夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第28話「終章」
丘の上の広場は朝霧に包まれていた。鉄線で組まれた箱が壇上に据えられ、かつて徴収に使われた光る歯車と硝子管は布で覆われている。布の端に触れた指先に冷たさが伝わる。司祭アキトはその布に手をかけ、息を吸った。周囲からは人々のざわめき——吐息と緊張と、長年閉じ込められていた夢の匂いが混ざって立ち上る。祭壇の香炉とは違う、金属と古い紙の匂い。彼の掌にはまだ指輪の跡が残っていたが、それが誰のものだったか思い出せない。
丘の上の広場は朝霧に包まれていた。鉄線で組まれた箱が壇上に据えられ、かつて徴収に使われた光る歯車と硝子管は布で覆われている。布の端に触れた指先に冷たさが伝わる。司祭アキトはその布に手をかけ、息を吸った。周囲からは人々のざわめき——吐息と緊張と、長年閉じ込められていた夢の匂いが混ざって立ち上る。祭壇の香炉とは違う、金属と古い紙の匂い。彼の掌にはまだ指輪の跡が残っていたが、それが誰のものだったか思い出せない。
「司祭アキト。」アルマの声がそっと届く。彼女は隣に立ち、手を軽く彼の腕に重ねた。眼差しは冷静だが、指先には震えがある。アキトはその感触で自分がここに立っている理由をかろうじて思い出す。守る対象、そして――裁かなければならない人。レナは壇下に立っていた。風に濡れた黒髪が肩に貼りつき、表情は平静を装っている。誰もが彼女を見ていたが、その視線の先にあるのは罵りでも同情でもなく、期待だった。
「今日で、終わるんですね?」トウヤが低く言う。元徴収官の肩には長い傷があり、顔には施行された夢の模様がうっすらと残る。彼は装置の布を見、次いでアキトを見た。
アキトはうなずき、布を払った。布が落ちると、露のように冷たい光が歯車に反射した。装置は静かに呼吸をしているかのようで、硝子管の内部を微かな霧が走った。集まった者たちの視線が一点に集中する。アキトは息を整え、声を出した。
「私は、夢が示す真実を、当事者の証言として束ねます。裁きはこれまで、私一人の手で行われました。今日は、違う。」彼の声は低いが、震えていないつもりだった。だが言葉を紡ぐごとに、胸の奥から何かが紙のように剥がれていく感覚があった。暖かい飲み物の匂い、骨付きのパンを裂いた指先の感触、レナの笑った声──それらが遠ざかる。
アキトは目を閉じ、手を硝子の縁に触れた。能力は名を持たぬままだったが、人々はそれを「夢証」と呼んだ。夢の呪いが見せる残酷な真相を、当事者達の言葉として結びつける力。ただし条件がある。それを行うには、関係した者全員の言葉が必要で、彼自身がその糸を引くたびに、自分の記憶の一端が薄れていく。さらに、無理に救済を押し付けようとすると、呪いは逆に増幅する。彼はそれを何度も学んだ。学んだ代償の痕跡が、顔に線をつけている。
「証言を紡ぐ。」アキトは短く宣言し、最初の糸を引いた。周囲の者たちの喉が開き、低い囁きが集まってくる。レナの夢を見た者、夢で傷ついた者、徴収に携わっていた者、それぞれの言葉が彼の耳に流れ込み、アキトの中で絡み合って一つの映像を織り上げた。彼はその映像を宣言として外に出す。言葉が出るたびに、彼の胸の内のある情景が薄くなっていく——夏の日の光、手の温度、名前を呼ぶ声。指輪の刻印が読めなくなる。思い出すほどに引っかかる痛みに、反射的に掌をこする。アルマがそっとハンカチを差し出したが、彼は気づかない。
映像は残酷だった。徴収が始まった夜、レナが夢の税を支払えず、子どもの夢を差し出したこと。税の渦が生み出した選択の渦。夢を奪われた者の呻吟。だが同時に映像は一つの真実を示した——レナは害意からではなく、選択を迫られていた。選ぶ自由を奪われた結果だということ。アキトの声は冷静にそれを述べる。だが彼の心の中では、裁きの輪郭が崩れ、まばゆい白が差し込んだ。見えない部分が白く消える。彼は舌先で、レナの指の温度を思い出そうとしたが、指先は砂のように脆く崩れた。
「これで、俺が裁く理由は無くなるはずだ」トウヤが呟いた。だがアキトの頭の中では、まだ残る言葉が戦っていた。裁くという行為は、彼にとって罰であり、救済であり、そして愛の形だった。愛した人を裁くために彼は能力を使った。思い出が消えゆく代わりに公の真実が整えられる——そう信じることでしか自分を保てなかったのだ。
アキトは次の糸を引こうとした。そのとき、レナが前へ出て、小さな箱を取り出した。木製で、表面は擦り切れている。彼がその箱を見た瞬間、胸の中に冷たい重みが走った。箱は、彼の記憶の一端を呼び戻すはずのものだった。しかし指先で蓋を開けると、中には何もなかった。空の匣。彼の視界の端で、アルマの眉が跳ねた。誰かが息を呑んだ。
「それでも、私は自分の夢を差し出した」レナの声は静かで、広場の空気を切った。「強制ではなかった。選んだのは私。けれどそれは、あなたたちに選ぶ余地を与えない仕組みだった。私は、自分の罪を隠すために眠りを閉ざしたわけじゃない。子を守るために――」
言葉がここで途切れた。アキトの中で何かが鳴った。救済を強いることが、どれだけの呪いを増やすかを彼は知っていた。もし今、彼が力を使ってレナに裁きを下し、彼女に強制的な赦しを与えれば——呪いは烈しく跳ね返る。夢はより深く、もっと多くの人を侵す。彼はふと、自分の手を見た。手の甲の皮膚は薄く、真皮の下に何かが透けているように見える。それは、使った証。記憶の糸が数え切れないほど抜け落ちた証だ。
「もう一度、強制で終わらせるつもりだろうか」アルマが言った。「あなたが力を働かせれば、確かに過ちを暴くことはできる。だがその先に何が残る?呪いを弱めるのではなく、誰かの自由を奪い続けるだけだ。」
広場に静寂が落ちる。アキトは息をつき、硝子の縁に指を這わせた。夢証をもう一度働かせるごとに、愛した人の顔が薄れていく。だが彼がそれを使わなければ、制度はそのまま残る。自分の痛みを、誰かの選択の器に置き換えるべきか。指先の感覚が、彼の最後の鎖を引き絞る。
「私は、もう一度、個人的な裁きを下してはいけない」アキトは静かに言った。声は細く、しかし揺るがなかった。「夢を徴収する仕組みを、完全に廃止するつもりはない。禁じることはできない。だが、『参加と合意』に基づく仕組みに変える。誰もが自分の夢を、どう扱われるかを選べる。強制で奪われる夢は、もうない。」
言葉は広がり、ざわめきが生まれた。歓声も、怒声も一瞬混じった。装置の周りで小さな子どもが走り回り、風で彼の髪が揺れる。アキトはその光景に、かつての自分と重ね合わせるものを探したが、もう見つからない。代わりに、彼は決断の器を差し出した。アルマとトウヤ、レナと有志の者たちが壇上に上がる。彼らは署名台に手をかけ、合意の文書に印を刻み始めた。
その間にもアキトの中では断片が消えていった。レナの笑顔の輪郭がぼやけ、ふたりで食べたパンの味が思い出せない。だが不思議と、何か別のものが満ちてきた。誰かの選択を見守ること、共同体の声を聞くことの重み。愛の形が変わっていくのを、彼は薄く感じた。
合意書に署名がひとつ、またひとつと増える。やがて最後のページが閉じられると、アルマは装置に向かって布をかけ直した。だが布を被せたその手に、小さな紙片が挟まっているのに彼女は気づいた。紙片には、古い文字で一行だけ書かれていた——「最後の夢(任意のもの)は、ここに刻まれている」。それは装置が記録した未再生の夢のラベルだった。誰がいつ入れたのか不明の夢。差出人の名は空欄だ。
アルマは紙を拾い上げ、眉を寄せる。トウヤがそっと近づき、「再生は合意の下で」と呟いた。だが列を作った人々のなかに、小さな声が混じった。場内にいた子