こども王 第2話「第1章」
朝の光が大理石の床を薄く溶かしていくころ、リクは額の冷たさで目を覚ました。重たい金属の輪──王冠が、枕元の台にどんと置かれている。あまりに大きくて、まるで誰かの頭ではなく世界そのものを覆おうとしているようだった。子どもの肩には不釣り合いなほど重々しいその姿が、彼の胸を一瞬、締めつけた。
朝の光が大理石の床を薄く溶かしていくころ、リクは額の冷たさで目を覚ました。重たい金属の輪──王冠が、枕元の台にどんと置かれている。あまりに大きくて、まるで誰かの頭ではなく世界そのものを覆おうとしているようだった。子どもの肩には不釣り合いなほど重々しいその姿が、彼の胸を一瞬、締めつけた。
「……おはよう、殿下」
侍従の低い声。だがリクの頭は、枕の端でくしゃくしゃになった髪の一本一本まで覚えている前の人生の記憶で満ちていた。夜通し書類と相談に向き合った、あの窓辺の顔。泣く子を抱きしめ、怒る親をなだめ、眠れない夜に消耗しきってしまった体。児童相談員としての手の感触と、十歳の体の軽やかさとが、奇妙に混ざり合う。
「今日、学校に行きたいんだ」リクは枕元で呟いた。自分でも驚くほど普通の願いのように響いた。だがその口から出た言葉は、城下の古い石畳を歩く子どもたちの顔を一枚ずつ呼び起こした。屋根の下で鉢を割りそうになっている子、朝ごはんを抜いてでも本を弄る子、着古した上着の袖を噛みしめるようにしてふと遠くを見る子──守らなければならない顔が浮かぶ。
侍従は一瞬言葉に詰まり、それから小さく頷いた。「学校へご報告に参ります。殿下のご判断があれば、そちらでお聞かせください」
リクは立ち上がると、手早く王冠に触れないように袖で払い、窓の方へ歩いた。窓の外、城下の通りでは子どもの歓声がまだ遠く聞こえた。だがその向こうで、役人たちの足音が固く響いているのも感じた。先日、村を回っていた徴募の書付けがこの学区にも届いたらしい──そんな噂が、夜を越えて広まっていた。
廊下を抜けると、年若い護衛と数人の侍女、そして校長と称する年寄りの顔が並んでいた。校長の名は佐江子(さえこ)。皴の深い顔に、苦労が彫られている。彼女が深く頭を下げると、背後に立つ教師たちが一斉に息をのんだ。
「殿下、誤解なきよう申し上げます。徴募の書が本日付で回覧されました。労働年齢とされる子どもの名簿が、各地区に配られるというものです。城下の学校も、例外ではございません」
リクはそのまま窓辺に立ち、外を見た。学校の庭で遊んでいる小さな群れ。中に、いつも鉢のかけらを膝に置いていた少女がいる。ミナ。彼女は八歳。放課後に小さな紙切れを集めては、誰にも見せずに胸にしまっていた。リクはミナが--以前の記憶の仕事で見てきた子どもたちと同じ匂いを持っていると感じた。怯えを隠した強さ。助けを求めながらも自分で決めようとする目。
「殿下のご意見は?」佐江子がささやくように問うた。護衛の視線が突き刺さる。
リクは肩を震わせずに言った。「学校へ行って、僕が直接話す。子どもたちと会いたい」
城の通りは朝の光の中でも緊張していた。徴募の書を携えた役人たちが石段を上がっていくのが見える。子どもたちの遊び声は、刻々と用途のわからない紙のために消えていきそうだった。リクの足は自然と速くなった。胸の内で、前世の記憶が警鐘を鳴らす。法律だけでなく手続きを正確に踏むこと。何より、その場にいる子ども自身の声を聞くこと。ただそれだけが、彼のやるべきことだと。
学校の木の門を押すと、砂埃に混じって子どもたちのざわつきが襲ってきた。制服のない子どもたちの服はさまざまだが、顔は等しく茫然としている。黒板の前に立つ佐江子先生が、リクを見るとようやく微笑んだ。子どもたちの中に、ミナがぴょこんと頭を出した。彼女の手には、小さな白い紙が握られている。折り目が何度もつけられているその紙は、誰かに見せられない秘密の巣のようだ。
「殿下、お待ちしておりました」佐江子が軽く言う。「役人はこの後、『名簿の確認』という形式で回ります。書類に署名が必要だと。立場上、学校長や保護者の承諾に基づいて進める模様です」
彼女の言葉の裏に見えるのは、大人の取り繕いだ。リクは一歩前に出て、低い声で言った。「それは──子どもたちの暮らしと体と未来を変えることなんだよね? 今日のその書類で、明日からどこかへ連れて行かれるっていうの?」
「ええ──その可能性が、あります」佐江子の声は震えた。「戦役の準備をすると言って、働き口として子どもを徴用する例が出ていると。とにかく、まずは名簿の整理と公的な確認を行うというものです」
教室の隅で、年齢の小さな子が手を挙げた。髪を前で結んだミナだ。彼女の目は、言葉を探している。子どもらしい震えがその声に乗る。
「王さま……ぼくたち、今日だけでも、行かなくていいですか?」
その一言が、教室の空気を押しつぶした。大人たちの顔が一斉に動き、先生は口をとがらせ、侍従の一人がすっと前に出ようとした。しかしリクは、その手を制した。記憶がはっきりと告げる。自分の能力は、十歳より年下の者が自分の意思で選んだ願いだけを王令として一日だけ形にする。だが、願いを誘導してはならない。誘導すれば王令は暴走し、使うたびに自分の年齢が一日進む--という代償があると。
彼は大人たちに目を向け、声を強めた。「誰も何も言わないで。ミナ、自分で言って。どんな言葉でもいい。僕はただ、聞くだけだから」
佐江子がぐっと息を呑み、教師たちの表情が固まる。役人の顔には薄い嘲笑が浮かんだが、リクの視線は動かない。ミナは小さく頷き、白い紙を開いた。文字ではなく、ぎこちないマークが並んでいる。恐怖や希望が折り重なったような、自分だけの言葉。
「……戦争に、連れて行かれませんように」
その言葉は祈りというより、子どもが自分で口にした実感だった。誘導されない、ということの確かさがあった。リクは、胸の中でなにかが弾けるのを感じた。これが許される、というわけではない。だが今ここで、子どもの自発的な願いがある。彼は深く息を吸い、声を出した。
「よし。ミナの願いを、王として受け取る」
言葉は空気を割った。教室の窓の外で、役人たちが書面を開く音がしていた。リクは自覚的に、願いの言葉を強く抱え込むように思い込む。以前の人生で学んだことが働く。形式と手続きを踏むこと。だがここは王の短絡的な行為で、法律の穴を一日だけ埋めることができる場所でもある。
その瞬間、何かが撥ねるようにして世界が変わった。教室の黒板に掲げられていた通達の紙の字体が、淡く波打つ。外の役人が、手に持っていた名簿を見つめ、眉をきつく寄せる。足音が止まり、空気の重さがずるりと別の方向へ流れた。門前に立っていた徴募係が、その場で小さな札を引き抜いて、ためらいなく折り畳んだ。誰かが口を開き、紙の上の印章を確認する。子どもたちの間に、戸惑いと驚きがごちゃ混ぜに広がる。
「今日のこの学区に属する者はいかなる兵役にも従事させない──一日限り。王の命令とする」
その言葉が外に出る前の、まだ紙と空気だけが震えている時、リクの胸がぎくりと痛んだ。記憶が喚起する代償の重さを、彼は初めて身体で受け止めたのだ。小さな違和感が、首筋から肩にかけて生まれる。朝の軽さの代わりに、どこか一点に緊張が残った。指先が少しだけ震え、視界の端にあった窓枠の塗れ具合が微妙に歪んで見えた。
誰もそれを言葉にしない。大人たちは結果のみを見て、喜びと混乱の中で互いに視線を交わした。子どもたちは歓声を上げ