騎士団の悪役令息は失踪した王女を探す

騎士団の悪役令息は失踪した王女を探す 第16話「第14章」

朝靄が騎士団本営の石畳を薄く覆っていた。泥に混じる藁の匂い、鎧がきしむ油の匂いが混ざり合い、遠くで馬がいななく。ユリオは手袋の指先で蒼鋼騎士団の大旗に残された裂け目を探った。裂け目の内側に、刺繍された布片が縫い込まれている。表からは見えない、黒い裏地だ。

朝靄が騎士団本営の石畳を薄く覆っていた。泥に混じる藁の匂い、鎧がきしむ油の匂いが混ざり合い、遠くで馬がいななく。ユリオは手袋の指先で蒼鋼騎士団の大旗に残された裂け目を探った。裂け目の内側に、刺繍された布片が縫い込まれている。表からは見えない、黒い裏地だ。

「こんな縫い方、普通はしない」リアの声が低く響いた。彼女は団の外側を仕切る書記役だが、目は戦士のように鋭かった。跡はまだ新しく、刺繍は丁寧に隠されている。誰かが意図的に旗の内側に別の紋を仕込み、必要な時だけ露出させるつもりだったのだ。

向こうに、手かせをされた一人の中年の下士官が立っていた。彼の息遣いは荒く、唇にかすかな血が滲む。あの者が口を割れば、王女の行方に繋がる──ユリオは確信していた。しかし下士官はぎりぎりのところで黙り込み、騎士団の古い掟を盾にして口を閉ざした。

「掟は掟だ。団の裁は団内で決める。外の者に話せはしない」

その言葉に、一瞬、空気が固まる。掟という名の鎖が、真実を覆い隠している。王女の失踪に関わるならば、掟は証言を封じる免罪符にもなり得る。ユリオは見た。胸に結わえた小さな革札──古い紋璽を留めるための帯が、無意識に触れていた。彼が使ってきたのは、古制度文書の矛盾を当事者全員の同意で読み替える交渉、称して「条解(じょうかい)」の技法だ。だが今、下士官も団側の者も同意しない。時間はない。ユリオはその場で決めた。

「同意がなくても、真実を引き出す」彼の声は静かだったが、その静けさに確かな命令が含まれていた。

リアが彼を見た。瞳に驚きと警告が同居している。「ユリオ、それは――」

「分かっている」ユリオは言葉を切ると、革札に指先を押し当てた。札の表には、彼の一族が代々保管してきた古文書の写しが小さく折り畳まれて挟まれている。彼はその条文を嘴のように剥がすように読み上げた。声は穏やかだが、その言葉は紐のように場の現実を結び直す。

「『団の裁は原則として団内で行う。ただし、団の裁が公の善を阻害するときは、外部の合意によりその裁を再解釈し、必要な措置を講ずることができる』――と、写しは言う。だがここに、『外部の合意』が欠けている。私はその欠落を補う。」

ユリオは、欠落そのものを言葉で埋めた。だが掟を勝手に塗り替える行為は、これまで彼が慎重に守ってきた一線を越えるものだ。交渉にはいつも「当事者全員の同意」が要った。彼はその同意を擬似的に作り上げた。ユリオの手の中で革札がほんの一瞬、暖かく震えた気がした。

「代償を覚悟しろ」リアが低く告げる。彼女は彼の行為の代償を、冷徹に理解していた。ユリオは唇を噛み、目を閉じる。

「覚悟している」

言葉は終わると同時に、聞こえない力が走った。石畳を鳴らす風とは違う鈍い衝撃が胸腔を貫く。ユリオは膝を半ば折り、革手袋を握り直す。感覚が一つ、欠けたように感じられる──彼の選択肢の一つが、そこで落ちて砕けた。

「――騎士叙任の資格を剥奪する」

誰が言ったのか分からない。だが団の長老の章句が刻まれた札が、彼の胸の内でぱりりと裂ける。ユリオは生暖かい痛みを感じ、そこに一瞬だけ青黒い模様がよぎるのを見た。目の前の世界が少し、音色を変える。馬のいななく声が遠く、鼓動は近い。リアは自分の手を彼の肩に置き、冷たく笑った。

「代償は取り戻せない。条解が『一方的な決定』を認めたなら、その代償は――規約が示す通り、その者の将来の選択肢の一つを失わせる」

下士官が初めて口を開く音は、飴のひび割れる音のように、薄く、現実を裂いた。

「紋旗……紋旗派が、王女を取り去った。蒼鋼の内に、もう一つの縫い目がある。団旗の裏に黒い裏地を縫い付けて、救出や取り扱いを必要に応じて『正当防衛』として覆う。王女はその裏地に縫い付けられたようなもので、目立たぬように移された──私が見た、夜の馬列、黒布で包まれた人影」

言葉は短いが、重い。それは、騎士団内部の一派が計画的に王女を取り、表の任務を隠れ蓑にしていたということを意味していた。ユリオの指先が裂け目の布を強く掴む。布の裏側で黒い刺繍が、まるで血を吸うように暗い光を放った。

「紋旗派だと? なんという名の連中だ」リアが詰め寄る。

「派の名は密だ。紋の下に『裂』という字を縫い込むと聞いた。蒼鋼の紋に、裂けた剣の陰影を――」

言葉の先を、ユリオは聞いた。その「裂」の語が、団の幾つかの古い慣習と繋がる。彼は震える手で、もう一度革札を摘んだ。代償で失った何かが、冷たく胸の奥で固まっている。騎士叙任の資格を永遠に失ったわけではないかもしれない。だがそれは、彼のこれから選べる道から「騎士として正面から団に向き合う」という選択肢を奪った。

「これを公にすれば、団は割れる」リアが囁く。「公にしなければ、裂け目は広がる。どちらを選ぶ?」

ユリオは目を閉じ、下士官の言葉を繰り返す。黒い裏地。裂けた剣。紋旗派。言葉は確かな糸となり、彼の脳裏で地図を描き始めた。自分の持つ残りの選択肢をどう分配するか。失ったものは戻らない。けれど真実を隠しては王女は戻らない。

「まずは証拠を固める」ユリオは静かに言った。「これを単なる噂で終わらせては駄目だ。蒼鋼の内部にある痕跡を公に示して、騎士団を分断させる。分断が起きれば、紋旗派は動きにくくなる。だが……」

リアは彼に向き直り、光のない目で頷く。「あなたが騎士になれなくても、私たちは動く。他の手段で、騎士団を裂くことができる。だがそのためには、外の協力が必要だ。公の場での合意が欲しい。民衆の前で、掟を問い直す場を作る。あなたは――」

彼女の言葉は止まる。ユリオは自分が今、二つの路に立っているのをはっきりと感じた。一方は隠密に動いて王女の行方を追う道。もう一方は、公の場で制度そのものを議題にする道。後者はユリオが志向してきた「当事者全員の合意」に近い。だが彼はもう、騎士として堂々と壇上に立てはしない。裏切り者として見られることもあるだろう。

「私が提示するのは、もう一つの合意の形だ」ユリオが低く言う。「当事者に手を貸す者たち——民、商人、そして被支配層の代表。彼らの同意で条文を読み替え、蒼鋼を公的な議題に引き上げる。そして騎士団の内部告発を可能にするための一時的な保護をつくる。これが通れば、紋旗派は暴かれる。王女の行方を追う手が広がる」

リアの肩がぴくりと動く。彼女の口元がわずかに上がる。だがすぐに真剣な影が戻る。

「だがその『合意』を作るには、あなたが失ったものの代わりに、誰かが自らの選択を差し出す必要がある」

ユリオは自分の胸に手を当てる。代償は既に彼のものを一つ奪った。今度は誰もが自主的に何かを差し出す時だ。団は、制度は、被支配層は――選ぶことを取り戻すために。

下士官は、息を吐き、顔色を変えた。「もし……公の場で問われることになれば、私は――私の名も、私の家も、傷つく。だが王女様が戻れば、赦されるかもしれぬ」

「赦しはもらうものではない。作るものだ」ユリオは言った。リアの目が光った。彼女は橋を渡る決意をしたように、自分の腰にあった巻物を掴んだ。それは、街の職民代表と接触するための招集状だ。彼女の指は震えていたが、動き