星獣牙の救助士と忘却艦隊

星獣牙の救助士と忘却艦隊 第14話「第一部幕間」

夜のキャンプは、片手で持てる明かりの数だけしか明るくなかった。油の匂いと焦げた保存食の香りが交差するテントの谷間。風が帆布を鳴らすたびに、誰かの寝息が一瞬だけ途切れて、また戻る。リオは毛布を肩に巻き、掌に紙布で覆った小さな牙を押し当てていた。星獣牙──冷たく、しかし微かに脈打つような振動を感じる。夜空の星と同じように、牙は淡く光を蓄えていた。

夜のキャンプは、片手で持てる明かりの数だけしか明るくなかった。油の匂いと焦げた保存食の香りが交差するテントの谷間。風が帆布を鳴らすたびに、誰かの寝息が一瞬だけ途切れて、また戻る。リオは毛布を肩に巻き、掌に紙布で覆った小さな牙を押し当てていた。星獣牙──冷たく、しかし微かに脈打つような振動を感じる。夜空の星と同じように、牙は淡く光を蓄えていた。

「リオ、起きてるか?」

声はセナだった。彼女は包帯と薬壜を抱え、ひどく疲れた顔でテントの入口に立っている。タオは後ろで地図に蛍光の線を描いていた。ミコは誰かと話していたが、声がすぐに消えた。リオは小さくうなずいた。言葉は出なかった。牙の温度が指先まで伝わる。触れるだけで、合図はすぐに始まってしまう。あの夜の震えを、まだ自分の中に残していた。

「また偵察艇が岸を回っているって報告が来た。波が強い、って。忘却の――」

名前を出す前に、遠くで金属の軽い衝撃音がした。誰かが走る足音。声が割れる。

「牙を置け! 触るな!」

叫び声に続いて、一つの影がテントの列を飛び越えて来た。若い男だった。筋肉は張りつめ、顔は泥にまみれている。腕に膝まで寄せた布にくるんだままの小さな人影が見えた。男の目が牙に釘付けになった瞬間、リオは反射的に立ち上がった。

「ケン、駄目だ──」

だがケンは振り向きもせず牙の包みを奪い取った。指先が布を裂く。冷たい牙が露になり、瞬間的に白い光が走った。包まれていた布がふっと落ちるように、空気の流れが変わった。

「妹を連れて逃げるんだ! 誰にも言う時間はない!」

ケンが掛け声をあげた。牙の光は彼の掌を中心に同心円を描き、指先から指先へと波紋のように広がった。だが儀式の合図──共有の意思を刻む指の接触がない。誰も握っていない。合意の声も、揃った呼吸もない。牙は一度に、周囲の意志を読み取る試みを始めたが、指標が揃っていないために震えた。

「やめろ、ケン!」

タオが飛び出して彼の腕を掴む。セナが「医療! 医療フォロー!」と叫ぶ。ミコも駆け寄る前に、一発の高い音が夜を切り裂いた。ケンの耳が割れんばかりの鋭い耳鳴りに襲われ、彼は両手で頭を抱えて膝をついた。世界の輪郭が滲み、色彩が剥がれていく。

「見えない……」ケンの声は小さく、震えた。彼は片目の視野が消えたように手で顔を払う。温度が抜かれたように、皮膚の感覚も鈍くなった。セナは慌てて血圧計を取り出し、脈を取るが、彼の瞳孔はひどく小さく、反射は鈍い。リオは牙を奪い返して、布にくるんだ。牙の光はすっと縮み、再び暗い宝石のようになった。

だが振動は消えていなかった。空の一点が、かすかな光を放ちながら不規則に垂直に動いたのを誰かが見た。忘却艦隊の偵察艇だ。半透明の舟体の外殻に、隊章のような低い隆起が見える。牙の波紋は、合意を伴わずに放たれたために標的を選べなかった。結果として、それは見当違いの方向へも届き、敵の一隻の航行制御にノイズを送り込んだ。

偵察艇は一瞬、位置を逸らした。灯りがちらつき、パイロットの声がエコーする。続いて、軽い金属破裂音と、空中で何かが割れる音。小さなドローンが艙底から落ち、海面に弾くように落下していった。その破片は波間に散った。誰かが歓声を上げる間もなく、岸辺では違う影響が現れた。牙の波紋が触れた数人の顔が、一瞬ぽかんとした表情に変わり、記憶の引き出しがロックされるように動けなくなった。

幼い女の子が、自分の名前を忘れて足元にしゃがみ込んだ。老人が、今まで担っていた救護の手順を思い出せず、持っていた救急箱を地面に落とす。小さな混乱が連鎖し、外れた歯車のように静かなパニックが広がる。タオがすぐに声を張る。

「これは合意のない発動だ! 無作為に範囲が拾われる。リオ、これは駄目だ!」

リオは牙を握りしめながら、ケンの側に屈み込んだ。男の顔は汗と涙でぐちゃぐちゃだ。彼の耳鳴りは激しく、しきりに舌打ちのような音を立てる。リオは答えを探している目で仲間を見た。合意がない発動の代償は、既に見えている。ケンの聴覚の一部が戻らない感覚、記憶の一時的な欠落、そして幸運にも敵の偵察を撹乱したがそれが何を招くかは分からない。敵が混乱から新たな手を打つ可能性もある。

「自分で決めて突っ走った結果だ」ミコの声は冷たく、それでいて痛切だった。「でも彼には妹がいる。彼の選択は――主体的だった。でもそれは、仲間の合意とどう違う?」

セナは顔をしかめた。「違うよ。合意は、単に手続きじゃない。みんなで意図を固定して、代償を分け合うためのもの。単独で振り回せば、効果の方向がねじれる。誰かが感覚を失えば、それはその人だけでなく周りにも跳ね返る」

タオは地面に落ちた小さな破片を拾い上げ、それを掌でこすった。破片には忘却艦隊の刻印が薄く残っている。彼は眉を寄せて、無言でそれをリオに差し出した。「これが落ちた。単独発動で敵に何か作用することもある。だが制御不能だ。計画的な合意と儀式で使うべきだ。それに、これを見ろ」

彼の指先に小さく浮かんだ青白い振動の残像を、リオは見逃さなかった。牙の光と、偵察艇が発した低周波のノイズ。リオの胸の奥で、何かが繋がる感覚があった。二つの振動は、反発し合うのではなく、微妙に共鳴していた。敵が使う「静寂の波」と、星獣牙の共振性が、どこか根を同じくしているように思える。

ケンはまだ震えていた。セナが懸命に簡単な神経リハビリの措置を施す。彼の耳鳴りは徐々に遠ざかるが、完全に消えるかは分からない。タオは破片を懐にしまい、ミコは冷たい決断を下した。

「牙を、もっと厳格に管理する。今夜のことは、公開してはならない。だが同時に、私たちは放ってはおけない。避難民が選べる力を守るために、合意の儀式を教えられる小さな班を編成する。参加は本人の意思だけでなく、班全体の了承が必要だ。リオ、君はどうする?」

リオは牙を布に包みなおし、肩越しに夜空を見上げた。星々は静かに瞬いている。答えは簡単ではなかった。牙は一つの扉を開けるが、その扉は同時に意思を強制する鍵にもなり得る。リオの手は震えたが、決意は固かった。

「広げるべきじゃない。だが、独占もできない。私たちで、試験的に小さな班を作る。ミコの班、タオの技術班、セナの医療班。それぞれが互いの合意の下で、一度だけの作戦を共有して実行できるようにする。訓練と誓約を経てからだ」リオは静かに言った。「それと……落ちた偵察艇の破片を調べる。あれが牙と同じ周波数で反応していた。もし根が同じなら、それを知らずに放ってはおけない」

ミコは頷いた。タオは顎に手をやり、セナは牙を覗き込んだまま言った。「ケンをどうするかも決めないと。彼も救われる側だった。彼を罰するのは間違いだが、再発させるわけにもいかない」

夜は深く、隣で子供が寝息を立てる。リオは牙を胸に抱え、決意を噛み締めた。人々が自分の選択を取り戻す余地を残すために、彼女はもう一つの選択を迫られている。合意の儀式を誰に教えるか――それは、命の重さを測る秤でもあった。

翌朝、リオは小さな回収班を率いて、打ち上げられた破片の散る海岸へ向かうことを決めた。そこには、忘却艦隊の残した痕跡と、牙との共