夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第21話「第19章」
熱気と怒声が、塔の広間を震わせていた。油煙の匂いと人々の汗の混ざった空気が、低い波となって身体にまとわりつく。公聴会の壇上では、徴夢院の役人たちが青白い顔で書類をひろげ、周縁からは兵士の足音が鋭く響く。だがもっと大きな音は、会場の中央に据えられた夢織りの盤から発する金属の唸りだった。盤は薄い光の糸を吐き出し、それを計測機が硬貨のように数える。誰かの息が止まる。
熱気と怒声が、塔の広間を震わせていた。油煙の匂いと人々の汗の混ざった空気が、低い波となって身体にまとわりつく。公聴会の壇上では、徴夢院の役人たちが青白い顔で書類をひろげ、周縁からは兵士の足音が鋭く響く。だがもっと大きな音は、会場の中央に据えられた夢織りの盤から発する金属の唸りだった。盤は薄い光の糸を吐き出し、それを計測機が硬貨のように数える。誰かの息が止まる。
「静粛に!」院長ホルムの声が、空転する歯車のように場に絡みつく。だが被徴収者の一人が立ち上がり、震える声で話し始めた。話は夢のことではなく、軍服を着た者が夜に屋根裏を調べ、子どもの枕元から何かを取り去っていった──という告白だった。声は途切れ途切れで、しかし確かに誰かの時間を引き戻す力を持っていた。彼らは同時多発的に語り始め、ひとつの語りが別の語りを呼んだ。矢継ぎ早に差し出される「夢」を、徴夢院は貨幣に変えていた。誰のものかを知られたくない者が、今ここで拳を握っている。
タリウス司祭は壇の片隅でその光景を見つめていた。黒い司祭章と白い襟。彼の左手には古い絹の帯、結帯(けったい)の端が巻かれている。結帯は夢の糸を束ね、当事者の証言として現前させる力だ。だが条件があった──夢の所有者が意思を持って差し出すこと、そして束ねられた真実の重みに対して代価を払うこと。代価は、タリウス自身の記憶の一部と、強制が発生した場合には呪いの増幅である。彼はそれを知っている。だからこそ、顔は冷たかった。
「司祭!」ユナが彼の腕を強く引いた。ユナの黒い髪は汗で額に貼り付いており、瞳は燃えている。「今なら、みんなが話す。あなたが結束を示せば、彼らの声が証言になる。だけど無理はしないで——」
タリウスは短く首を振った。ユナの言葉はやさしいが、今は決断の時だ。壇上の空気が一瞬静まり、議場の向こう側で徴夢盤が新たな糸を吐き出した。糸は生光を帯び、人々の頭上を渡ってゆく。誰かの夢が他人の手の中で換金され、顔の色が蒼白になってゆくのが見える。タリウスの胸に、針のように鋭い痛みが走った。
「結帯を行使する」と彼は言った。声は低く、床板に落ちる雨のように確かに響いた。ユナは口を固く結び、カイは兵士の群れへと視線を走らせた。ルーヴォは、小さな録音器を握りしめて彼の足元に潜り込む。
タリウスは帯を解き、掌にそれを置いた。結帯は手触りである。指先に触れた瞬間、薄い糸が彼の皮膚を這い、冷たい感触が背筋を伝った。束ねるには、語る者の意思の糸を受け止めることが必要だ。壇上の前方から、ひとりまたひとりと人々が前に出る。口の端に震える笑いを宿した老女、腕に包帯をまとった青年、泣きながら子を抱く母──彼らは夢を「語る」。夢は言葉ではなく、感覚として帯の中に流れ込む。砂のような音、古い水音、母の指先の暖かさ。タリウスの脳に、それらが刺さる。
結帯は、それらを一つに縫い合わせる。彼が糸を手繰るたび、会場の空気に新たな映像が立ち上がった。スクリーンに映るのは個々の夢だったが、繋げられた瞬間にひとつの筋が浮かび上がる。夜襲の絵、屋根裏の小窓、銀の鍵、裸足で逃げる子ども──さまざまな視点が重なり合って、同じ夜を証言する。観衆は息を呑んだ。徴夢院の役人たちの顔が青ざめ、院長ホルムの唇が震えた。
しかし、力の行使には代償が訪れるという糸が引かれた。タリウスの頭は急に軽くなった。最初は遠い波のように、次第に濃くなる。ポケットの中の硬貨の重みさえ感じないほど、何かが彼の胸から抜けていく。ふと思い出そうとする。セリアの笑い声、古い木の香り、彼女が好きだった薄紫のスカーフの柄。言葉は爪の先で裂け、形を結ばない。彼は手を胸にやったが、そこにあったはずの記憶の輪郭は、紙が燃えた後の灰のように散っていった。
ユナが彼を見て、慌てて近づいた。「タリウス、やめるの? 続けるの? 記憶が—」
「まだ──」タリウスの返事は曖昧だった。彼は自分の選択の終わりを知っていた。続ければ、より多くの夢が一つに纏まり、不可逆の証言になる。止めれば、セリアの姿を最後まで保てるかもしれない。だが止めることは、徴夢院の弁舌を抑えることにならない。彼は手を絞るように帯を握り直した。
その瞬間、徴夢盤が悲鳴のような高音を上げた。盤の回転数が上がり、吐き出される夢の糸の流量が跳ね上がる。誰かが制御室に手を加えたのだ。機械の暴発は呪いの増幅を意味する。人々の夢が強制的に抽出され、痛みを伴って換算される。悲鳴や喘ぎが散発する。小さな子どもが泣き叫び、母親が顔を歪めた。徴夢院は最後の力を使って場を抑えようとしている。抑圧は暴力を伴う。
カイが兵士の列に斬り込み、物理の力で盤まで辿りつこうとした。ルーヴォは計測機の電源を断とうと、腕を伸ばす。ユナは壇上で被徴収者たちを静めつつ、号令をかける。彼らの選択は自律的で、暴力と救援の混ざる行為が同時進行する。だが敵の制度は巧妙で、局所的な破壊は常に別の歯車を回す。
タリウスはただ、糸を手繰り続けた。結帯の中心に、彼自身の意識を差し出すようにして──そのプロセスが、かつてないほど肉体的な代価を要求した。映像は膨れ上がり、会場の巨大スクリーンを満たす。個々の夢が合わさり、ひとつの洪水となって流れ落ちる。声が重なり、同じ夜の証言が叫ぶ。公聴会に来た者たちの目が潤み、膝を崩す者、拳を固める者。徴夢院の書類は風に舞う紙切れみたいに無力だった。
だが同時に、盤の暴走は別の結果を生む。換金された夢は、数えられる――そして税は増えた。会場の片隅で、幼い女の子が気を失った。光の糸が彼女の胸から引かれるのが見えた。タリウスはそれを感じ取り、胸を掻くようにして叫ぼうとしたが、言葉が喉で砕けた。彼の中のセリアの顔が、すうっと薄くなっていく。彼はその瞬間、なぜ自分がここにいるのかを問い直す必要に迫られた。目的は愛した人を裁くこと──だと、心のどこかで繰り返した。しかし裁きのための真実が、代価を伴って彼の記憶を削いでゆく。喜劇の一幕のように、目的と代価が互いの存在を食べあっていた。
最後の一束をまとめたとき、映像はひとつの顔を浮かび上がらせた。だがタリウスの視界は白いしぶきで満たされ、輪郭はほとんど消えかけていた。彼は叫びをあげた。叫びには声にならない音が混じり、彼の歯が鳴った。結帯の発動は成功した。会場にいる数十人分、百人分の夢が一つの証言になって、誰の目にも見える形で現れた。人々はそれを見て、初めて互いの被害を理解し始めた。民衆の小さな手が一つの重みを共有した瞬間だった。
だがそこには、もう一つの代償があった。タリウスの手の中にあったはずの、暖かい面影が消えた。彼は何度もセリアの名を口にしてみたが、口から出てくるのは空洞の音のみだった。まるで冬の朝の霧が彼女の顔を拭い取っていったかのようだった。ユナが叫ぶ。「タリウス! 記憶が──!」
タリウスは膝をつき、ゆっくりと顔を上げた。スクリーンの映像に向かって、彼は手を伸ばす。映った場面は鮮烈で、夜襲の証言は確かにそこにあった。だが同じ映像の片隅に、予想もしない存在が映り込んでいるのを誰かが指摘した。
「あそこに――」囁きが会場を走った。ざわめきがまたひとつの