月蝕湖のダイバー――沈都の命脈を継ぐ転生救難士 第4話「第3章」
朝の光が湖面を薄く引き裂き、白銀の帯が波に沿って動いた。巨大な水務船はまだ桟橋の外れに停泊し、風に揺れる旗が薄い影を落とす。甲板には金属の匂いと海の脂のような油のにおいが混ざり、見慣れない機械音が刻々と鳴った。村人たちは桟橋の端に集まり、互いに小さな声で囁き合っている。遠巻きの視線が集落を測るように、役人と取調室のような威圧がそこにあった。
朝の光が湖面を薄く引き裂き、白銀の帯が波に沿って動いた。巨大な水務船はまだ桟橋の外れに停泊し、風に揺れる旗が薄い影を落とす。甲板には金属の匂いと海の脂のような油のにおいが混ざり、見慣れない機械音が刻々と鳴った。村人たちは桟橋の端に集まり、互いに小さな声で囁き合っている。遠巻きの視線が集落を測るように、役人と取調室のような威圧がそこにあった。
「すべて集まれ」ガルドが低い声で言った。彼は舵を握るときの癖で、親指と人差し指を交差させる。仲間たちが彼に導かれ、桟橋の中央に並んだ。ミナは地図を両膝に置き、表紙を押さえている。トトは工具箱のふたを閉じ、細い手で鍵を例によってきつく締めた。ユノは白布の端を指先でつまみ、少し離れて立つ。
「皆の者、王国の者が来ている」村の長が棒の先で甲板の方角を指す。声は震えているが、どこか誇り高かった。外からの力は、ルナ・リーフの自律を脅かす。だが同時に、外の世界は資源と情報を運ぶ扉でもある。レオは胸に手を当て、月形ライトの縁が冷たく触れた。銀の欠片が、胸の中で小さく疼く。
水務卿ヴァルザは、黒革の外套を肩に羽織っていた。年の割に背筋が伸び、灰色の目には戦術の計算機のような冷たさがちらつく。彼は歩幅を揃え、桟橋の端へと降りてきた。周囲に随行する役人たちは格式張った服装で、胸には印章の箱を提げている。箱から取り出された羊皮紙は、しなやかな光沢を持っていた。
「ルナ・リーフの長老たちへ」ヴァルザが声をかける。彼の声は湖面を渡り、群衆の耳へと届いた。「王国は貴集落の安全と繁栄を願う。だが、この湖の動きは不安定だ。昨今、湖底で古代の構造体が掘り出され、我々の観測に不穏な揺らぎが確認されている。王国はこれを封じるための措置を講じる。協力を願いたい」
彼の言葉は丁寧だった。だが丁寧さは往々にして権力の覆いだ。村人たちは息を飲み、ある者は返答をするべきかどうか迷った。ガルドが舌打ちを一つし、レオの方へ小さな合図を送る。レオは冷静に頷いた。仲間の約束——読解の監視と合図——は、こうした場面でこそ生きる。
ヴァルザは無造作に羊皮紙を開き、そこに押された大きな印章を見せつけた。それは王国の紋章に似ていた。だがユノの目だけは、それをただ見過ごすことができなかった。彼は平服の襟をつまみ、ゆっくりと歩み寄る。
「その印章は……」ユノが口を開いた。「我らが教団の正規の印章ではありません。形は似ているが、線の引き方が違う。誰かが模して押したようです」
ヴァルザの顔に微かな影が差し、その場の空気が一瞬擦れ合ったようにきしんだ。周囲の役人たちは、慌てた様子で羊皮紙を取り戻そうとしたが、ヴァルザは手をひく。彼の声は、また別の温度になっていた。
「行き違いがあるのは構わん。形式のことは後にする。重要なのは事実だ。大口の掘削が進めば、湖底の機構が暴走する。王国はその制御手段を持っている。我々は……そのための燃料を確保せねばならん」
「燃料?」ミナが思わず漏らす。地図を握った手が、ほんの少し震えた。
ヴァルザは小さく笑ったが、笑いの端は乾いていた。「古代構造体は単なる金属ではない。記憶を保存し、時間を映す装置だ。停止したい場合、装置は入力量を必要とする。その入力量は……美術品ではない。人間の記憶だ。故郷の匂い、家族の顔、身体を貫いた悲しみと安堵——それらが炉に投じられれば、機構は動く。わたくしは提案する。住民の記憶の一部を犠牲にして、湖の暴走を止める。結果として多数が救われる」
村は息を飲んだ。誰かが「それは……」と続けようとして、言葉を飲み込む。トトは工具箱に手をかけ、握ったこぶしに青い血管が浮いた。ユノの顔が青白くなる。
「我らは人を燃やす炉の前で何かを秤にかけるのか」ユノは小さく冷たく言った。彼の声は、教団の教義を体内に収めた者のものだった。だがその口調には、個人の怒りが混じっていた。「御身は神の名の下に、それを正当化するつもりか」
ヴァルザは首を振る。「神の名は関係ない。私は水務卿だ。王国の死角を補い、生き残る者を増やすのが任だ。戦場で私が見たものを、あなた方に想像してほしい。恒常的な飢饉、戦線の児、消えゆく都市群——あなた方はそれを許すか? 百の記憶を失う代わりに、万の命を守る。冷徹だが合理的だ」
彼の言葉には、確固たる論理があった。だがそれはまた、目的のため手段を選ばない冷たさでもある。レオは胸の奥で、前世の夜を思い出す。濁流に押し流された子ども、叫び、裁たれた時間。自分はあのとき、一人で決めた。誰かを押しのけてでもと。ヴァルザの論理は、あの夜の自分とどこかで重なっている。背筋がちくりと痛む。
「掘削船に乗っている者たちを放っておくつもりか」ガルドが尋ねる。彼の目は怒りと保護欲と嗜虐の混ざった厳しさを湛えていた。「彼らはこの湖の子だ。子どももいる。掘って何が出ようと、人命は守るべきだ」
ヴァルザはしばらく黙っていたが、やがて短く頷いた。「その通りだ。だが我々は時間がない。掘削は既に心臓部の構造に干渉している。放っておけば、我々の制御を返せぬ形で装置が動く。最小限の犠牲で止める。これが、現実だ」
「あなたは王国の代表でありながら、それを住民に押し付けるのか」ミナの声は震えた。だがその震えには怒りが宿り、彼女の顔に浮かぶのはただの恐怖ではなかった。「母が探したものが、そうやって燃やされるのを見ているのですか?」
ヴァルザの視線がミナに向いた。彼の顔の皺が深くなる。「君の母上の足跡は我々も追っている。だが世界は君個人の物語だけで動いてはいない。それを理解してほしい」
ユノはヴァルザの差し出した羊皮紙をもう一度見つめ、さらに別の疑いを口に出した。「貴方は王国の公文書に似せた文書を示しました。だがそれは教団の正式な押印を欠いている。貴方は王国と教団の合意を得てない。貴方は独断でここへ来ている」
ヴァルザの表情が変わった。そこに僅かな、しかし確かな困惑が差す。「我が方にも内憂がある。中央は動かない。議論は長い。だがその長い議論を待っておれない命がある。だから私は行動する。君たちの村が協力するなら、我々はその代価を補う。住民の再教育、医療、漁場の整備——そうした約束を提示しよう」
その言葉は一見して魅力的だった。だが魅力はしばしば罠でもある。トトが舌打ちし、ガルドは肩をすくめる。ミナは地図に視線を落とし、紙の上の線を指でなぞった。線は不規則に走っている。北が廻るようにページごとに変わった理由を、彼女はまだ言葉にしていなかった。だが胸の奥では、母が何かを伝えたかったという確信が膨らんでいた。
「掘削船には子どもが乗っていると聞いている」レオが口を開いた。彼の声はいつになく静かだが、内に秘めた決意がその静けさを揺るがしている。「それを見て見ぬふりはしない。王国の政策が何であれ、そこに人がいる限り、私たちは救う。協力はしない。だが敵対もしない。独自に救助を行う」
ヴァルザは一瞬目を細め、そしてにやりと苦い笑みを浮かべた。「なるほど。若者の見栄だ。分別のある行為だ。だが注意せよ。独自に動くというのは、結果に責任を持つということだ。君が助けた者が我々の負荷になるか、あるい