夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第2話「第1章」
扉の木板が夜風にきしむ音で、礼拝堂の奥を揺らした。線香の灰が小さく揺れ、古い石の床に撒かれた金貨の欠片が月光に鈍く光る。レンはその陰で、薄いまぶたを閉じたまま座っている少女の指先に触れていた。指先は冷たく、夢の余熱だけを残している。
扉の木板が夜風にきしむ音で、礼拝堂の奥を揺らした。線香の灰が小さく揺れ、古い石の床に撒かれた金貨の欠片が月光に鈍く光る。レンはその陰で、薄いまぶたを閉じたまま座っている少女の指先に触れていた。指先は冷たく、夢の余熱だけを残している。
「始めてください、司祭さん」小さな声。ミコがすり寄るようにして言った。息が震えている。礼拝堂の外では、徴税の足音と子どもの泣き声が混じり合っていた。夢税徴収隊の来訪は、この町の生活音になっていた。
レンは指先を緩めず、ゆっくりと手のひらを上に返した。掌の中心から、黒い細糸がじわりと生まれた。その糸は墨で描いた線のように滑り、光を編む。糸は空気を縫うように伸び、暗闇の中に淡い映像の繭を結ぶ。ミコの目に映るその瞬間、彼女の顔が引き締まった。
「結帯(けったい)……」レンは囁いた。言霊にも似たその名を発音すると、黒糸はすべての感覚を絞るように震え、繭は映像の言葉を紡ぎ始めた。少女ミータの夢が、空気の中で震え、声を得る。
映像は生々しかった。白い天井に数え切れない手がぶら下がり、手のひらの皺に小さなコインがくっついている。眠りの中の声が「税を、税を」と繰り返し、遠くの市場からは商人の賑わいと、子どもが一枚のパンを巡って蹲る音が混じっていた。だがそれだけではない。夢は別の人の断片も引き寄せる。ミータの夢の縁に、別の夜に別の家で数えられた同じコインの匂いが付着していた。レンが黒糸を伸ばすと、その匂いは繋がり、複数の枕に湧いた悪夢が一つの証言に編み上げられていく。
「見えるか、ミコ?」レンは低く問う。ミコの瞳は大きく見開かれ、空中に浮かぶ映像を呆然と追う。
「うん……あの、これは……」ミコの声が掠れる。映像の中の徴税官が、背に刻まれた刺青で誰かの標を示すのが見えた。刺青は王権のものとは異なる旋律を描いていた。それを見た瞬間、レンの胸の奥がぎくりとした。指先から伝わる糸の熱が、彼の頭蓋の棚を一つずつ撫でるように走り、懐かしい記憶の縁がふわりと消えかけた。
――母の台所の灯り。薄い木の匂い。彼女が歌ってくれた子守唄の冒頭の一節。
言葉が、音が、指先に絡め取られていく。レンはそれを捕まえようとしたが、繭の中の声が濃くなり、夢の合唱が彼の内側を引っ張った。黒糸はさらに密になり、複数の夢の痛みがひとつの流れとなって押し寄せる。
「取れた、これでいい。記録に残せる」レンは紙片に思考をなぞるように書きつける。その筆跡は震えていないが、胸のどこかに空いた穴を感じていた。紙の端に書かれた言葉を自分で読み返すと、そこにあるはずの幼い日の母の顔が、紙越しにぼやけていくのがわかった。名前が、顔の輪郭が、匂いまでが少しずつ薄れる。心の奥を一つ失うたびに、映像は澄んでいく。代償は確かに取られた。
ミータが小さく震え、寝汗に濡れた髪が額に貼りつく。レンは繭を解き、黒糸を掌の中で撚り縮めると、糸は灰色の塵になって消えた。礼拝堂の静寂が戻る。ミコは嗚咽を噛み殺して俯く。
「司祭、どうして同意が要らないんですか。人の夢を勝手に取るなんて——」ミコの声は怒りにも似ているが、裏返っている。レンは手を横に振った。
「やらねばならない。夢は、証拠だ。夢は裸の真実を見せるが、ばらばらだと誰も信じない。結帯はそれらを共同の記憶として束ねる。誰か一人の告白よりも強い、集団の証言になる」レンの声は平静を装っているが、目の端が潤む。失った母の歌が、遠い霞のように後ろへ流れていた。
「でも、その代償は――」ミコは言い切れずに言葉を詰まらせた。レンは小さく笑った。それは痛みを誤魔化す笑みだった。
「代償がある。それを分かっているから、僕はそれでも進む。裁くべき相手がいるからだ」。レンの口の端で、名前が漏れた。イレニア。彼が幼かった頃、傷ついた彼を拾い上げ、盾になった女。柔らかい手。夜毎にくれた銀色のパン一切れ。彼女の温もりが、今、自分の記憶から輪郭を失いつつある。
「イレニアをだな……」ミコの目が鋭くなった。「彼女がこの町の徴税と関わっているって、本当ですか?」
レンは頷く。頷くことで、失くすものが一つ増えるのを感じた。だが後悔はなかった。むしろ、胸のどこかで冷たく積もる決意が確かになっていった。
「彼女は守る者だった。だが、守るために選んだ道が人々を縛るものだった。僕には、その裁きをさせてもらう」。レンの手が震える。ふと、わずかな痛みが掌を貫いた。黒糸を作るたびに、内部の何かが削られる感覚だ。失くす痛みは始まりの合図であり、同時に真実を引き出す鍵でもある。
その時、礼拝堂の大扉が勢いよく開いた。冷たい夜風とともに、官吏の靴音が石床を引き裂く。扉の隙間から差し込む光が、レンの残った母の記憶を一瞬照らし出し、次の瞬間には消し去った。
「レン・カーヴァン、夜討ちとは風流だな」低い声。三人の男が制服めいた外套を押し開け、部屋に入ってきた。胸には刺繍された紋章。紋章の中央に、小さな花弁を組んだ印がある。レンの鼓動が跳んだ。あの刺青と似ている──夢の中で見た徴税官の背中にあった紋章に。
長身の一人が礼を取ることなく前に出た。額まで下した帽子の縁の下から、女性の顔が覗いた。年齢は三十路を少し過ぎているように見える。銀がかった髪が夜光を受けて鋭く光る。レンの胸が、氷の針で突かれたように冷たくなった。
「イレニア……?」レンの声は枯れた。目の前の女性は、かつて彼にとって盾であり、温もりであり、そして今、審判の対象であるはずの者だった。だがその表情は、保護者の優しさでも、憐憫でもなかった。仕事をする人間のそっけない整然さが顔を支配していた。
「あなたを呼ぶために来たのではない、レン・カーヴァン。王室監査院の代理として来た。あなたの行為は噂になっている」イレニアの声は冷たい。礼拝堂の空気が堅く締まった。ミコがレンの袖を掴む。震えが伝わる。
「噂って、何の?」レンは問い返す。手の中の空虚を手探りで確かめる。母の歌はもう、確かな言葉ではなかった。糸で編んだ夢の一つを取り返した代わりに、心の引き出しから何かを落とした感覚が続いていた。
イレニアはゆっくりと中を見回し、ミータの方をちらりと見る。その視線には計算があった。やがて彼女は文書を取り出し、封蝋を押す。印章は町にも王室にもよく知られたものとは違い、中央に小さな花弁の紋が刻まれている。それは徴税の象徴、その制度を隠すための花だとレンは直感した。
「あなたのやり方は、秩序を乱す。夢を縫い合わせ、裁きの根拠にするとは。王権は、夢税の適正を守るために定めた。個別の救済は例外無く、秩序を揺るがす可能性がある」イレニアの声には、遠くにある薪の火を扇ぐような冷徹さがあった。
レンは衝動的に立ち上がり、手を伸ばした。「あなたが、この町を縛るために選んだんだ。守る名の下に。僕はその裁きを——」
イレニアは指を一本立てて、その動きを封じた。「裁きを請う者は多い。だがレン、覚えておくがいい。強制的な救済は、呪いを増幅させる。あなたが無理に救おうとすれば、被徴収者の苦痛は跳ね上がる。その結果がどれほど残酷か、あなたはまだ知らないはずだ」
言葉は静かだが、それは戒めにも