異世界転生風車守の王国騎士

異世界転生風車守の王国騎士 第3話「第2章」

谷間に陽が傾きかけていた。低い光が風車の羽根を橙色に縁取る。羽根は三枚のうち一枚が止まり、そこだけが静止した影を落としていた。ユズは羽根の軸に手をあて、オイルの匂いと古い木の冷たさを確かめるように息を吸った。今したいことは明快だった。止まった羽根を、眠れるように優しく戻すこと。だがそれを妨げるのは向こう側から近づく馬の蹄の音と、村の広場から高まる囁きだった。

谷間に陽が傾きかけていた。低い光が風車の羽根を橙色に縁取る。羽根は三枚のうち一枚が止まり、そこだけが静止した影を落としていた。ユズは羽根の軸に手をあて、オイルの匂いと古い木の冷たさを確かめるように息を吸った。今したいことは明快だった。止まった羽根を、眠れるように優しく戻すこと。だがそれを妨げるのは向こう側から近づく馬の蹄の音と、村の広場から高まる囁きだった。

「来たぞ、徴税の者たちだ」

老婆のミナが半身を出してささやく。ミナの目はいつになく大きく、畑の端で震えている子どものようだった。ユズは首を振る。彼の守る対象は、今ここで声をあげた老婆と、家々の戸口で息を潜める人々だ。仲間は決して他人の道具ではない。ミナは自分の畑を守るために、今まさに自分の足でそこにいる。ユズはその選択を見て、胸の奥が針で突かれたように痛んだ。

馬は谷の入口を曲がってきた。革と鉄の擦れる音、取り巻きたちの皮の甲冑が軋む。中央の騎乗者は黒い羽根を模した紋章の旗を翻していた。旗の向きが風に逆らっている。配下の徴税隊は帳簿や測器と見える箱を抱え、手つきは熟練だった。彼らの目的は言葉よりも所作で伝わってくる──風を計り、管理し、収める。ユズはその所作を知っていた。刃が産業を秩序に変えると同時に、人々から選択を奪うことを。

「谷間の住民よ、聞け」隊長の声は低く、だが広場に満遍なく響いた。「王国より風力の取引と徴税のため、風車点検を行う。協力されぬ者は村外へ退去を命ずる場合あり。今日から風の放出は王国の管理に入る。違反は処罰の対象となる」

その言葉が落ちると、場内が震えた。人々の口元が引きつり、誰かの息が洩れる。ミナは軽く喉を鳴らしただけで、目はもう泣いていた。ユズはぐっと顎を引き、手のひらを握りしめる。彼が今できるのは、ただ立ち上がることだけだ。

「待て」ユズは声を出した。遠くから聞こえてきたかのように、しかし確かな音で。徴税隊の隊長と数人の兵士がこちらを見下ろす。女でもない、男でもない、だがここでは一つの名が必要だ──ユズは名乗る決意を固めた。彼の肩越しに村の子どもが小さく顔を出し、その目には不安と期待が混ざっている。

「俺はこの谷の風車守だ」

言葉は鋭くもなく、宣告でもない。だがそこには揺るがぬ重みがあった。集まった村人の間に小さなざわめきが起きる。ミナが肩をすくめ、隣の鍛冶屋の息子が顔を上げ、若い母親は抱えた乳児を胸に押し付けた。ユズは自分が名乗ったその響きが彼らに安堵をもたらす予感を感じた。守ると名乗ることは、逃げるか戦うかの二択から別の道を作ることだ。

隊長は軽く笑ったように聞こえた。「風車守か。誰が認めた? 王国の定める手順に従えば、個人の称号など意味を成さぬ。点検に協力せよ。協力せぬ場合は強制するのみ」

ユズは振り向き、村人を見渡した。一人、二人と顔が固まっている。恐れが大きい。彼は叫ぶように叫んではいけないことを知っていた。刃を抜けば刃の切っ先が自分にも向く。だから彼は低く、だが確実に声を落とした。

「強制するなら、ここで風車を奪いにかかるということだ。奪うのは村の糧だ──風を盗むことと同じだ。俺はそれを見逃さない。だが俺は兵ではない。殴り合いを望まない。守る。防ぐ。避けられるなら無用な衝突は避ける」

隊長は眉を動かした。騎士の目は冷たかった。「防ぐ? どうやって?」

「理解してくれ。風車はただの器具だ。だがここで回す風は、村人が生きるためのものだ。王国が管理というなら、我々が管理を嫌うとて構わぬが、まずは村の合意を取る。勝手に測り、奪うのは許さない。点検するなら我々が同席する。もし王国が取得を望むなら、合意の手続きを踏め。書面と署名が必要だ。そうでなければ立ち入るな」

ユズの言葉は策略でも脅しでもなく、手続きと時間を求める要求だった。戸惑いの中で、村の誰かが口を開く。「でも……書類なんて、王都がどれだけ出すか分からない。署名したらもう自由にはできないかもしれない」

「それならば、その場で合意を作る」ユズは答えた。「多数決でも、村評議でも、井戸端会議でもいい。王国の役人も、それに従う形で足を止めてくれ。徴税なら、何を測るのか、誰が回すのか、いつ回すのか。方法を示せ。ぼくらは決める」

徴税隊の隊長はしばらく静かに風を見つめていた。羽根は一枚止まったままだ。やがて彼は唇を引き結ぶように肩をすくめた。「興味深い。王国の規定では点検は行政の権限だ。だが、この谷は辺境だ。臨機応変を許す」

「そこで会うのは?」ユズはしつこく問い返す。声には多少の苛立ちが混じる。村人の暮らしに直接触れる話を、役人たちに丸投げするわけにはいかない。

隊長は馬のたてがみに手を置き、紙の筒を取り出した。開くと、そこには黒い印と幾つかの文言が詰まっている。彼はそれを広場に振るようにして見せた。「ここにあるのは、王国の暫定的指示だ。点検と登録を行う。代表を出すならば、三日以内に郡の判事所に来ること。応じぬ村は監督の下に置かれる」

三日。短い。けれど三日あれば準備はできる。ユズは脳裏で計算する。人々に説明し、合意をとり、必要なら支援を求める時間。だが同時に彼は知っていた──この三日は脅威でもある。王国の手は段階を追って広がる。徴税が入れば、次は移動の規制、次は労働の申告、声の届く範囲までも管理されうる。だがそれを今日ここで止めるわけにはいかない。

「我々は代表を選ぶ」ユズは言った。「正式な名乗りをここで決める。だが提示された三日という期限は受け取る。代表の身の安全と手続き上の正当性を確保する。だがその代表は、村の合意のない使役に風を明け渡す権限は持たない。約束しろ、徴税隊。暴力での強制は行わぬことを」

隊長はそれをじっと見て、やがて小さく笑った。「暴力は最後の手段だ。だが王の代弁者たる我らには、秩序を維持する義務がある。合意が取れるならそれに従おう。ただし、登録の際は王国の測器を用いる。風量、回転、放出量すべてを記録する。いいか、放出という行為自体が財源となる」

その言葉は、言葉としては穏やかだが中身は冷たい。村人たちの顔から血の色が引ける。ミナが手で口元を覆い、若い母の指が子の背を撫でた。ユズは胸が締めつけられるような感覚を覚えた。ここで自分が踏みとどまらねば、誰が踏みとどまるのか──と同時に、無闇に剣を取って打ち払うことは村を壊すかもしれない。彼は選んだ。「防御」である。守り、合意を作ること。力で奪われぬために、手順と声を整えることだ。

「わかった」ユズは隊長に向き直り、村の方を向いた。「俺は代表を選ぶ会を設ける。ここで日を改めて、村の総意を示す。だがその間、風車には手を触れさせないでくれ。調査ならば一緒にやろう。測定器を触らせたくないなら、外で数値を取って、こちらに示してくれ」

隊長は目を細め、動きを止めたまま考え込む。やがて彼は端的に頷いた。「話し合いの場は認める。だがその会が反王的な行動につながると判断すれば、軍は介入する。三日だ」

隊は馬を回し、谷を去って行った。その背中に、逆向きに張られた黒い羽根の旗が薄く揺れる。ユズはその姿を見送りながら、自分の胸の内に静かな焦りが広がるのを感じた。あの