月蝕湖のダイバー――沈都の命脈を継ぐ転生救難士

月蝕湖のダイバー――沈都の命脈を継ぐ転生救難士 第5話「第4章」

新月の夜は、湖を飲むように暗かった。月蝕湖の水面は黒檀の鏡となり、星さえその深みに溶けていく。三日月の稜線を描く湖の弧も、光の欠けた輪郭だけを残して沈んでいた。岸に立つ者の影は水面に溶け込み、どこからが足場でどこからが深海かを見分けることはできない。

新月の夜は、湖を飲むように暗かった。月蝕湖の水面は黒檀の鏡となり、星さえその深みに溶けていく。三日月の稜線を描く湖の弧も、光の欠けた輪郭だけを残して沈んでいた。岸に立つ者の影は水面に溶け込み、どこからが足場でどこからが深海かを見分けることはできない。

桟橋には緊張の匂いが漂っていた。昼の群衆がいくらか去り、留まったのは救助に出る者、見守る者、そして王国の使者たちだけだ。ヴァルザの随行が遠巻きに機械を点検し、役人たちの息遣いが金属音に吸い込まれていく。湖上に立つ小屋の明かりは、ときどき水面を遠慮がちに撫でるだけで、夜は全体を楔のように押しつぶしていた。

「聞いておけ」ガルドが甲板で舌打ちをした。声は低く、周りの空気を切る。「二組に分ける。俺の班と──レオ、お前はミナとトトと一緒だ。潜るのは一度につき、三分。空気嚢の交替は二度まで。合図は白旗、短三、長一だ。勝手な真似はするな。命よりも流路が重要な局面だ」

レオは舵に寄せていた手を離し、月形ライトを胸の上で抱え直した。金属の縁は、暗闇の中でも強く冷たく光る。触れるたびに小さな安心が伝わってくるが、その安心は同時に鉛のように重い決断を思い出させる。胸のどこかで、前世の濁流がざわつく。あのときと同じ指先の感覚、同じ警報の三拍子。だが今は新月だ。過去の流路は、いつもより薄く、途切れがちに映った。

「ユノ、砂時計を頼む」ミナが言った。彼女は自分の膝の上に広げた古い羊皮紙をぎゅっと押さえ、ページの端を指で辿っている。ページの隅は擦り切れ、印刷された北の方角はそれぞれ微妙にずれている。彼女はそれを知っていた。だが今夜は地図を机上の方角で合わせる余裕がない。

ユノは砂時計を取り出した。吹き抜ける風に小さな砂の粒が鳴り、音は錆びた鐘の残響に似ていた。彼は短く動いた唇を閉じ、祈りの姿勢を取ろうとする手を止めた。隣の家族が小声で「行ってらっしゃい」と念を押すように呟いたとき、ユノは目をそらした。新月の祈り。彼が以前、あの日だけ祈らなかったという話は村の間で囁かれている。だが今、彼は祈りを口に出さず砂時計を押し返した。祈りより先に、やるべきことがあるとでも言うように。

「頼む」ミナがユノの袖にぎゅっと触れる。彼女の声は震えない。だが指先がほんの少しだけ強ばっていた。

トトは工具箱を肩に、四つん這いのように小舟の床に身を低くしていた。彼の作った空気嚢はいつもより分厚く、取っ手や結び目に細工が施してある。トトはにやりともしない顔で首をかしげた。「これで呼吸時間は二倍になる。ケーブルも延ばした。必要なら酸素袋を分割する。だがその分、引っ張る時間が増えるから、連携が要るぞ」

ミナが羊皮紙の束を押し、指で一頁を選んで差し出した。ページの中心に小さな黒丸がある。レオはそれを見て、違和感を覚えた。北の矢印がまるで踊っているように見える。ページをめくると、また向きが違う。ミナはそれを見て眉を寄せたが、すぐに柔らげた。「母は、声を中心に描いたのだと思う。毎回、助けを求める声の位置を基準にしていたのかもしれない」その言いかたは推測だ。だがミナの瞳の奥には、信じたいという光が灯っていた。

「声を基準にか」ガルドが嘲るように言ったが、その声は本心でない。彼は深呼吸して小舟を押し、指示を出す。「じゃ、行け。時間を無駄にするな」

小舟が滑り出す。水面は重く滑らかで、櫂が一度水をかくとその軌跡はすぐに暗く消えた。彼らは間を置かずに潜った。水が体を包むと、世界は音を失う。遠景で波がたてるかすかな音だけが、耳の奥で蝉のように震える。

レオが指先を水に触れた瞬間、銀の線が触れた範囲だけに滴るように浮かび上がった。だがいつもより、線は脆く、薄かった。新月は過去の一日を覆い隠す日でもある。流路の輪郭は霧が晴れるように現れ、次の瞬間には隙間だらけになった。線の間を縫うように、浮遊する破片や瓦礫の影がゆらりと揺れ、視界を遮る。

「短く読むんだ」ユノの声が泡を通して届く。砂時計が水中でも分かるように布で包まれて、すぐにユノの手で向きを変えられた。砂が落ちる。三分。二分。レオは頷き、読みを早める。だがそれはいつも以上に苦しい作業だった。過去の流路には住民の影が重なっていて、見れば見るほど誰かの顔が胸の中で鳴る。前世の断片が混ざると、彼はそれを識別するのに苦労した。水の記憶は喉元から押し上げるようにして、彼の中の輪郭を薄くしていく。

一瞬、彼の中で古い名前が霧散するのを感じた。姓の音節が、海の泡の中へ吸い込まれていく。思い出すべきはずの小さな出来事、濡れたヘルメットの匂い、岸へ押し出した子どもの小さな手の冷たさが、記憶の縁で揺らいだ。レオは慌てて自分を引き戻した。胸の月形ライトに視線を向け、刻まれた金属の稜線を確かめる。あの光がある限り、何かが繋がっている、と自分に言い聞かせる。

ミナのページが、手の中で小さく波を打った。彼女は頁の中の黒丸を指で押さえ、唇を震わせた。「ここ、母が声を描いたのは……」言葉は途切れる。彼女の指先が震え、紙の上の黒丸が水面の泡のように揺らめいて見えた。レオはその指先を自分の向かう路と照らし合わせる。だが銀の線は断片的で、確かな道筋を示さない。過去の路が機械的な地図と重なって示すことは、今夜はできなかった。

「時間を稼ぐ」ガルドの低い指示が届く。彼のチームは向こう側から棒やフックで瓦礫を引き、道をこじ開けている。二手に分かれて少しずつ空間を作るのは、地道で恐ろしい作業だった。瓦礫はそう易々と動かない。閉ざされた道は、まるで息をひそめる者のように固く自分を守っている。

トトが作った空気嚢がぱん、と小さな音を立てて膨らむ。彼は器具を調整しながら、足元の縛りを確かめた。「ここに頼め」彼は短く言い、太いロープを示した。ロープは複数の浮力具につながれていて、人間の引力だけで瓦礫を引き剥がすのではなく、水の力を借りる設計になっていた。トトの目がわずかに光る。道具はいつでも真実を語る。

だがそれでも、道はすぐには開かない。銀の線が示すのは過去の軌跡であり、今の水圧や瓦礫の位置を保証するものではない。仲間がトトの合図でロープを引くと、瓦礫の一部が音を立てて動き、そこに新しい泡が生まれる。泡は小さな鏡を作り、水面に反射する月の欠片がそれを撫でる。漫画の見開きになれば美しいだろうと誰かが思ったであろう光景だが、現実は息を吸い、呼び、押し出す苦しさで満ちている。

「レオ」ミナの声が尋ねる。水中では、言葉は泡となって揺らめく。だが彼女の表情は真剣そのものだ。「母は、声を中心に回していた。北が違って見えるのは、そのせいかもしれない。ここを基準にして描いていたら、方角が狂う」

レオは答えを持っていなかったが、考えていた。地図のページを回しながら、彼は思った。もし本当にそうなら、ミナの母は沈都の性質を知っていたのかもしれない。あるいは、母が求める者の位置を確かに残すための工夫だったのかもしれない。どちらにせよ今は、そのことを確かめる時間はない。彼は砂時計の面に顔を向け、落ちる砂に集中した。

三分が過ぎる。ユノが合図を送って砂時計をひっくり返すと、静かな声で「交替」と言った。ガル