こども王

こども王 第28話「終章」

議場の扉を押し開けると、低い声同士がぶつかるような空気が流れていた。長い長机の向こうに並んだ大人たちの顔は、昼の光にこそ影を落とさないが、誰もが何かを抱えていることを隠せなかった。リクはその中をすり抜け、いつもの席ではなく、一番端に置かれた小さな机のそばで緊張の縄をほどくように息を吐いた。机の上には、子どもたちが書いた紙片の束。ひとつひとつ違う字と線が、彼の視界の中で小さな抗議の旗になっている。

議場の扉を押し開けると、低い声同士がぶつかるような空気が流れていた。長い長机の向こうに並んだ大人たちの顔は、昼の光にこそ影を落とさないが、誰もが何かを抱えていることを隠せなかった。リクはその中をすり抜け、いつもの席ではなく、一番端に置かれた小さな机のそばで緊張の縄をほどくように息を吐いた。机の上には、子どもたちが書いた紙片の束。ひとつひとつ違う字と線が、彼の視界の中で小さな抗議の旗になっている。

「今日、僕たちは――」小さな声がひとつ、准教師のアナから漏れた。アナは冷静だが、指先がわずかに震えている。子ども代表のメリーはその手を握り返し、リクの方を見た。彼女の目は十歳のリクと同じくらいの真剣さを宿している。リクは頷き、言葉を選んだ。

「僕が望んでいるのは、これを法律にしてもらうことだ。成人が兵役を決めるなら、その責任を、記録して、議会で問いかける仕組みにする。それだけだ。君たちを、二度と戦場に送らないために。」

メリーは紙片をそっと差し出した。そこには、ぽつりぽつりとした子どもらしい文字で「おとながせきにんをとってね」と書かれていた。リクはその行間にある強さをかき集めるようにして、言葉を続ける。

「これは僕一人の命令じゃない。君たちが自分のことばで言った願いであって、強制じゃない。僕は、君たちの言葉が成り立つのを見たいだけなんだ。」

だが、扉の外で金属音が鳴った。地下に潜った旧制度の残党が、また動き出していると聞いていた。議場の外では、小競り合いの報が走り、いくつかの街道が封鎖されたという。グレイの影は消えたわけではない。彼らは制度を守るためのあらゆる手を使う。今日の採決を潰すために、最後の切り札が仕組まれている可能性は高かった。

「リク王子、準備はいいかね?」老職の一人、ベローズが声をかける。彼は改革派だが、年輪だけで人を見定める老獪さを持っている。リクはかすかな笑みを返した。

「僕は決まってる。だけど、ここで愚かなことはしないよ。」

その言葉には、重さがあった。彼の胸には、使えば確かに望む事が一日だけ現実になるという力がある。だがそのたびに、彼の年齢は一日だけ進む。誘導すれば王令は暴走する。それを誰より深く理解しているのは、彼自身だ。過去に何度かその代償を払ってきた肖像画が、市庁舎の一角で少しずつ歳月を刻んでいる――その絵の一刷り一刷りに、彼が引き換えにした時間が残っている。

「もし――」一人の議員が口を出した。「王子が一日で何かを成し遂げることができるなら、なぜそれを使わない? 紛争を一度に終わらせられるだろう。」

リクはその眼を直視した。彼の手が、机の角に添えられた木の冷たさを確かめるように動く。意図的な誘導は、誰かの願いを偽装する術の始まりになる。大人の声で子どもの願いを書かせることは、力の暴走を呼ぶ。自分の年齢を一日進めることは、彼にとって未来の一つを差し出すことだ。数日前、彼はその一日分を既に払った。顔つきや仕草に出る微かな変化を知っている者は増えていた。

「戦いの最中に僕がほしいのは、勝ちではなく、選択だ」リクは静かに言った。「君たちが、自分で決めるということを見せてほしい。それを強制されるのではなくて。」

議場の温度が下がる。彼の言葉は決意だが、それ以上に、守るべきものを曖昧にしない覚悟があった。アナが机の上を軽く叩き、小さな声で子どもたちに指示を出す。彼らは何度もリハーサルをしてきた。偽造の文書を作り上げようとする勢力に対して、筆跡の照合や証言の録音を整え、もしも強制が行われた痕跡があれば無効を訴える手筈を作っている。

「地下の連中が最後の一手を打つつもりなら、まずは市民の目にさらすしかない」ベローズは顎を撫でながら言う。「君の肖像画も、見せるのかね?」

リクは小さく笑った。肖像画は、かつて王家が秘密裏に使ってきた年齢操作の証拠でもあった。彼が歳を一日進めるたび、画家が新たに刷り増しをしていた。最初は恥じる材料だった。しかし今日、彼はそれを盾ではなく資料として差し出すつもりでいた。

「見せる。だけど脅しの道具にはしない。これは代償だと分かるためのもの。僕が払ってきた日々の証明にして、最後には教育のための資料にするんだ。」

弁護士のセシルがうなずいた。彼女は冷静に法案の条文を指で辿りながら、「あなたの選択が公共の安全を損なわないようにするための条項を入れましょう」と言った。議案の核心は単純だ。兵役の決定は成人議会のみに帰属し、子どもたちの自発的な願いを除いて年齢を扱うなんらかの国家的操作は厳罰に処する。加えて、年齢操作の可能性を示す証拠と手順を公開し、教育・研究として管理すること。彼らはそれを「責任議会法」と名付けるつもりだった。

そのとき、窓外で遠く鈴のような音がした。次の瞬間、議場の向こうの通廊が騒がしくなり、男たちの威嚇する声が混ざった。グレイの残党が、会議の妨害に来たのだ。だが彼らのやり方は昔と違い、もっと狡猾だ。子どもの字で作られた偽りの「戦争宣言」を掲げ、子ども自身が望んだという証拠をでっち上げるはずだ。それが成功すれば、世論は分断され、法の採決は狂う。

「準備だ!」リクは立ち上がり、声を張った。指示は短く、具体的だ。周囲の大人は動き、子どもたちは訓練の成果を見せるように静かに位置についた。だがリクの胸の奥で、古い衝動がうずいた。もし一度、彼の王令で強制を消し去れたら――。しかしその考えは同時に、彼の手から時間を一日ずつ奪うことを意味する。彼はこの力を利用して勝利を買うべきか、それとも共同体に選ばせるべきかの岐路に立っていた。

攻撃は始まった。扉が破られ、泥の匂いを運んでくる。数人の男が侵入して、手に握った紙を振りかざした。それは子どもの字で書かれていると見せかけた文書で、「王子は子どもの願いを聞き、われらは出征する」といった文面が並んでいた。だが近くにいた筆跡鑑定の青年がすぐに叫んだ。「これは下書きの線が全く合わない。筆圧が違う。右利きの子が左利きの字を書いたようになっている!」

侵入者は怒鳴り、議場は一瞬騒然となった。リクはその騒ぎの中で、メリーの目を探した。彼女は手元にある一枚の紙を高く掲げ、はっきりと声を張った。「これは私が書いたものじゃない! 見て、ここが私の本当の字!」その紙は、彼女自身が何度も書いた願いの一つであり、文字の形が先ほどの偽造のそれとは違っていた。周囲の子どもたちも次々に自分の筆跡のサンプルを差し出し、録音された作文の音声が壇上に流れる。偽造の論理は崩れ始めた。

侵入者たちは戸惑う。彼らは強硬手段に出るつもりだったが、子どもたちの自発的な行動が彼らの画策を崩した。リクはその光景を見て、胸にあった葛藤が固さに変わるのを感じた。ここに居るのは、自分の代わりに願いを捏造することを拒む者たちだ。彼らの自律が、いまこの場を守っている。リクはぐっと拳を固めるのをやめ、静かに息を整えた。

「我々は力を使うために存在しているわけではない」リクは低く、しかしはっきりと宣言した。「誰かの願いを偽ることで、誰かの時間を奪うことはしない。今日は投票で決めてもらう。君たち大人の責任を、ここで確認するんだ。」

議場