夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第6話「第5章」
雨がネオンを引き裂く。濡れた路面に散らばる光が、まるで破れた夢の断片のようにちらついていた。司祭カナメはフードを深く被り、指先で冷えた石の壁を撫でながら広場へと降りていった。空気には生暖かい湿気と、どこか焦げた匂いが混じっている。遠くで子どもが泣き、金属音が鳴る。徴税所の灯りが、この街の脆い平静を監視していた。
雨がネオンを引き裂く。濡れた路面に散らばる光が、まるで破れた夢の断片のようにちらついていた。司祭カナメはフードを深く被り、指先で冷えた石の壁を撫でながら広場へと降りていった。空気には生暖かい湿気と、どこか焦げた匂いが混じっている。遠くで子どもが泣き、金属音が鳴る。徴税所の灯りが、この街の脆い平静を監視していた。
「ここか」
ミラの囁きが肩越しに聞こえた。長い黒髪が雨に濡れて張り付く。彼女の目はいつもより鋭かった。あの日、司祭カナメが初めて夢を束ねたときの顔つきに似ていた。いや、あの日より真剣だ。カナメは頷くだけで返した。
広場の中央には小さな群衆が集まっている。真ん中には細い体の女が座り込んでいて、胸元に抱いた布袋から白い薄い光が漏れていた。それは夢を紡ぐ繭(まゆ)ではない。夢税を徴収するために採取された、人の眠りの端切れだった。徴税官が回収したはずのものがなぜ市井にあるのか、群衆はざわついている。
「母さんの夢、返してください!」
叫んでいるのは男の子だ。彼の手は震え、唇には傷がある。徴税官の一人が重々しく近づき、女の肩を掴んだ。官服は雨をはじき、黒い金具が光る。首元に刻まれた紋章——夢税局のマークが、雨に濡れて鈍く輝く。
「役得の報告だ。税の不正を疑えば、所轄に渡す。現場逮捕だ」
徴税官は淡々と言い、女の布袋を引き抜こうとした。女は全身で抵抗した。群衆の中からは既視感のある怒号が漏れる。徴税のために夢を奪われ、眠れなくなった者たちだ。彼らの目は虚ろで、頬はこけている。夢を税に取られた者の顔だ。
カナメは前に出た。司祭の服は濡れて重く、袖口から冷たい雨水が流れ落ちる。彼は掌に小さな光の糸を立ち上らせる——他人の夢の端を引き出し、紡ぐための鍵。糸は震え、薄い藍色に瞬く。ミラが小さく息を呑む。
「ここで止めてもらいたい。彼女の夢を、返してやってくれ」
カナメの声は低く、だが群衆には届く。徴税官は鼻で笑った。
「司祭よ、君の慈悲はありがたいが、法が優先だ。夢は国家の資産だ。差し出せ」
「これが法なら、法が間違っていると証明しよう」
カナメは女のそばへ膝をついた。女の目には恐怖と疲労の混じった濁りがある。布袋の端から漏れた薄光が、彼の掌の糸に反応して震えた。カナメはその糸を、女の額に触れさせる。冷たさが伝い、女のまぶたが震える。
「思い出して。どんな夜だったか。誰がどんなことを言ったかを」
女は小さく首を振った。言葉にならない声が出る。彼女の夢は既に切り裂かれ、断片でしか残っていない。それでも、糸は彼女の内部の真実を掬い上げる。白い断片が空気中に現れ、群衆に吸い込まれていく。カナメはその断片を、司祭の儀式のように一つずつ結び合わせていった。彼の手の動きが速くなると、糸は音を立てて鳴った。まるで琴の弦が震えるような高音が耳に残る。
束ねられた夢が結晶化し、二、三の透明な立像を作り出した。そこに映る光景は生々しかった。徴税官の一人が女を押し倒し、笑いながら鋭い言葉を浴びせる。若い男性が金を要求し、泣きながら布を渡している。子どもの叫び、女のごめんという声——それらが一つの証言として群衆の前に並んだ。夢の立像は動き、真実を語る。他人の夢が、自分の証言になる奇怪な光景だ。
群衆は静まる。徴税官の顔色が変わる。彼は立像を睨みつけたが、動かない。その場にいた誰もが、立像が語る「事実」を否定できなかった。カナメは目を閉じ、立像の最後の断片を縫い合わせると、床に落とすように身体に納めた。
「裁き……だ」
ミラの声が震える。群衆の中からはあちこちで同意のざわめきが漏れる。徴税官は無言で後退した。彼の手が無意識に胸元の紋章に触れる。恥ずべき証拠を目の当たりにしても、法の名の下に行動してきた自分をなかなか認められないらしい。
女は震えながら布袋を抱きしめ、泣き崩れた。子どもが駆け寄って母の背に飛びつく。群衆の中から拍手が起きた。小さな勝利だ。だが、それと同時に、空気が変わった。冷たい風が吹き、遠くの電燈がひとつ消えた。
カナメは手のひらに違和感を覚えた。結んだ夢が戻ってくると、掌に重みを感じないはずなのに、胸の奥がぽっかりと空いたような感覚が広がった。頭の中に小さな欠落が生まれた。ぼんやりとした静寂が耳を塞ぐ。
「大丈夫か?」
ミラが身を乗り出す。カナメは微笑もうとしたが、笑えなかった。喉の奥にあったはずの何かが、引きちぎられたように消えている。
——ユヅキの笑い声。
その一節を思い出そうとする。二人で過ごした古い市場の夕暮れ、ユヅキが落とした小さな木の鈴。懐かしさの中にある、あの高く透き通った笑い……だったはずだ。だが音は掴めない。追いかけると、指先から滑り落ち、濡れた路面の暗闇に吸い込まれた。
「覚えて……いない?」
ミラの声が小さくなった。カナメの胸に冷たい焦りが広がる。思い出の欠片が、また一つ薄れていく。彼は無意識に額を押さえた。痛みはない。ただ、空白。そこにあった記憶の重みがどこかへ行ってしまった。
「気のせいだ。何でもない」
言葉は出たが、自信はなく、声音は頼りない。ミラはその言葉を信じなかった。だが、目の前の状況は変わらない。徴税官は去り、女と子どもは抱き合い、群衆は少し和らいだ。小さな勝利は確かに存在した。
「司祭様、この方法は危険だと私は言ったはずです」
低くて冷たい声。空気の向こうに響いたのは徴税局長官、アサトの名だ。重装備の男が二人の手下を連れて現れた。アサトは濡れたマントを払って近づいた。年は四十を越えているようだが、疲労は見せない。顔に刻まれた皺は思慮深さと苛立ちが混ざっていた。
「民衆の前で公に夢の証言を晒すな。秩序が乱れる。君のやり方は情に流されすぎる」
「秩序? 彼らが夢を奪われ、眠れぬ日々を送っているのが秩序だと言うのか。いいえ、違う」
カナメは立ち上がり、アサトと正面を向いた。二人の視線は雨に曇りながらもまっすぐに交わる。群衆の興味がその対峙に向けられる。
「夢は国家の資源である。税として集め、管理し、必要な者に分配する。混乱は抑えねばならない」
アサトの言葉には言い訳が滲んでいた。背後にいる部下の一人がカチッと拳を作る。彼らは真剣に信じている——それが正義だと。この国では、秩序という名のルールが弱者の選択を奪ってきた。アサトもまた、そのルールの中で傷つきながら生き延びてきたのだろう。
「では見せよう。彼らの"秩序"がいかに人を壊すかを」
カナメが言うと、アサトの表情が一瞬硬直した。アサトは苦々しげに鼻を鳴らし、目を細める。
「やるなら公式の場でやれ。公正な審議を経るのだ。それ以外は混乱を助長する。君も知っているだろう、司祭カナメ。君の"罪科"は――」
アサトが言葉を引き裂いたとき、群衆の中で一人の老人が呻いた。老人はゆっくりと立ち上がり、震えた手で小さな箱を差し出した。その箱の蓋が開き、中からは古い木の鈴が現れた。鈴は濡れ、塗装が剥げていたが、そこに刻まれた小さな紋が光った。誰かが「あれは——」と呟く声があった。
カナメの胸がきしんだ。鈴に刻まれた紋章は、彼が忘れかけていたある記憶とつながっている