卒業制作室で成績優秀な落第生は一緒に休むことを覚える

卒業制作室で成績優秀な落第生は一緒に休むことを覚える 第22話「第20章」

電灯の冷たい光が、卒業制作室の床に細長い長方形を落としていた。切削屑の匂いとタルクの粉が空気を満たし、機械の低いうなりが壁に吸い込まれる。高原颯太は、薄く削った合板の縁を指先でなぞりながら息を吐いた。手のひらに残る木の粉と、昨日の夜に貼った金属の継ぎ目の冷たさ。三崎雪乃は横で糸ノコを置き、颯太の顔を真剣に見つめていた。椎名翔は設計図を胸に抱え、池田咲が入口の方をちらりと窺う。

電灯の冷たい光が、卒業制作室の床に細長い長方形を落としていた。切削屑の匂いとタルクの粉が空気を満たし、機械の低いうなりが壁に吸い込まれる。高原颯太は、薄く削った合板の縁を指先でなぞりながら息を吐いた。手のひらに残る木の粉と、昨日の夜に貼った金属の継ぎ目の冷たさ。三崎雪乃は横で糸ノコを置き、颯太の顔を真剣に見つめていた。椎名翔は設計図を胸に抱え、池田咲が入口の方をちらりと窺う。

「明日だね」雪乃が言った。声は静かだが、工場用換気扇の音の下で確かに届いている。

颯太は頷いた。木の一節を削って出来た小さな曲線──二人が共同で作った短い肘掛け。そこだけ、いつもと違う感触が残る。彼の能力はそこに働いた。共同で作ったものにだけ、二人の息遣い、指の震え、嘘のない間合いが痕跡として残る。それを「読む」ことは出来ない。触れると、断片が匂いになり、色になり、微かな鼓動として手の中で震えるだけだ。

「触る?」雪乃が手のひらを差し出す。颯太は深く息を吸って、肘掛けに指を置いた。温度がほんの少し上がる。乾いた木の匂いと、雪乃のシャンプーの匂いが混じり合い、胸の奥に柔らかな波が押し寄せた。言葉ではない。確信や結論でもない。「ここには一緒に休んだ跡がある」とだけ彼は思った。

「これを見せたら、どうなるかな」椎名が言った。紙の端を指で押さえながら、彼の目に小さな不安が光った。校内はすでに二分されている。評価という秩序を守りたい側は、制作物を点数化し秩序に還元しようとする。颯太たちはその圧力の前で、制作の余白に人が休めることを残そうとしていた。

足音が近づいて、入口の扉が勢いよく開いた。学生会長の白井と、その取り巻きが人数を連れて入ってきた。肩書を背負った空気が、部屋の音を一瞬だけ凍らせる。

「高原、三崎。これ以上の実験は許可するわけにはいかない」白井が言った。言葉には、校内秩序を守らねばならないという身体性があった。

「私たちの展示は、ただ休むための場です」雪乃が即座に返した。だが白井の手にはタブレットがあり、彼は冷たく笑った。「『休む』というのも評価対象だ。証拠を提出してもらおう。あなたたちの共同制作物に残る『痕跡』が、個人の関係性を示すかどうかを、客観的に計測する必要がある」

白井の取り巻きが肘掛けを指差す。頰にまで冷たいものが這うような気配があった。颯太はその瞬間、自分の中に焦りが湧くのを感じた。説明より先に、白井の熱意を止めなければと思った。「いいから見せればいい、ここにあるのはただの木だ。学則に従って計測するだけだ」

「計測だって?」椎名が熱を帯びる。「お前らはそれを、誰かのプライバシーを商品化するために使うつもりだろう」

白井は肩をすくめた。「ルールだ。誰にでも平等に適用される」

颯太の胸が縮む。平等、秩序。言葉だけで人を図る冷たさ。彼は考えた。もし自分がこの痕跡を説明すれば、白井はそれを秩序の言葉に変換する。そうすれば、痕跡は評価という名の刃に変わり、休むことを望む者たちの選択肢は奪われる。だが説明しなければ、白井はその空白を勝手に埋めるだろう。どちらの結果も怖かった。

「――これは、ただの休むための痕跡だ」颯太は口を開いた。低く、確かな声で、彼は自分の心の輪郭を定めようとした。言葉は自分の中を通って外へ出た瞬間、肘掛けの木目が鈍く鳴った。温度が急に下がり、先ほど感じた波が引いていくように、何かが消えた。

「何だと?」白井が詰め寄る。取り巻きが肘掛けに触れようと手を伸ばした。

颯太はあわてて手を引いた。その瞬間、木の縁が鋭い音を立てて裂けた。割れた断面が彼の掌を切り、熱い痛みが走った。血の味が口に戻り、目の前が滲む。木屑が粉雪のように降り、床に散った。

「逃げろ!」椎名が叫び、白井に詰め寄る。取り巻きたちが後退し、雪乃は颯太のもとに駆け寄った。彼女の手が彼の血まみれの掌を包み、冷たい布を差し出す。血の匂いと消毒液の匂いが混ざった。

「ごめん、ごめん……」颯太は震えた声で呟いた。決めつけた瞬間、痕跡が「見えなく」なった。それだけじゃない。木が壊れ、自分の手が切れ、胸の奥に鋭い疲労が落ちてくる。能力の代償が、いつもより深く、身体に触れた。

雪乃は手袋を脱ぎ、指先で彼の額に触れた。冷たい。彼女はゆっくりと息を吸って、颯太の手を肘掛けに戻した。二人の指先が同じ場所に触れた瞬間、部屋の空気が変わった。割れた断面が静かに舌打ちのように鳴り、木目の間から柔らかな光が差し込むような感触が戻ってきた。ただし、それは白井たちが期待した「証拠」ではなかった。そこにあるのは外から測れることを拒む、二人だけに解ける息のひだだった。

「……外には見せられない」雪乃が小さく囁いた。声には決意と恐れが混じっていた。白井は苛立ちを露わにするが、何をどう計測すればよいか分からないらしく、一歩引いている。

「いまはこれ以上触らないでほしい」池田が言った。彼女は入口の方へ向き直り、ポケットからスマートフォンを取り出した。画面には複数のファイル名が並んでいる。彼女の呼吸が荒い。椎名の腕が緊張で震えていた。

颯太は膝をついたまま、雪乃の指先の温度だけを頼りにしていた。血がじわりと布に染みていく。視界の端で白井が誰かに話しているのが聞こえる。彼は遠くで、「これは計測に回す」「学則に則る」と繰り返している。秩序という言葉が、人の手を動かし、物を奪おうとする。

「これを、明日の集会でどうするつもりだ?」椎名が池田に詰め寄った。「ただ抵抗するだけで終わらせるのか?」

池田は画面をひとしきり睨み、息を吐いた。「終わらせない。改変案を提出する材料が必要だった。けど、私が見つけたのはこれ――」彼女はタブレットを振る。そこには、かつてこの学部で交わされた古い文書のスキャンが表示されていた。表紙は黄ばんでいて、上に大きく「評価運用指針」と書かれている。

「これは……?」雪乃の指先が震える。

「この校内ルール、痕跡を評価対象にする正式な根拠がここにある。五十年前の委員会の議事録だ。関係を秩序化して評価することで、美術教育の『効率』を上げる、と書いてある」池田は早口になった。「つまりこれは、個人の選択を奪うために作られた制度だって証拠になる。撤廃を主張するには、これで十分だ」

白井の顔が硬直した。取り巻きの一人がタブレットの画面を凝視する。「そんな古い紙切れで……」

「でもこれがある限り、彼らは理屈を振りかざしてくる。明日の集会で、私がこれを学内に配布する。誰もが目にすれば、隠せない」池田の眼差しは冷たかった。彼女は決めたようにタップして、文書を複数の学生グループのチャットにアップロードした。通知が部屋中の空気を震わせる。

その瞬間、ドアの外で足音が増え、スマートフォンの通知音が連鎖的に鳴った。白井は顔を真っ赤にして顔を伏せた。秩序の側が、ここでの独占を失いつつあるのを感じ取ったのだ。

颯太は立ち上がろうとしたが、全身に鉛が張りついたように重かった。能力の代償が、血の冷たさだけでなく「読めない時間」を体に刻んでいた。触覚は鈍く、共同で作ったものに宿る残響が遠ざかる。雪乃の声だけがはっきりと耳の中に残っていた。