不死者の宿屋

不死者の宿屋 第18話「第16章」

朝靄が宿の屋根を薄く覆う頃、カイは鍵箱の前に立っていた。細い指先が、楔のように並んだ小さな金属の輪をなぞる。右から五つ――常連の客室の鍵。六番目だけが色合いを変え、古びた硝子のように深く光を吸い込んでいる。そこに触れた瞬間、手の中に冷えを感じる。触れてはいけないものに触れるような感覚が、胸を鋭く突いた。

朝靄が宿の屋根を薄く覆う頃、カイは鍵箱の前に立っていた。細い指先が、楔のように並んだ小さな金属の輪をなぞる。右から五つ――常連の客室の鍵。六番目だけが色合いを変え、古びた硝子のように深く光を吸い込んでいる。そこに触れた瞬間、手の中に冷えを感じる。触れてはいけないものに触れるような感覚が、胸を鋭く突いた。

「また見てるのかい、坊や」

背後からベラの声。白髪混じりの長い髪をきっちり後ろで束ねた給仕長は、朝食の用意を一瞥すると腕組みしたままカイの横に寄った。ベラの目は、宿の隅々を知る老練な灯りのように澄んでいる。

「六番目のことか。毎朝お前を見るたびに顔が曇るな」

ベラの唇がわずかに上がるが、笑いはすぐに消えた。隣でアニカが、粗末な木製の剣で稽古を止めてやって来る。まだ若い騎士の鎧の跡はないが、肩の張りは戦場を嫌った者のそれだった。アニカは鍵箱を覗き込んで、短く吐息を漏らす。

「どうするつもり? 封印されたままってわけにもいかないでしょう。イグナの動きが止まないうちに、解明しておきたい」

「解明って言っても……」カイはつぶやく。言葉に色がないのは、まだ自分の中で仮説が確かめられていないからだ。宿の能力――客が鍵を預けた部屋に限り、眠れない理由を夢の風景として一晩だけ具現化できる。宿主は夢に入ることはできず、同時に開けられる部屋は五まで。もし夢を壊せば、客の大切な記憶まで薄れていく。これが彼のすべてであり、同時に縛りでもある。

「僕が触っても反応しないんだ。六番目だけは、どうやっても具現化できない」。カイは鍵をそっと抱えた手を開き、指の間でそれを転がす。「これが宿主に触れられない――ってことだとしたら、何を示しているのか」

バロが低く鼻を鳴らした。老犬霊はいつものように宿帳の上に顎を乗せ、薄い硝子のような目で三人を見つめる。バロの存在はこの宿の重しであり、宿帳を守る役割そのものだと誰もが知っている。だが今朝のバロの目は、いつもよりずっと深い哀しみをたたえていた。

「記録を当たるのが先じゃないか」ベラが提案した。「過去の宿主たちは鍵の取り扱いをどうしていたのか。もしかすると、六番目が『使われなかった』理由が書き残されているかもしれない」

「そうだな」アニカがうなずく。「ただし、今は軍が近い。無暗に外へ出して資料を漁るのは危ない。宿の中にあるものだけで調べよう」

カイは鍵を元の位置に戻し、三人と一匹で小部屋へ向かった。隠し戸棚、その奥の古い箱。カビの匂いが鼻を打ち、紙の端が指先を刺す。過去の宿主たちが残していった帳面、礼状、封印された日記。バロが鼻先で一つの革綴じを押し出すと、古い字が踊り出た。

「……十九年前、最後の灯明祭以降、六番目は封じられた。宿主の手で触れるべからず。名を持たぬ者のために空け置け」

文字はぎこちない筆跡で、ところどころ墨が滲んでいる。カイは読み上げる。目の奥で、不思議な熱が燃え上がるような気がした。封じられた理由は曖昧だった。だが別の一枚に、もっと奇妙な記述があった。

「宿主が六番目を開けた記録はなし。最後に鍵を箱に入れたのは宿主自身と見えるが、宿帳に記名なし。名なしの滞在者、註記にて『自ら入らず』」

ベラの指先が震える。アニカは表情を固くし、バロは薄く吠えた。記録の矛盾が、読み上げるほどに口の中で砂を噛むように味を変えていく。宿泊者の記録と鍵の記録が噛み合わない。誰が鍵を預け、誰が鍵を持ち帰ったのか。六番目に関連する行だけが、白く抜け落ちているのだ。

「宿主が自分のために鍵を入れた、けれど自分では開けられない……ってことか?」アニカが声を落とす。刃を磨く手が止まったまま、彼女はその可能性を咀嚼している。

「つまり、六番目は宿主の夢を示しているんじゃないか」カイが口をつぐまずに言った。その言葉には確信のきらめきがなく、仮説の試掘さながらだった。「宿主の──つまり、ここを守る者の、入れない夢。宿主自身は見られないもの。それを、他者の手によってだけ開く鍵がある。だから宿主が預けても自分で開けられない」

ベラがゆっくりと顔を上げる。「もしそうなら――六番目は宿主にとって最も私事で、最も危険なものね。だから記録は抹消され、みんな触れたがらなかった」

「そして……もし誰かが誤ってその夢を壊せば」アニカの声には、剣士らしい冷厳さが混じる。「宿主の記憶が薄れる。宿の根幹そのものが揺らぐ」

三人は言葉を交わさずに、革綴じを囲んで考え込んだ。外では町の鐘が三度鳴り、兵の足音が遠くで踊っている。宿は守るべき存在の集積だ。戦没者を待ち続ける家族、宿から出られない名もない不死者たち。カイはその中核に立っていたが、いつの間にか「宿主である自分」そのものに触れるべきではない何かが重く沈んでいる。

「調べよう」ベラが決めたように言った。「過去の宿主が何をしたのか。誰が『名なし』として記されているのか。鍵や帳の痕跡を辿れば、六番目がなぜ触れられないか、手がかりが出るかもしれない」

カイは肯き、持っていた鍵を再び見つめた。指の間で、六番目が冷たく反射する。触れてはいけないものという感覚は消えないが、恐れだけで後退するわけにはいかない。灯明祭が近づく。イグナの策謀が街を脅かす前に、彼はこの宿の核に迫らねばならない。

午後には、近隣の古老を訪ねることになった。ベラは客の世話をし、アニカは外の見回りを続ける。バロとカイは古い帳面を持って裏書庫へ戻った。そこには以前の宿主の名簿、風化した写真、そして奇妙な印が押された小さな封筒が一つだけ、隅に置かれていた。封筒は蝋で封じられていたが、蝋には犬の爪痕のような跡がついていた。

「バロ……」カイが囁くと、犬霊は軽く尾を振る。彼は宿帳と同じくらいにこの場所を大切にしている。カイは封筒を開ける。中には薄い紙切れと、短い一枚の葉書が入っていた。葉書には、一行だけ――

「もしも私が名を忘れたなら、名を取り戻してくれる人がいるかどうか試してほしい」

署名はない。だが紙の端に、かすかな肉球の跡が残っていた。インクで濁った跡は、バロの前足の先端に似ている。カイの胸が強く脈打った。

「名を取り戻す……か」ベラが読み上げる。「宿帳の空白と繋がるわね。名なしの滞在者たち。もし六番目が宿主自身の夢だとしたら、その夢に名前を刻むのは誰か、ってことになるじゃない?」

「誰が書けるのか」アニカの問いは鋭い。外が騒がしくなってきている。軍の偵察が頻繁になった。時間はない。

「名を持たぬ者が、自分で名を書くことができるのかもしれない」カイは低く呟いた。「それができれば、六番目は開く。宿主が触れられないのなら、宿主以外の――たとえば名もない滞在者自身が、その名を書く行為で扉を開けるんだ」

言葉にするほどに可能性は現実味を帯び、同時に恐れも深くなる。名もない不死者が自らの名を書くということは、自分の存在を承認することだ。それは別れを選ぶ行為にもなり得る。しかし、その行為がどんな代償や痛みを伴うかは、誰にもわからない。

「試すつもりか?」アニカの目は真っすぐだ。剣士はいつだって結果を求める。

「まずは確かめたい。過去の宿主が『自ら入らず』と記した意