海辺の放送部で期限つきの恋人役は別々の未来を応援する 第3話「第2章」
「今期は、数字を取らないと部の存続も危ない」と、放送部の部長・楠田瀬良(くすだ せら)はテーブルを叩いた。窓越しに見える海は午後の光を受けて銀色の波を立てている。床に散らばったケーブルと、発泡スチロールの小さな防風板の匂いが部室を満たしていた。
「今期は、数字を取らないと部の存続も危ない」と、放送部の部長・楠田瀬良(くすだ せら)はテーブルを叩いた。窓越しに見える海は午後の光を受けて銀色の波を立てている。床に散らばったケーブルと、発泡スチロールの小さな防風板の匂いが部室を満たしていた。
「センセーショナルなゲストとか、恋バナ特集とか?」と、脚本担当の花崎(はなざき)が白い歯を見せる。カメラ係の有馬(ありま)は携帯を弄りながら眉を上げた。「でもそれ、誰がやるの?」
白雪(しらゆき)は、机の端で髪を耳にかけながら静かに答えた。「私は……過去の好きな曲を二人で編集して、思い出の音を紡ぐみたいなコーナーがいい。嘘っぽいドッキリより、素直なものの方が、聴いてくれる人に残ると思う」
湊(みなと)は、その言葉に軽く息をついた。白雪の提案は地味で、けれど確かに海の近くにある放送部らしかった。楠田は考え込むように顎に手を当てた後、肩をすくめた。「他に案がないならそれで行こう。だが、三日後には試作品を校内審査に出す。時間はない」
部の空気は一瞬で実務的になった。役割分担が決まり、湊には音声編集とロケのサウンド取りが割り振られた。湊はその任務を受け取ると、白雪と視線が合った。白雪は少しだけ笑って、鞄から古いカセットテープを取り出した。表面には小さく「2009 summer」とマジックで書いてある。
「これ、私が中学生のときに好きだった曲のカセット。湊くん、一緒に編集してくれる?」
湊は頷いた。編集は二人でやるものだと、心のどこかで感じていた。――共同で作ったものにだけ、痕跡が残る。湊は自分の能力を、まだ完全には言葉にできずにいるが、そういう仕方で信じていた。言葉にすれば壊れそうなルールを、彼は胸の内で守っていた。
放課後、二人は小さな防風スクリーンとマイクを背負って海へ出た。潮の匂い、湿った砂のざらつき、波打ち際で弾ける泡の音が近く、足元に冷たい海水の残りが引いた。白雪は膝を抱えて座り、カセットのスリットからヘッドフォンを外して風に髪をなびかせる。湊はブームマイクを構え、ウィンドジャマーが風切り音を和らげるのを確認した。
「今日は、波の音と、私が昔好きだったところだけ切り取って、それに今の声を乗せようか」と白雪が言う。声に含まれる遠慮が湊の胸に刺さった。
二人で同じ時間にキーボードに触れ、波のサンプルを並べる。そのとき、湊はふと、編集ソフトの波形に小さな曖昧な光を見たように感じた。気のせいかもしれない。湊は自分の能力について、自分以外にはほとんど話していない。だが以前、共同で作ったノートに残った文字の「余韻」を読んだときのことを思い出す。共同で触れた物だけが、触れた者の気持ちを少しだけ残す。そういう性質。
白雪がカセットプレイヤーをゆっくり回して、ある曲のサビを再生した。波音と合わさったメロディが風に溶け、湊はイヤフォン越しに聞いていた。白雪が口ずさむように指でメロディをなぞる。湊は手を伸ばして音声トラックの同じ箇所にマーカーを打った。二人の指先が同じキーを押す。そこに、小さな火花のような感触が湧いた。
あれは、共同で作ったときだけ見える痕跡だ——湊は確信した。波形の上に、淡い色で記された断片的な「記憶」。白雪の胸の中にある迷いと、過去への愛惜。湊はそのまま、そっと痕跡を読み取ろうとした。読み取るというより、波形が見せる匂いや色の断片から、白雪の心情を拾い上げる感覚だ。
指先が画面を触れた瞬間、時間がぐにゃりと曲がった。周りの波の音が一瞬だけ遠くなり、風のざわめきが遅く伸びる。白雪の口元が、まるでスロー再生のように動いた。その間、湊は足を踏み外し、岩の上で体重を崩した。重心の移動を取り戻せず、砂に足を取られて滑る。海水が膝まで来る感触が凍りついたように張り付いた。
「っ!」と、誰より先に白雪の手が湊の腕を掴んだ。冷たい海水が二人の間に飛び散り、白雪の掌の温かさが、湊の手首を掴んでいた。彼女の瞳は驚きと瞬間的な心配で大きく見開かれている。湊はそこで初めて、読むことの代償が自分の身体に作用することを知った。
「大丈夫?」白雪の声が、きりっと現実に戻る。湊は既に波の音が通常の速さで鼓膜を打つのを聞いた。手が震えている。
「……うん、滑っただけだ」湊は笑おうとしたが、口の端が引きつった。まだ肘のあたりが冷たく、時間が戻るときに胸が少し苦しくなる。白雪は彼をじっと見つめた。目の奥に、今は言葉にしていない不安が光っている。
湊は、小さな断片を切り取って、言葉にしないように努めた。言葉にすると、痕跡が消えるかもしれない。とっさに湊は把握したルールの一つ——「痕跡を決めつけるほど見えなくなる」。彼が白雪の気持ちを言い当てようとして確信を持つほど、波形の色彩は薄れてしまうのだ。実験めいた思いが頭を過ったが、白雪の手の温かさに当てられて、それを退けた。
「ごめん、気をつけて」と白雪は言った。指が少し緩んだ。湊はその隙に自分の胸の内を整理する。彼女の迷いは確かにそこにあった。進路に関する小さな不安、遠くに行きたいけれど置いてきたものが怖い、そういう揺れ。だがそれは「選択肢」であり、決定ではなかった。湊は自分の役割が、その選択を奪わぬようにすることだと、ぼんやりと思った。
作業に戻ると、楠田から送られてきたメッセージが携帯に届いた。『週末、校内審査。提出は夜までに台本と音源を一本』。それを見た白雪は息を吐く。「審査、もう間近なんだ……」
湊は編集ソフトを慎重に扱った。共同作業のテンポを乱さないように、彼は白雪に小さな問いかけをする。好きなフレーズはどこか、どの波の質感が記憶に近いか。白雪は最初は淡々と答えたが、次第に語り始める。中学生のころの夏にどのベンチで誰と座ったか、クラスで流行った歌とそれにまつわる匂い。湊はそれを、ただ繋げていく。雑にまとめれば作業は速いが、湊は急がなかった。共同で作る時間の濃度が、痕跡を保つと彼は学んでいる。
ところが、編集を終え、急いでファイルをバウンス(書き出し)した途端、再生が途切れた。音がところどころ飛ぶ。その瞬間、湊は部屋の中で感じたことのない冷たさを覚えた。自分たちが慌てて作った箇所の波形が、まるでこなごなに崩れている。二人で同じボタンを押していたはずなのに、部分的に音が欠けてしまっている。
「え?」白雪の眉が寄る。「ど、どうして?」
湊は編集履歴を遡って確認した。切り貼りを重ねすぎた箇所、急いでフェードを入れたところ。そこには、先ほど部長のメッセージで焦った自分たちの足跡が残っていた。共同制作は、急ぐほど壊れやすい。痕跡が失われるだけでなく、作品そのものが損なわれる。
「急いで仕上げようとしたからかな……」湊は言葉を濁した。白雪はそれをじっと見て、肩を落とした。「ごめん、私の提案で時間が足りなくなったのに」
「誰のせいでもないよ。ただ、また取り直そう」湊は笑って見せたが、その笑顔は疲れていた。自分が持っているものの代償を、これからどう扱えばいいのか、わからない。もし彼が安易に使えば、白雪の選択を誘導してしまうかもしれない。逆に使わなければ、彼女の悩みを抱えたまま見守ることになる。どちらも