異世界転生風車守の王国騎士

異世界転生風車守の王国騎士 第2話「第1章」

朝の光は谷を浅くなぞり、風車の影を長く引いていた。だが風車の羽根は止まり、影だけが動かない証人のように地面に張り付いている。ユズは腰をかがめて、羽根の根元に差し込んだ細い工具をぐっと押し込んだ。手はいつもより冷たく、指先に残る振動がやけに生々しい。今したいことはただ一つだ。刈り取りを終えたばかりの老婆の畑の籾を乾かし、市場へ出せる状態にすること。だが妨げは、風そのものがないことと、風車の機構がひとつだけ持つ能力の代償を自分の体が覚えていることだった。

朝の光は谷を浅くなぞり、風車の影を長く引いていた。だが風車の羽根は止まり、影だけが動かない証人のように地面に張り付いている。ユズは腰をかがめて、羽根の根元に差し込んだ細い工具をぐっと押し込んだ。手はいつもより冷たく、指先に残る振動がやけに生々しい。今したいことはただ一つだ。刈り取りを終えたばかりの老婆の畑の籾を乾かし、市場へ出せる状態にすること。だが妨げは、風そのものがないことと、風車の機構がひとつだけ持つ能力の代償を自分の体が覚えていることだった。

「ユズ、お願いだよ。あの籾が湿って腐ったら、年金代も出ないんだ。頼むよ、頼むよ本当に」

老婆の声が、薄く震えながらユズの背中に届く。顔を上げると、畝の間から腰を曲げてこちらを見ている。白い手拭いで額を押さえた顔は皺だらけだが、目だけはまだ生きている。ユズは返事もせずに手を拭き、唇をかみしめてから静かに歩み寄った。村を守る対象は、祭りの主役や豪商ではない。今足元にいるこの老婆、その隣の子ども、納屋の中で息を吐く馬、朝の台所に立つ若者たちだ。自分に最初に助けを求めた人々。ユズはその声を聞くと、体が動く。

「お前の風車だけか。お前が手を入れたやつじゃないと駄目って、そうだろ」

老婆は足元の籾摺り場を指さした。ユズは黙ってうなずき、腕まくりをする。自分で整備した風車でしか、村人が『回したい』と願う方向へ風を分けられない。もうひとつの条件は重い。ひとりの願いだけでその分け方をすると、羽根に致命的な負担がかかり、折れる。ユズ自身の呼吸も、そのとき必ず乱れる。──前世の手癖が残るのか、あるいは単に器具として染みついた習性なのか、手元の工具が必要以上に硬く握られる。

「わかってる。だが……一度だけなら、なんとか」

その「なんとか」が何を意味するのか、老婆は見て取った。ユズの胸の奥で、昔の整備マニュアルの断片がひとつの感覚に変わっている。風はただ回るものではない。方向を与え、量を分けることができる。だが分け方は死ぬほど厳格だ。分けた先が一人の強い願いだけに引き寄せられると、力は一本の針路に集中し、羽根の材料と結びついた器官に亀裂を生む。ユズはそれを知っている。知っているのに、老婆の手を見ていると断れない。

風は止まっている。茫洋とした空気の厚さが、谷間を重く沈めている。いつものなら、朝の掃き出しを終えたばかりの子どもたちが駆け抜ける風が吹くのに、今日はそれさえない。ユズは風車小屋の扉を押し開け、中に籠る木の匂いを吸い込んだ。自分で刻んだ溝、油を差した軸、補強した羽根。どれもこれも、たしかに自分の手の仕事だ。自分の仕事だけが、今動かすことを許す。

「どうする? やめとけって言ったほうがいいのかもしれないが……」

近くで若者のひとりが声をかける。だがユズは工具台に置いた古い布を取り、羽根の根元を拭きながら言う。

「今日はおばあちゃんのだけだ。ほかは駄目だ。約束する」

その約束が、すでに重い。ユズは小さな案を思いついた。風の分け方を単一の願いではなく、村が見ている形にすること──だが老婆の籾は今すぐ乾かさねばならない。村の意思を募っている時間はない。彼は決断を下した。自分が代価を払ってでも、一つの命を救おうと。

「覚悟しておけよ」ユズは自分に言い聞かせるように低くつぶやき、羽根の根元に手を当てた。感覚がすうっと変わる。金属と木の接合部を撫でると、疲労の絵柄が指先に伝わる。どれほど小さな亀裂を許しているかが、まるで透明な設計図のように浮かぶ。ユズは深く息を吸い、声を出す代わりに手の内側で機構を一つ動かした。古い軸受に補助の板を噛ませ、風を正しい抜け道に導くための角度を微調する。技術者としての自分が、ここでは魔術の代わりになる。

外へ出ると、村人が畑の周りに集まっていた。老婆は籾の山にしがみつき、乾燥箱はまだ濡れている。ユズは頷いて、風車の足元に立った。まばらに残る村の目が自分に集中する。誰かの希望が一点に集まるとき、それが「ひとりの願い」になる。ユズはそれが何を生むか知っている。

「いくぞ」

一言だけ投げ、ユズは羽根に手をかけた。静寂の中で、刃の木目が指の腹にこすれる。じわりと、刃に熱が走るような感覚があった。羽根が動き出す前に、谷の空気がわずかに震えた。風は遠くの裂け目からそっと引き出される。村人たちの視線が一斉に動き、老婆の顔に緩みが生まれた。

羽根が回り始めた。ゆっくり、だが確実に。普段の何倍もの力を与えられた風は円筒状の流れとなり、風車から一本の流線を描いて老婆の乾燥箱へ向かう。籾が吹かれ、ほこりと薄い匂いが舞う。村人たちの唸り声が胸に突き刺さるほどの安堵を伝えた。だがその歓声が上がった瞬間、ユズの胸は針で突かれたように痛んだ。呼吸が、急に乱れ始める。胸の奥がジャムのように詰まり、空気が細い管を通るようになった。

「ユズ、どうした?」

誰かが叫んだ。声は遠い。ユズの視界は少しだけ白っぽくなり、羽根がいつもとは違うひずみを見せているのに気づいた。根元を拡大して見れば、木目にうっすらと亀裂が走っている。最初は髪の毛一本ほどの線だったが、すぐにそれは明瞭になり、光を反射して細い光帯を作った。ユズの心臓が強く一度跳ね、呼吸の苦しさが波状になって押し寄せた。これが、ひとりの願いを満たした代償だ。

羽根はそのまま回り、風は老婆の乾燥箱の中で渦になった。籾は踊り、湿気は吹き飛ばされていく。だが羽根の亀裂は無視できない。ユズは両手で羽根の支えを抑え、息を整えようとした。体が震え、視界の端が踊る。村人たちの歓声は遠く、胸の奥にある警報だけがはっきりと響いた。

「やめよう」ユズは吐き出すように言った。「止める。もう、これ以上は駄目だ」

だが村人の一人が飛び出し、杖で羽根の一端を叩きながら言った。「いま止めたら、籾は駄目になる! ここまで来たんだ、続けろ!」

ユズはその手を掴んだ。握力が確かに落ちている。指先がしびれ、工具を落としかける。彼は自分の決断を振り返る。何のためにこの村の風車を守ると誓ったのか。自分がいなければ誰が老女の籾を救うのか。だがこの代償を甘んじて受け入れれば、次の場面で何人のためらいを奪うことになるか。専門性を独占することは、つまり刃を折ることでもある。

「聞いてくれ」ユズは声を絞り出した。「これで直せるかもしれない。だがもし羽根が折れたら、元に戻すまで風を分けられなくなる。次の病や次の――」

言いかけて、息が詰まる。再び呼吸が浅くなり、言葉が途切れる。村人たちの表情が一斉に変わる。誰もが自分より大きな不安と向き合うしかないことを悟る。

老婆が震える声で言った。「ユズ、あんたはもういいんだよ。ここで止めて、直しなさい。私たち、なんとかするから」

だが村人たちの眼差しは答えを欲している。籾は乾きかけている。もし羽根を止めたら、夜露が落ちてまた湿るかもしれない。経済は僅かな天候差で崩れる。ユズは胸の奥を掴むような痛みに耐え、ゆっくりと口を開いた。

「一晩だけ、だ。夜の冷え込みが来る前に風を強める。だが、俺が直接引き受ける。次はみんなで分ける方法を考えろ。今は──今だけだ」

その「今だけ」は村人たちにとっても重