夢を税にする司祭は愛した人を裁く

夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第3話「第2章」

雨の匂いが乾いた石畳に滲んでいた。早朝の光は、街角の夢市の布張り屋台にまだ満遍なく行き渡らない。アベルは、左手に古びた十字の紋章を押し当て、右手の指先で小さな革袋の縫い目を撫でた。中には、まだ誰にも売っていない夢片が一枚だけ入っている。冷たく、薄い紙の裏側から心臓の鼓動が伝わるようだった。

雨の匂いが乾いた石畳に滲んでいた。早朝の光は、街角の夢市の布張り屋台にまだ満遍なく行き渡らない。アベルは、左手に古びた十字の紋章を押し当て、右手の指先で小さな革袋の縫い目を撫でた。中には、まだ誰にも売っていない夢片が一枚だけ入っている。冷たく、薄い紙の裏側から心臓の鼓動が伝わるようだった。

「準備はいいか?」と、フウカが手を振る。彼女は昨日の夜も街角で笑いを売っていた――夢を小さな演目に縫い合せ、客に一瞬の希望を届ける女芸人だ。朝の薄い光に映える彼女の額には、まだ舞台メイクの残りがうっすら残っていた。指先に染まった水彩の色が乾いて、皮膚にひび割れのような模様を生んでいる。

「一度だけだ」とアベルは答えた。声は低く、いつになく固い。彼の眼は、誰もが訝るだろうほど遠くを見ている。ミレイはその言葉を聞いて、紙の束を小さく握りしめた。かつて税務補佐だった彼女は、書類の端を噛む癖があって、今朝も無意識にその癖が出ていた。

「対象は?」ガイが訊ねる。軍師だった彼の瞳は冷静だ。視線が市場の奥を刺した。そこに、夢税を徴収する巡査が今日も革の鞄をぶら下げ、通りを歩いている。巡査の名はローデン。市の端で小さな商人を脅したと噂される男だが、ミレイは別の名刺を差し出した。

「ローデンじゃない。彼は端切れに過ぎない。本命は、今月の徴税表に載っている“管理者”だ。夜に夢を集め、朝に仕分ける者――その指標に『審査』と記された。審査者の名は……」ミレイは一瞬、紙を見つめた。顔に少し青みが差す。紙面には、滲んだインクで「ヴァルター」と書かれていた。ミレイの指がふるった。

アベルは革袋を開いた。中の夢片は、淡い銀鼠色に光っていた。触れると、耳に遠い子どもの泣き声が混ざった。夢片をアベルの胸元に当てると、紋章が温かく反応し、微かなざわめきが広がる。彼の内側にある呪いが、夢の断片を引き寄せるように震えた。

「条件は知っているね」とアベルは言う。「私は、呪いの見せる真実を“当事者”の証言として束ねる。だけどそれは、一人で見る幻ではない。複数の当事者が同じ軸で夢を見る必要がある。証言は重なり合って真実になる。だが――」彼は言葉を切った。言葉の先に、いつもと違う痛みが差す。

フウカが小さく笑った。「おまじないは詩的ね。でも、君がそれで何を失うか、私たちは見てきたはずよ」

彼女の言葉で、アベルの喉が引き締まる。彼は以前にもその代償を支払った。記憶のいくつかが薄れて、指の腹の感触を頼りに思い出すことがある。ただ、今日の代償は試す価値がある――と、彼は自分に言い聞かせる。

儀式は簡素だった。ミレイが帳面を台に据え、ガイが周囲に小さな石の円を描く。フウカは口笛を低く吹き、通行人の注意を引く。アベルは夢片を額に当て、瞼を閉じる。冷たい感触が額から脳に伝播し、世界の色味が滑り落ちていく。

夢の中で、アベルは白い部屋に立っていた。光が高く、壁にはたくさんの扉があった。扉のひとつひとつに、小さな金札がぶら下がっている。札には「希望」「後悔」「欠乏」といった単語が書かれ、そして一つだけ「真実」と刻まれた札が揺れていた。その札へ向かって、幾つもの手が同時に伸びた。手は違う肌の色、違う年齢の皺をしている。しかし指先は同じ線で刻まれ、札を掴もうとする。

アベルが「真実」を掴むと、世界は音を立てて裂けた。裂け目から出てきたのは、夢の断片ではなく、生々しい場面だった。ヴァルターが、夜の倉庫で薄暗いランプの下で帳簿をめくっている。彼の背後には暗い影があり、そこにいるのは徴税を受ける小商人だ。二人の間に言葉はない。代わりに数字が浮かび上がり、小商人の胸から銀色のもやが吸い取られていった。

同時に、別の手が同じ場面に触れる。違う視点。隣の通りを歩く郵便屋の老婆の視線、倉庫の壁に貼られた看板の端、前日そこを通り過ぎた少年の夢。証言は重なり合い、場面に肉付けされる。アベルはそれらを束ね、台帳のように並べていく。真実は“場面”として満ちていった。

だが束ねるたびに、アベルの中の何かが薄れていった。最初は小さな欠片だった。指先にまで確かだった、以前の彼女――リナの笑いの音の記憶が、遠くなっていく。彼女が編んだ青い毛糸の匂い。ささやかな真実が、雪のように消える。アベルはそれを手帳の隙間に押し込もうとした。押し込めば済むだろう――そんな錯覚が襲ったが、帳は固く閉じる。

「止めて」とガイの声。彼の顔が固まっている。夢の束ねが一つ、二つと重なるたびに、外の街の空気が揺れ、屋台の飾りがざわめいた。フウカが妙な声を上げる。彼女は顎に手を当て、目を見開いた。

「何が起きてるの?」ミレイが言う。帳面に筆を滑らせる手が震えている。外から、誰かの叫び声――高く、断続的な悲鳴が聞こえた。夢税の徴収機構が、彼らの介入を“敵対”と判断したのか。アベルは夢の中で最後の札を引き寄せた。そこに書かれていた言葉は「救済」だった。

ほんの一瞬、アベルは決断を急いだ。ヴァルターの無実を証明し、彼を公の審判から救おうとすれば、彼の帳務の闇が明るみに出るだろう。だが救済のために真実を振るえば、呪いは反作用する。強く握りしめればしめるほど、呪いは増幅する。アベルはそれを知っていた――それを知っているからこそ、彼は躊躇った。

「救済に手を伸ばすな」ガイが低く囁いた。彼の右手がアベルの肩を掴む。現実の重さが、夢を揺らす。アベルは手を止めた。救済の文字は彼の掌で燃えるように熱かった。もし救いに向かえば、倉庫のあの小商人の夢が裂け、周囲の人々の夜の安堵が引き裂かれる。彼は知っていた。呪いは、希望を無理に救おうとする人間の心を餌にして、さらに大きな欠落を作るのだ。

アベルは抜け殻のようになって目を開けた。額には冷たい汗、口の端には血の味がした。隣のフウカが膝をついて、地面に指の跡をつけている。ミレイは帳面を掴み、震える声で言った。

「ヴァルターの名がここに載っている理由は一つよ。彼は、夢の選別を監督する立場にいる。もし私たちがこれを公にすれば、王権は間違いなく反撃する。だけど、ここで止めると――」彼女は言葉を切った。紙の束から、小さなスタンプが落ちた。そこには、古い印刷で「一次審査済」と読める。

「一次審査済?」ガイが眉を寄せた。「つまり、誰かが公の手で彼を調べる直前に、我々が彼を調べたということか。彼らが審査の流れを把握している」

アベルは、手の震えを感じながら自分の胸を探った。リナの毛糸の匂いが、遠い影になってしまっているのを確かめる。彼は失ったものを数える気にもなれなかった。だが、仲間の顔を見たとき、決めなければならないことがあることを思い出す。彼らは、彼の代わりに選ぶことはできない。自分が裁かれる対象を一度だけ「調べる」と宣言したのは、彼自身なのだ。

「ヴァルターを、今夜調べるか――それとも公の審査に任せ、別の手段を取るか」ミレイの声は冷たい。市場の音が戻りつつある。遠くに、夢税を告げる鐘が鳴った。その鐘の音は、街の眠りを測るように規則正しかった。

アベルは再び夢片を握りしめた。銀鼠色の表面が、朝日に僅かに光る。指先に残る冷たさと、胸の奥から消えゆく誰かの笑い。

彼は、選