夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第26話「第24章」
夢納庫の天井は、低く鈍い弧を描いていた。冷えた空気が金属と古い紙を混ぜ合わせた匂いを運び、足下のコンソールがかすかな振動を指先に伝える。桐崎ユウは、重ねた指の隙間から映写室の円形スクリーンを見上げた。白い布地に、誰かの夜と痛みがゆらりと映り込む。
夢納庫の天井は、低く鈍い弧を描いていた。冷えた空気が金属と古い紙を混ぜ合わせた匂いを運び、足下のコンソールがかすかな振動を指先に伝える。桐崎ユウは、重ねた指の隙間から映写室の円形スクリーンを見上げた。白い布地に、誰かの夜と痛みがゆらりと映り込む。
「記録はここから先がキーになります」双葉エリが声を潜めて言った。夢納庫の管理士である彼女の手のひらには、半透明のデータカードが一枚、それだけがこの地下室の灯りを反射していた。彼女の目は揺らがない。他の誰よりもこの場所の罪を知っているからだ。
スクリーンの中で、断片的に繰り返される映像がつながり始める。ある夜、ある寝台。眠った者の眉間に光が差し、誰かの声が編集のコマをめくる。裁断された夢の端が縫い合わされ、見知らぬ記憶が一つの「証言」として形成される過程が、無慈悲に映し出された。
「ミカのセッションです」ルナが低く言った。彼女の表情は鉄の刃のように硬い。ユウは胸の奥で何かが音を立てるのを感じた。ミカ――ユウが「愛した人」を呼ぶその名前は、今や理屈を超えた重さをもって彼を引っ張る。
ユウは立ち上がり、スクリーンの前へ歩み寄る。手袋のない右手を差し出す。掌の付け根が熱を帯びるのは能力の発動前触れだ。証綴り(あかしつづり)。呪いが見せる残酷な真実を、当事者の断片を針と糸のように繋ぎ合わせて、"証言" に編み上げる術。彼は既知の限界を知っていた──編むほど、愛した者の記憶は薄れてゆく。救済を押しつければ、呪いは逆に増幅する。だがユウは今、刃の上に立つ。
最初の縫い目を入れると、空気が濃くなる。映像がユウの瞳の中で暴れ、彼は過去の断片を次々と拾い上げる。隣でルナが、スクリーンに浮かんだ名前を指でなぞる。志賀マコトは、腕を組んでいる。双葉の唇がかすかに震えた。
「当事者たちの証言を束ねる。官憲が持つ'事実'をねじるために、真実をひとつに編む必要がある」ユウはそう言い、言葉の端でミカの名を呼ぼうとしたが、声が詰まった。胸の奥、これまで確かにそこに在ったはずの温度が、砂のように流れ出して行くのを感じる。彼は急に寒気がした。
証綴りが進むごとに、ユウの中のミカの輪郭が薄れていった。最初は髪の匂い、次いで笑い声、その後にはふとした癖――ドアを閉めるときに右手で袖を引く仕草。記憶は小さな紙片になり、指先をすり抜ける。ユウはそれを止められない。力の代償は、彼の愛を喰らう餓鬼だった。
「止める?」ルナの声が冷たい。「彼女のことなら、俺が覚えてる。ユウ、無理をするな」
「まだ、最後まで」志賀が言い張る。彼の目には戦場の算術がある。証言がそろえば、制度を揺るがす証拠になる。ユウもそれを知っていた。だがその天秤の片方は、自分の記憶だ。
ユウはさらに深く針を入れた。証綴りは他者の夢の端切れを縫って「当事者の声」を作り出す。何人もの悲鳴、ため息、言い訳、抵抗の断片が絡まり合い、やがて一つの長い告白のようなものになる。スクリーンは白黒だった映像の境界に色を取り戻し始め、そこにいる人間の肌が血色を得ていくように見えた。
「公開しますか?」双葉が問いかけた。彼女の指がデータカードをコンソールの差込口へ誘導する。ユウの掌は震え、映像の最奥に一瞬、ミカらしい横顔が見えた。彼は必死にその輪郭を掴もうとしたが、指は空を切った。
「強制的な救済を警告する」ユウは囁く。無理に救いを押しつける行為が、呪いを増幅させる。過去にもそうだった。官憲が行った「編集」は、責任の所在を個人に押し付けることで、管理を容易にした。救われない選択肢を剥奪することで、共同体は秩序を得る。だが秩序の代償は夢の徴収――税だ。
ユウが公開ボタンに手をかけた瞬間、夢納庫の空気が濃く震え、遠くから警報音のような電子の低音が響いた。コンソールのランプが赤く点滅する。双葉が顔を引きつらせる。
「強制を宣言しないで。編集の暴力を断罪するだけで充分だ」ルナが叫んだ。
「しかし編集の暴力を立証するには、強制の結果を示さねばならない。なぜ救済が呪いを増幅させるのか――データが必要だ」志賀の声は硬かった。
ユウは、映像の中にまだ残るミカの口元に注目した。そこに、説明のヒントがあるような気がした。しかし彼の手は震え続け、ボタンを押すかどうかの決断が内側から火を噴く。
その時、スクリーンの端で別のファイル名が浮かび上がった。双葉が気付いて咄嗟に指を伸ばすが、遅かった。ユウの視線はそちらへ吸い寄せられた。ファイル名は簡潔だった。
「初期登録:愛損失実験」
字面だけが白く浮かび上がる。ルナの息が止まり、志賀の指がコンソールの縁に食い込む。
双葉は、無言でファイルを開いた。映像は冷たい数列と、経過表と、誰かの手書きメモ。そこには、ショッキングな設計図があった。夢の編集プログラムは、人の「愛着」を燃料に稼働する仕様で作られている。愛情に紐づく記憶を外部化し、量化し、その損失を貨幣化することで夢を徴収する――その実験記録は明確だった。
ユウの視界が揺れる。紙の上の数値は、彼がこの数日で感じた感覚と重なった。能力を使うたびに消えていったミカの断片。あれは単なる代償ではなかった。彼の代償は、この制度の設計図に組み込まれた"入力"そのものだった。証綴りによって彼が放出した"愛情の揺らぎ"は、夢税を増幅させる仕組みの一部になっている。
「つまり、僕が使うたびに、——」ユウの声が風のように消えた。
「——徴収が増える」双葉が言った。彼女の顔に、初めて憤りが浮かんだ。管理士として冷静さを保ってきた彼女が拳を握る。
ルナの目が燃える。「使うな。これ以上、一人の記憶で秩序を変えさせるな」
志賀は違う答えを持っているように見えた。その表情は、どちらの言葉にも同意を示さない。彼はただ、深い溜め息をつき、ゆっくりとユウの肩に手を置いた。「君の選ぶ形で、守られるべき人たちが行動できるようにしよう。独裁的な裁きは終わりだ。だが証拠は必要だ。どうする?」
ユウは全身の力を抜いて椅子に崩れ落ちた。ミカの顔はもう、手の中の砂粒になる前に、完全に溶けてしまっていた。何も刻まれていない空白だけが胸に残り、冷たく、刺す。
「僕は——」言葉が詰まる。裁くために歩み寄ったはずが、その片方の手は、自分の愛そのものを差し出していた。彼の心で何かが決壊した。自分の愛を武器にすることは、制度の設計に加担することと等しい。――そう気づいたとき、ユウは初めて、自らの役割を形を変えて考えた。
「このファイルを、どう使うべきか」双葉が問い直す。スクリーンには、黒い文字でこう付け足されている。『愛損失実験:外部出力は危険。公開は段階的に。自主管理プラン推奨。』
自主管理プラン。小さな言葉が、ユウの胸に火を灯す。仲間たちが選択できる余地を生む、という着地点が見える。強制的な公開による一度のショックは、大勢の記憶をさらに消費してしまうかもしれない。だが、逐次的に群衆自身の合意を積み上げるなら、徴収の仕組みを瓦解させる土台になるかもしれない。
ユウは立ち上がると、もう一度スクリーンの中心に向き直った。手の震えは止まっていないが、決意がその代わりに入ってきた。彼はも