紅砂鎧の庭師と火山教団 第3話「第2章」
風の音が煮えたぎるように耳朶を打つ。灰色の空からは細かい砂が舞い降り、ユウナの掌のひらに積もった。彼女は手首を返して、苗箱の縁に残った土を親指でこそげ取った。庭師の癖は、どこにいても抜けない。切り離された日常を埋めるように、指先は土の匂いを確かめ、湿り気を確かめる。だが今日は匂いが薄い。火山の呼吸が遠くで強くなっている。
風の音が煮えたぎるように耳朶を打つ。灰色の空からは細かい砂が舞い降り、ユウナの掌のひらに積もった。彼女は手首を返して、苗箱の縁に残った土を親指でこそげ取った。庭師の癖は、どこにいても抜けない。切り離された日常を埋めるように、指先は土の匂いを確かめ、湿り気を確かめる。だが今日は匂いが薄い。火山の呼吸が遠くで強くなっている。
「行くわよ、ユウナ! 放っておけないってば!」
ミナの声が裏庭から飛んだ。ユウナは苗箱を片手で支え、もう片方の手で赤い布を巻き始めた。布切れの下には小さな楔──紅砂の粒が包まれている。彼女はそれを掌で転がし、冷たい感触を覚えた。粒は砂よりも重く、何か錆びたような鉄の匂いを帯びている。
「待って、ミナ。大丈夫かもしれない」
ユウナは言葉を絞った。だが背後からまた別の声が重なる。子供の叫び声だ。――ハル。小柄な男の子が、集落の東側のテントに挟まれている。
「ハルが! 屋根が落ちた!」
レオが素早く飛び出した。彼の顔は泥と汗で汚れていた。彼は腕を伸ばして瓦礫を押そうとしたが、木材はひどく重く、何度押してもびくともしない。
「支えがいる。皆でやれば!」ミナが叫んだ。周囲の避難民が駆け寄る。だが手足は震え、誰もが同じことを考えていた──火山教団の手がいつ近づくか分からない今、無駄な人数を危険にさらせない。ここで大勢が集まれば、目立つ。だがハルの目は恐怖でぐしゃぐしゃになっていた。
ユウナの胸の奥で何か音が鳴った。――身体の奥にしみ込んだ前世の反射。危険な現場での判断は、彼女の血となり肉となっている。瞬時に作戦が組み立てられた。十秒で人を救う。だがそのためには、紅砂の力を使う。
紅砂鎧。彼女の掌にある赤い粒は、ただの飾りではない。だが、ルールがある。味方と共有した作戦だけを一度だけ具現化する。仲間の合意が不可欠だ。合意を無視すれば、能力は---敵にも作用する。単独で使えば代償がある。感覚の一部を奪われるという代償が。
ユウナは目を閉じた。ハルの顔が浮かぶ。泥まみれの小さな手。彼を失う想像は、何よりも重かった。仲間たちの声――温存すべきだという言葉、ここで使えば目立つという思慮深さ――それらがぶつかり合う。だが時間は残酷に刻む。
「ユウナ、どうする?」レオが息を切らしてきいた。砂埃が彼の髪に張り付く。視界の先で整列したテントが震え、薄い金属の支柱が軋んだ。
ユウナは布を外し、紅砂の粒を手のひらに広げた。赤い小石が無数の瞳のように光る。掌で撫でると、粒は静かにざわめいた。彼女は深呼吸を一つ、そして決めた。
「私がやる。合意は、ここで取る時間がない。――ごめん、皆」彼女の声は震えたが、はっきりしていた。
ミナが飛びつく。「ユウナ、待って! いま決めるって言ったじゃない!」
「ミナ、動け。ここに――」ユウナは割れた梁に手を当て、紅砂を押し付けるように掌を広げた。粒が一斉に弧を描いて舞い上がった。音は葉擦れにも似て、彼女の耳に鋭く刺さる。紅砂は指先から流れ出し、腕を伝って身体を覆った。鎧は砂の粒でできた薄い鱗のように連なり、光を吸い込んでいく。触れた感覚は砂利を擦るようにざらつき、だが温かかった。
その瞬間、世界の重心が変わった。時間の流れが濃くなり、動きが緻密に計算されるように見える。ユウナは目の前の梁がかすかに揺れる間に、瓦礫の配置と人数の動線を俯瞰した。頭の中に細かな指示が降ってきて、体が自然と動いた。彼女は一つ、二つと瓦礫を押しやり、手の中の鎧が筋肉を増強するように力を入れた。
人々はその場で動きが同期するように感じた。誰かの足が一歩前に出て、別の者が同じリズムで膝を曲げる。ユウナはそれが合意の産物ではないことに気づいた。合意のない共有は、操作のように人々を動かした。子供たちの目に、急に驚きと困惑が混ざる。だが同時に、瓦礫の下の空間が開いた。ハルが引き出され、誰かの腕に抱かれて泣き出す。
救出は成功した。歓声と嗚咽が混ざる。ミナが泣きながらユウナに抱きつく。だがユウナは抱き返す余裕がなかった。体の一部が遠ざかる感覚――まず匂いが薄れる。土の匂い、ミナの髪の匂い、火山の熱の匂いが、一枚ずつ剥ぎ取られていく。次に色が抜けていく。周囲の赤が、血のように見えていたものが灰色に変わっていく。声は耳鳴りに押され、遠くで誰かが笑っているようにしか聞こえない。
「ユウナ! 大丈夫か!?」
レオの声が届かない。彼女は視界の端が白く滲むのを感じた。紅砂の鎧が、代償として感覚の領域を一部奪っていたのだ。彼女の指先から冷たいものが伝わる。庭師としては致命的な損失だった。匂いと色は、植物の状態を読む最も基本の感覚だった。
「痛みは……ない?」ミナがユウナの肩を叩く。ユウナは首を振った。体の痛みはなかった。だが世界は薄くなった。ユウナは膝をつき、その場で息を整えた。ミナとハルの顔がぼやけて見える。ハルはまだ震えている。助けた――それが実感としてある。だがユウナの胸は締め付けられていた。自分の行為が、人の体を、意思を動かしてしまった。
「ユウナ……本当に、君が――」老人の声が震えた。イツキは杖を突いて近づく。彼はここでの暫定的な代表者の一人だ。「君は、合意を得ずに使ったのか?」
ユウナは黙って頷いた。言い訳はできなかった。空気が重くなった。集落の人々の顔が、驚き、安堵、そして恐怖で揺れている。救われた者の涙は、同時に不信の種を撒いた。
「最後の切り札を失うぞ」レオは抑えた声で言った。「でも、今は……ハルが助かった。間違いじゃない」
ミナはユウナの肩を抱きしめたまま、顔を上げて周囲に向き直る。「でも、これからが問題よ。ユウナが勝手に使えば、敵も味方も巻き込まれる。選択の自由を奪うのは……火山教団と同じじゃないか」
誰かが「違う」と叫んだ。声は小さく、だが確実だった。「ただの救助だった。ユウナは人を助けただけだ」
議論はとめどなく膨らんでいく。ユウナは言葉に出来ない罪悪感と疲労に押しつぶされそうだった。彼女の掌に残る紅砂は、まだかすかに震えている。赤は彼女の内側で冷たく脈打っていた。
「合意を得るべきだ。今後は集落で決めよう」イツキが提案した。老人の声には重みがあった。議論を続けるよりも、決め方を決めることが急務だった。「単独での使用は許されない。使うなら、ここで多数の同意を取る。さもなくば、ユウナにはもう……」
言葉は切られた。ユウナは自分の感覚の欠けた世界に耐えながら、静かに立ち上がる。庭師の手は震えていた。救った温かさと失った匂いが隣り合わせにある。
「分かった。投票をしよう」ユウナの声は掠れていたがはっきりしていた。「私が決めるべきじゃない。皆で決める。合意がなければ、私は二度と――勝手には使わない」
ミナが急に笑った。笑顔はぎこちなく、涙で光っていた。「当たり前だよ、ユウナ。みんなで決める。もう一度だって、私たちが守る」
集落の広場に即席の円が作られた。真ん中にはハルが座り、布切れで手を拭いている。四方に並んだ顔は皆等しく疲れているが、それでも一人ひとりの目に火が宿っていた。レオはひとつ深呼吸をしてから、皆に向き直る。「よし。賛成か反対か。挙手