夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第25話「第23章」
扉は、思ったよりも静かに開いた。金属の擦れる音はなく、代わりに冷たい空気が重々しく漏れ出した。夢納庫の内壁は黒曜のように艶を落とし、照明の弱いラインが床に幾条もの影を引いていた。カイは息を殺し、長い司祭襟を胸に押しつけるようにして進んだ。左手の掌に残る結帯の痕が、冷たく疼く。
扉は、思ったよりも静かに開いた。金属の擦れる音はなく、代わりに冷たい空気が重々しく漏れ出した。夢納庫の内壁は黒曜のように艶を落とし、照明の弱いラインが床に幾条もの影を引いていた。カイは息を殺し、長い司祭襟を胸に押しつけるようにして進んだ。左手の掌に残る結帯の痕が、冷たく疼く。
「ここから先は、合図だけで別れ行動だ。ミラ、北翼。ホーラン、南翼の発電室を落としてくれ。ルツは私と来い」
ミラの小さな影が頷いた。彼女の息づかいは浅く、耳にかかる指輪の金属音だけが確かだった。ホーランの大背中はふいに見えなくなり、廊下の曲がり角で彼は溶け込むように消えた。ルツは肩にかけた布袋をぎゅっと抱え、眉を寄せている。彼女はこの建物の図面を何度も頭に入れてきた。表情の端に、計画の必然を超えた、個人的な苛立ちがちらついていた。
「夢の保管室はこの先。被告予備の収容区も近い。証言を束ねるのはここでなければならない」
結帯を使う距離は限られている。最低限の結帯ならば、カイが失う記憶は小さくて済む。だが、決定的な証言を作るには、複数の断片を一つに繋ぐ必要があった。そのためにカイは、できるだけ短く、確実に結びを結うことを選んだ——しかし短い結びでも、糸は彼の内部に食い込む。以前にならった通り、結帯は真実を束ねるほど意識の隙間をえぐり取る。代償はいつも静かに、だが着実に現れる。
収容区の扉の前まで来ると、監視の間合いが一瞬だけ欠けた。ルツが素早く解除ピンを差し、内側に潜り込む。扉の内側は低い天井で、湿った石のにおいと、遠くから漏れる嗚咽のような音が混じっていた。監房には薄布で顔を覆った者たちが横たわり、眠っているのか夢に浸っているのか判別しにくい。夢納庫の被告予備──まだ裁かれていない者たちの夢が、ここに保管され、いつ判決の証拠になるかまで待たされているのだ。
「サヴィナ、右から二つ目の棺。目を覚ますなという札が貼ってある」
ルツの低い声。彼女は昔、ここで鍵を扱っていた。カイは札に触れると、その素材が薄く李紙のように繊細であることを感じた。監房に居る者たちの夢は、札一枚で封印される。だが封印は裁きの前触れでもある。札を剥がすことは、当人の夢を公にすることを意味する。公の場で見せられれば、制度は「真実」として上書きし、彼らを裁きにかける。
カイはゆっくりと結帯を始めた。右手の人差し指で胸の前に細い導線を描く。糸が肌を這う感覚が、背骨を冷たく登る。最初の断片が「音」として耳の中に落ちてきた。囁き、笑い、眠りの震え——ほんの一瞬で、他者の記憶片が視界に重なった。彼はそれを掬い取って、胸の内でひとつに編む。
サヴィナは目を見開いて起き上がった。年の割に深い皺が刻まれた顔が、薄暗がりに浮かぶ。目は血管が走り、表情は疲弊している。だが声はまだ若く、震えながらも透明だった。
「お願い、裁かないで。私は……私は守ったの。飢えの夜に、子どもたちを。夢を差し出して、食を買った。代価に、自分の眠りを寄こした。でも、私は選んだの。皆を助けるために、誰かの夢を税として渡したの。あの──あの人たちの顔を見せて、裁いてくれる?」
サヴィナの告白は酸っぱい匂いを伴った。彼女が守ったという人々の顔が、カイの内面で糸になって絡み、細い流れを作る。素朴な家庭、青ざめた子どもの頬、鉄格子越しの泣き顔。彼女はそれらをひとつひとつ口にしていった。名前も、街角の匂いも、太陽の位置も。カイはそのたびに結帯の糸を伸ばし、音と映像を編み込んでいく。
だが、編むほどに、彼の胸の奥から小さな光景がこぼれ落ちる。最初はささいな違和感だった。エリスの髪を結んだときの、指先の熱さを思い出せない。次に、エリスが笑っていたときにいつも唇の端に浮かべた小さな皺の形が、ふっと抜け落ちた。カイは手を止めた。結帯を緩めると、サヴィナの語りはふたたび空に消える。彼女の目に、わずかな恐怖と希望が交錯した。
「無理に見るな」と、ミラの囁きが耳元で震えた。「彼は自分の代償を、もう十分に払ってる。記憶はお前のものだ」
「だがこれで……これで皆の顔をつなげられれば、誰も一人で責められはしない」
カイは呟いた。彼が司祭であるという立場は、ただ裁きを下すためだけのものではない。彼の能力は真実を見せるための器だが、その度に彼は自分自身を削る。サヴィナの目に映った顔が、彼の手で証言として掲げられたとき、制度の裁きは機械のように動き始める。だが掲示とは同時に、救済の手段であり、強制的な断罪でもあった。
ルツがポケットから小さなガラス管を取り出した。中には薄い光を宿した断片化した夢が入っている。彼女はカイに差し出し、低い声で言った。
「これが最後の切り札。被告予備の中から三つを束ねれば、公開される証言は法廷でも有効になる。だが、完全に連結すると、夢納庫の守りは反応して増幅する。障害が来るだろう」
「増幅……」カイは言葉を噛み締めた。増幅とは呪いが収容庫の反応として強まること。救済を強制するほど、呪いは歪みを大きくしていく。以前、彼が小さな町で同じ手法を使ったとき、村の夜は夢魘の嵐に襲われ、村人の魂は深く傷ついた。
沈黙の後、カイはその管を受け取った。ガラス越しに見る夢は、淡い金色の粒子のように露出していて、それを掌で撫でるとひんやりとした感触が指先に伝わる。結帯を深く結う。糸は指先を走り、胸から脳へ、過去から現在へと一直線に伸びる。サヴィナの映像、管の中の断片、ルツが過去に盗み見た記録——それらが一つの証言の帆に織り込まれていく。
編み上がる瞬間、保管室の空気が振動した。遠くの機械が深い唸りを上げ、床の瓦が微かに震える。夢納庫の反応だ。ホーランが離れた位置で何かを蹴飛ばす音がして、灯りが一瞬暗くなると、廊下の向こうから人影が迫った。結帯が強まるほど、周囲の呪詛が応酬する。闇は鋭い針のようにざわめき、監房の壁に張り付いた過去の映像が、うごめくように浮かび上がる。
「止めて!」サヴィナが叫ぶ。「お願い、こんなふうにしないで。皆が苦しむ!」
だが声はもう遅い。カイの胸の中にできた証言の帆は透けるように強く輝き、外に向かって開いていった。それはただの言葉ではない。夢の糸が光となって扇状に伸び、監房の住人たちの胸に触れる。触れられた者の夢は暴走し、影が実体を帯びて蠢く。増幅が始まった。
闘いが始まったのは、増幅が彼らの肉体を掴んだ瞬間だ。影が人の形を取り、吐息の冷たい刃で襲ってくる。ミラは素早く身を翻し、短い小剣で闘う。ホーランは力任せに影を突き倒し、鉄製のパイプで床を叩いて歩哨を引き寄せる。ルツは大きく息を吸い込んで、逃げ道を開くために配線を切断した。計画以上の混乱を彼らは独自の判断で切り抜ける。カイは結帯の糸を手放せず、ながく切られた記憶の一片を取り戻すこともかなわない。
波状攻撃の最中、カイの視界には一つの顔がふっと滲んで見えた。ぼんやりとした輪郭、あたたかい笑い、夜の台所で差し出された薄いスープの匙。彼は空いていた手でその輪郭を掴もうとしたが、指先は空気しか掴めない。代わりに、もう一つの事実が彼の脳裏に落ちた——サヴィナが口にしたある名。小さな村の名。そこは、エリスが幼い頃