天気屋

天気屋 第8話「第7章」

風が、塔の方角から冷たく吹き下りてきた。アオは足元の石段に片膝をつき、目を細めて塔の上端を見上げた。鉄の骨組みが風を受けてきしむ。塔のてっぺんで、風見鶏が静かに止まっている。回るべきものが、回っていない。

風が、塔の方角から冷たく吹き下りてきた。アオは足元の石段に片膝をつき、目を細めて塔の上端を見上げた。鉄の骨組みが風を受けてきしむ。塔のてっぺんで、風見鶏が静かに止まっている。回るべきものが、回っていない。

「戻してくれればいいだけなんだろう?」とダンが唇を噛みながら言った。いつもならぶっきらぼうな言葉の端に冗談が混じるはずだが、今日は声の奥が固かった。ダンは地図も方角も嫌いだと公言する男だ。山では自分の足と嫌味を頼りに生きてきた。塔が止まっているということは、目に見えない地図――空の動きを刻む機械が止まっているということだ。彼の眉間に、納得の皺が寄った。

ミツは肩から小さな金属のかごをぶら下げていた。雷を集める器具の代わりに今日は手持ちの小型はね板を持って、塔の根元で踵(きびす)を返すようにして風を調べている。短く切った黒髪が風に揺れて、彼女の目は一層大きく見える。彼女は塔を指差して、真っ直ぐに言った。「何か触られた形跡がある」

アオは答える代わりに腕を伸ばし、塔の基部に貼られた板の一片を指で撫でた。そこには、薄く白い粉のようなものが付着している。彼の指先に感じたのは、塗料の剥がれではなく、誰かがわざと色を削ぎ落としたような冷たさだった。風見鶏の羽根にも、色がない。金属の素地が露出して、そこだけまるで情熱の抜け落ちた顔のように見えた。

「色を落とすって……何のために」ミツが小声で呟いた。

アオは目の奥で何かが浮かんだ。風見鶏の色が消されている。観測の標として、色は目印であり、データの可視化の一部だ。色がなくなるということは、誰かが「ここで見るな」と言っているか、あるいは観測そのものを無効化しようとしている。塔の歯車を止めたのは風や錆ではない。誰かの意図がそこにある。

「中を見せてもらえるか?」アオの声は、いつもより慎重だった。彼は自分の能力を何度も行使してきた。空に一枚の「明日の天気図」を描けば、その地域の天候は一晩の間だけ確定する。便利だが、何かを消すことはできない。災害を消す力ではない。書き換えるためには自分の眠りを差し出さねばならず、眠らずにもう一度書き換えるたびに、人の表情を色として識別しにくくなる。ここ数日、夕方になると顔の赤みが判然と見えなくなり、誰が怒っているのか、笑っているのかすら声と身体の動きでしか判断できなくなっている。今は極力能力に頼りたくない。睡眠が足りないと、声や仕草の読み取りまでズレる。人を説得するには、顔を読めた方が都合がいい。

ダンは頷いて、塔の木製の扉に手をかけた。扉は重い。古びた鉄の蝶番が軋み、隙間から冷たい空気が漏れる。ダンが扉を押し開けると、中は暗く、鉄の匂いと煤(すす)とを混ぜたような匂いが鼻を突いた。階段はらせん状に伸び、上へと続く。光は途中の小窓からしか差さない。塔の内側には古い観測器具がいくつか残されているが、どれも動いていない。振動を感じ取る櫓(やぐら)の中心に据えられた大きな車輪が、無情に静止していた。

手がかりを探しながらアオは上へと登る。階段の一段一段に、かすかな新しい痕跡が残っていた。金属の締め具に黒い染みが付着している。油に混じった煤のようだが、よく見るとその染みの上に小さな真鍮の札がねじ止めされている。札には、見慣れた紋が打たれていた。王都の紋――気象省のそれに似た、抽象的な渦巻きと剣先が交差する図。アオは身体の芯が冷たくなるのを感じた。誰かが正式に、ここを「停止」させる命令を下したのだ。

「これ……命令札だ」ダンが吐き出すように言った。手のひらに札を乗せ、彼の指先が震えた。ダンの感情はいつも素直だ。怒りが滲んでいる。山の守りは武器や地形だけでなく、約束と信頼で成り立ってきた。外から来て「停止」を命じる札は、約束を踏みにじる紙切れのように思える。

だが札には刑罰が込められているのかもしれない。アオは視線を巡らせる。塔の中心にある観測機の回転軸には、金属の輪が嵌められていた。輪は固く締められ、回せないように棒で止められている。棒にもまた、小さな刻印がある。介入の痕跡だ。無骨な工作の跡が、力ずくで機械を「殺す」ために行われたことを示していた。

「自分たちで直せるか?」ミツが不安そうに言った。彼女の手元の小道具が小さくビリリとした。雷を扱う女の子の手先は器用だ。だが彼女も、ここに残されている札や印の前では力を誇示できないでいる。

「直すことはできる。だが――」アオは言葉を詰まらせた。直せるかどうかは器用さと時間と道具の問題だ。だがこの塔を勝手に動かすと、王都の恣意(しい)で押しつけられた秩序に対して「抵抗」することになる。下手に動けば、村全体が王都の目に留まる。それは住民の安全を損なうかもしれない。アオは塔の内側で見つけた札を掌で包み込み、冷たさを抑えようとした。

「それなら皆の手で直すべきだ」ダンが低く言った。「外の者だけで直すのは、山の掟に反する」

言葉に、ダンの生き方が滲む。自分たちの生活は自分たちで守るという単純だが強固な論理。アオはそれを否定できなかった。塔は「観測」を成すためのものだ。観測は、誰がやるかで価値が変わる。外側の官吏がやる観測は、いつか政治の道具になりかねない。ここを動かすなら、ここに住む者の合意がいる。だが合意は簡単に生まれない。過去に王都の観測がもたらした誤りや強制移住の噂が、村には根深く残っている。

外で、羊飼いの一家が立ち尽くしているのが見えた。父は杖を抱え、妻は手を胸に当て、子どもはアオたちをじっと見ている。彼らの表情の色は、アオにはむしろ同じ薄色に溶けて見えた。罹災の記憶は色を奪う。アオはそのことに胸が締めつけられた。自分の顔の読み取り能力が劣化しているのは事実だ。相手の脆さを直に見抜けず、言葉だけで繋がらねばならない。

やむなく、アオは外へ出て、羊飼いの父に歩み寄った。歩幅は遅く、靴底の石を思わせる音が足元で鳴った。父は彼を睨む……ように見えたが、それが怒りなのか警戒なのかは色で判別できない。アオは声の野太さ、肩の張り具合、目の伏せ方で読み取るしかなかった。

「ここは……どうしました?」アオはできるだけ静かに、そして正直に言った。「塔の観測が止まっています。戻せれば、皆さんが空を見るための手助けになります。王都の命令札は確かにあります。ですが、観測が戻れば、白嵐だけが全ての答えではないと、皆で確かめられる」

父はしばらく黙っていた。風が彼の帽子の縁を撫でる。子どもが小さな声で「白嵐ってなんだ?」と訊いた。アオは子どもの目を逸らさないように努め、簡潔に話した。「風や雲は、いつも同じではない。私たちがちゃんと見れば、避ける時間が作れる。塔はそのための目なんだ」

だが言葉はすぐに痕跡を残して消える。父は目を伏せた。地面を見つめるその動作が、拒絶でも賛同でもないように見える。彼は肩をすくめる。ある種の疲労が、彼を動かないようにしているのだ。

「王都の命で止められたのなら、俺らが動いたら報復が来る」父の言葉は現実だった。そこにあるのは恐れだ。恐れは色を抜く。アオは、顔の色ではなくその言葉で彼の意志を読み取った。守るべき対象――山に住むこの人々の生活――を守るためには