の言葉は冷徹だった。代償は現実的で、しかも不可逆だ。前回の代償で失った記憶の穴の重さは、まだ彼女の仕事の隙間に冷たい影を落としている。

石神が一歩前に出る。「これは私的な誘いだ。私情で判定すべきではない。もし貴様らが何をしようとしているのか分かっているのなら、警察へその証拠を渡し、法の手続きで対処する。紬、お前が一人で動くことは許さん。だが同時に、我々はこの誘導を逆手に取る計画を立てる」

葵が静かに提案する。「まずは夜の現場を押さえ、監視を付ける。公的な手続きで差し押さえ可能な証拠が届いたなら、即座に確保できるように準備をする。それと並行して、流出元の解析を続けましょ