夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第29話「巻末特別章」
祭壇の蝋燭が一つ、ゆっくりと溶け落ちる。硝子窓の向こうで朝の雨が小さく鳴き、木床に置かれた夢の瓶がかすかに鳴る音を場内の人々が耳を澄ませて聞いていた。蒼井蓮は杖に寄りかかり、白い襟を深く押さえながら、前に並んだ五つの小瓶を見つめた。瓶の中では、薄紫の光が紙切れのように舞っている。伊藤勇二がぴんと背筋を伸ばし、蒔田悟は腕組みをした。宮川美奈は観客席から手をぎゅっと握りしめている。
祭壇の蝋燭が一つ、ゆっくりと溶け落ちる。硝子窓の向こうで朝の雨が小さく鳴き、木床に置かれた夢の瓶がかすかに鳴る音を場内の人々が耳を澄ませて聞いていた。蒼井蓮は杖に寄りかかり、白い襟を深く押さえながら、前に並んだ五つの小瓶を見つめた。瓶の中では、薄紫の光が紙切れのように舞っている。伊藤勇二がぴんと背筋を伸ばし、蒔田悟は腕組みをした。宮川美奈は観客席から手をぎゅっと握りしめている。
「これで終わるんだな、レン」伊藤が低く言った。声に震えはないが、瞳の奥に熱があった。
蓮はうなずいた。手のひらに、結帯を施す印を組む。印は習熟の内に身についた癖であり、苦痛の前触れでもあった。触れずとも夢を引き寄せることはできない。結帯は触れることで初めて働く。触れたものの断片を拾い上げ、それを組み合わせ、当事者たちの証言へと紡ぐ。それに伴う代償はいつも現れる。記憶がひとつ失われる。大事なものが、ふと薄く、指のすき間に滑り落ちるよう。
「同意は不要だ」と蓮は自分に言い聞かせる。壇上の空気が少し重くなった。壇下の誰かが小さく息をのむ。彼は左手を瓶に近づけ、掌先に冷たい空気が走るのを感じた。黒い糸のようなものが指の間から伸びる。糸は光を編み、瓶の中の破片を引き上げた。断片は瞬時に織り合わさり、蓮の胸の中に一枚の像を作った。
それは日高紬の、図書室の窓辺で笑った横顔。だが像は揺らぎ、笑い声のエッジだけが残る。蓮はそれを声にして言った。「——紬は、徴収を必要だと信じていた。安全のために、夢を差し出すことを選んだ、と」声は冷たく平坦に聞こえた。壇上の人々がざわめき、伊藤が眉を寄せた。
結帯が終わるたび、蓮の胸の奥で何かが緩むのを感じた。最初の代償は小さかった。紬の名前を呼ぶ指の感覚、頭の中の子供のころの匂い。それがふっと色を失う。蓮はそのことを数える余裕がなかった。もう一つの瓶に触れると、今度は工場の作業場の像が来た。忘れ去られていく声のひびに、哀しみが混ざる。
「やめろ、レン」蒔田が叫んだ。だが声は届かない。壇上に立つ者だけが見える世界がある。結ばれた夢は、当事者の証言となって場に流れ出る。誰もがそれを聞き、誰もがそこに写る真実を受け取る。
三つ目の瓶。蓮は手を止めようとした。だが宮川が前に飛び出し、彼の手を押さえた。「お願い、あの子の夢を——救って。いつも、あの子が痛がってるの見てられないの」声は震え、熱を帯びていた。壇下にいる女性の顔が泣き崩れ、子供が目を押さえる。
強制的な救済。禁じられた行為を、誰かが欲している。蓮は喉が渇き、口内に金属の味を感じた。結帯は、夢を救済しようとする力を伴えば呪いを増幅する。彼はその代償を知っていた。増幅は目に見える形で現れたことはないが、誰かが無理に「救済」しようとしたとき、夢は反発し、被徴収者の苦痛を増し、夢税機構の根を深く濃くする。だからこそ、蓮は言った。
「救済は本人の選択の、次の段階だ。無理強いは——」言葉が切れた。宮川の手がさらに強く彼の手を押さえる。涙が手の甲に落ちた。彼女の願いは純粋で、でも危うかった。壇下から怒声が上がる。誰かが「今すぐに」と叫んだ。場は分裂した。
突如、空気が変わった。夢の瓶の光が不規則に震え、黒い糸が一斉にざわめく。誰かが不注意に言った「救済してやれ」が引き金になったように思えた。夢は反撥し、瓶の中の破片が鋭く切り立つ。子供が叫び、壁の額縁がひび割れた。壇上に冷たい汗が滲み、蓮の視界が揺れる。胸の中で、かつてないほど強い疼きが走り、彼はある感覚を失った。紬の指先の温度。ふいに、蓮はその指の冷たさを思い出せなくなった。
「いっ……」伊藤が一歩前に出て、宮川の腕を掴んだ。「やめろ!」だが叫びは届かず、場内の空気はさらにねじれた。夢が叫ぶ音が、人々の耳鳴りと溶け合い、現実が紙のように裂ける。結帯の働きは、ここで二つの結果を同時に生み出した。ひとつは、証言がすべての耳に届いたこと。壇上に置かれた証言は生々しかった。紬が目指した秩序、工場での小さな安心、家族を忘れないための痛み。その重なりは、これまで隠されてきた制度の命題を浮かび上がらせた。壇下の中年の男は顔を青ざめ、誰かがそっと立ち上がって退席した。
もうひとつは、強制的な救済が生んだ増幅だ。副次的に結びついた呪いが喚起され、場内の数名の夢が暴走した。床を這うように黒い影が伸び、人々の呼吸が速くなる。子供の夢が刃物のようになり、彼は床に顔を伏せて口から黒い糸を吐いた。宮川が顔を押さえ、震えている。蒔田は拳を握り締めた。誰かが床に倒れそうになり、蓮は杖を忘れて手を伸ばした。
「レン、止めて!」伊藤の叫びは、まるで遠くの谷間で反響する音のようだった。蓮は手のひらを瓶にかざしたまま、躊躇いなくもう一つの結帯を始める。代償として何を失っても、今さらやめるわけにはいかない。彼は紬のためにここへ立った。だがその“ため”が何であったかを、彼は今、確かめられない。最後に残っていた彼女の囁きの輪郭も、乾いた海のように沈み始めていた。
結び合わされる夢が、ひとつの声となって場に投げられた。そこには、徴税官の机の裏で交わされた決定、宗軍の兵站を支えるために差し出された誓約、工場長が夜に見た幼い目の謝罪と、それを許容した日高紬の微笑みが同列に並んでいた。どれもが正当で、どれもが残酷だった。人々はそれを聞き、そして知った。知られることは、拒否の余地を生む。知られない限り、制度は“当然”として存在し続ける。
だが、その瞬間、壇上の空気に新たな振動が走った。瓶の一つが微かに鳴り、光の中から小さな金属音が混じった。蓮は手をそっと引き、瓶を凝視した。そこには紙片ではなく、薄い金属の円盤が一枚、不器用に折り畳まれて沈んでいた。誰もそれを説明していない。蒔田がじっとそれを見て、低く唸った。
「それは——拒否の印だ」蒔田の声も震えていた。壇下の一人がすばやく立ち上がり、指先で円盤を拾い上げた。細工が施され、中央には微細な刻印があった。それを見た瞬間、蓮の胸の奥に、慣れない感触が跳ね上がった。覚えているはずのない記憶の断片が、むくりと頭をもたげる。紬が秘密裏に作ったもの、彼女が誰にも言わずに抱えていた選択。だが彼はそれを指先で確かめることはできない。指先の熱だけが残り、名前だけは消えていた。
宮川が円盤を差し出し、小声で言った。「これで、本当に選べるらしい。使い方は——中央の機構に刻むと、徴夢の回路が一時的に開く。誰でも拒否を申し出られる状態になるって、噂にあった」彼女の目は逸れて、蓮の顔を探した。伊藤は黙ってうつむき、蒔田は額に手を当てた。
蓮は円盤の冷たさを掌に感じ、ふとある決意が胸を刺した。忘れたはずの人の輪郭が薄く残り、「選べる」という可能性がその場の空気を変えた。だが円盤を機構に刻み込むには、儀式を執行できる“司祭の承認”が必要だという。承認の代償は計り知れない。蓮は自分の手がまだ黒い糸で汚れているのを見た。糸は小さな塵となって落ち、床板に溶けるようにして消えた。
「俺がやるべきか……」伊藤が囁く。壇下の人々の声が、少しずつ一つにまとまり始めていた。選択の声だ。誰かが反対するだろう。誰かが賛成するだ