夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第19話「第17章」
地下室の空気はガラスと蜜蝋の匂いでぎしりと重かった。無数の瓶が暗がりに浮かび、内側で蒼く蠢く煙がそれぞれ独自の脈を打つ。光は低く、振動している楽器のように瓶の縁をなぞった。
地下室の空気はガラスと蜜蝋の匂いでぎしりと重かった。無数の瓶が暗がりに浮かび、内側で蒼く蠢く煙がそれぞれ独自の脈を打つ。光は低く、振動している楽器のように瓶の縁をなぞった。
「ここが――記憶のアーカイブか」
カーディンが息を吐いた。革の手袋に伝わる冷たさが、彼の声からも伝わる。かつての斥候長は武器を握る手つきのほかに、不意に子供のような驚きを見せた。
エリアスは祭服の裾を押さえて進んだ。聖職者の白い襟はどこかよれ、胸の内はさらに乱れていた。彼の掌にある小さな金属片が、軽く震える。この石片は彼の能力の鍵となるものだった。真実を束ねるとき、いつもそれは冷く、そして重たくなった。
「試してみるか」
ミラが低く囁く。黒いコートのフードを深く被り、彼女は一つの瓶を選んだ。ラベルには手書きの文字で「アンナ・村落徴税・補筆」とある。ミラはリーダー格のように隊のために情報を集めた。今、この部屋のどこかにある数千の断片が、王権の記憶を編んでいる。
アンナは拘束されたまま連れて来られていた。肩は細く、夢を抜かれた後の人間特有の空洞が瞳の縁に見える。彼女は震えながらも、エリアスを見た。そこに一瞬、昔の親しさがよみがえる気配があった。エリアスの胸を疼かせたものは、怒りでも復讐心でも救済の願いでもあった。すべてが一つの端に結びついていた――彼女に、そしてソフィアに対する彼自身の判断。
「条件はいつも通りだ」ミラが言う。声に躊躇はない。
「一人の夢だけでは証明にならない。束ねるには、当事者の証言として同時性と重なりが必要だ。だが――」彼女は瓶を差し、視線をエリアスに向けた。「その代償は、あなた自身の記憶が減ることだ。彼らもそれを呼んで『徴税の甘味』と呼ぶ。使いすぎれば、救済を強制するほど呪いが暴走する」
エリアスは金属片を握り直した。爪の痕が指先に白く残る。内側からひりつくような感覚が広がる。能力を使うたびに、彼の頭の中にあるはずの断片が、削り取られる。ソフィアの笑い、雨の屋根の匂い、彼女の名前を呼んだときのその重み。すでにいくつかは薄れている。昨日の夜、彼はソフィアが弾いた小さな鈴の音を思い出そうとして、ただ空虚な輪郭だけをつかんだ。
「始めてくれ」アンナが声を振り絞る。その声はわずかに子供のようだった。彼女は自分の夢を語ることを恐れていないように見えた。ある種の解放さえ宿している。ただし、その解放は王冠と聖印局に利用され、税という名で刈り取られてきた。
エリアスは金属片をアンナの胸元に翳した。冷気が皮膚を刺し、彼女の眉がぴくりと動く。ミラが詠唱を始める。古い言葉が低く、瓶に満ちる蒼い煙を揺らした。アンナの眼が遠くを見始め、瞼の裏に記憶の風景が映る。エリアスはその情景を「束ねる」ため、金属片に思いを載せ、両手を伸ばした。
光が一箇所に集中する。瓶の中の煙が吸い寄せられ、アンナの言葉と混ざり、やがて半透明の糸のように伸びる。糸は金属片の縁に絡まり、彼の体内へと滑り込もうとする。入る直前、彼はその糸の先の匂いを察知した。焼けた砂糖と鉄、そして小さなピアノの鍵盤を擦ったような匂い。ソフィアの鈴の匂いに似ていた。
「思い出を差し出せ。わたしはそれを証言にする――」エリアスは口ごもりながらも呪文の補助線を引いた。行為は裁きの儀式で、同時に懺悔でもある。糸が彼の胸を通る瞬間、何かが引き裂かれる感触が走った。腹の奥で鈍い音がして、頭のどこかにあった景色がぼやけた。
そのとき、アンナの夢が叫んだ。
それは彼だけの音ではなかった。夢の中の兵隊の行進、子供の泣声、そこへ来る白い手――音が立体的に広がり、瓶の外へ漏れ出した。彼らは皆それを聞いた。カーディンは顎を突き上げ、ルーは顔を伏せた。ミラは歯を食いしばりながらも、指先で記録板を叩く。
束ね終えた瞬間、エリアスの視界の片隅から一つのイメージがこぼれ落ちた。ごく短い、しかし確かな映像だった――ソフィアの小さな手が、木の箱の蓋を閉めるところ。彼はその蓋を閉じる理由を思い出すはずだったが、代わりに只の色面だけが残った。白と薄茶と、鈴のかけらのような光点が散った。感情だけが、はっきりと震える。愛しいという重量だけが、まだあった。
しかし記憶が抜けると同時に、夢の反動が彼の体を襲った。胸の奥が焼けるように痛み、喉がぱさついた。手足に冷たい瘤が出て、そこにかすかな黒い結晶が浮かぶ。ミラが慌てて薬嚢を差し出すが、エリアスは首を振る。
「大丈夫だ」彼は言った。声が遠い。だがその"大丈夫"は、仲間たちに届かなかった。カーディンは彼の肩先を掴み、押し戻そうとする。
「やめろ、エリアス。無理はするな」カーディンの声は怒りまじりだが、どこかに焦燥もある。彼は、賭けに出る男の上で自分の意志を行使する立場ではないと知っている。仲間たちは自律した選択をする。ミラは記録を続け、ルーは監視器に映る瓶の番号を走り書きする。それぞれが自分の役割を選んだ。
アンナの束ねられた夢は証言として形を取った。瓶の中の蒼い煙が一列に整い、壁に掛けられた白杖型の器具がそれを受け止める。可視化された証言は、ひとつの糸となり、裁判所で使われる書面の代わりに機能するだろう。だがその代償は現実に、今、エリアスの内部で起きている。
「これで、アンナの声は再現できる」ミラはそう言って、肩を震わせた。「でも――本当に届けるのか? 王府も聖印局も、こういうものをどう編集するか学んでいる。編集痕は必ず付けられる」
ルーが小さな端末を差し出す。みると、先の束ねで生じた記録の一部が波形として表示されている。そこに不穏なノイズが入り始めているのを、彼女だけが見抜いた。
「改竄の兆候がある」ルーが言う。「瓶に封された時点で、彼らは編集する術を持っている。『徴税の記録』は洗練された形で戻される。真実は、往々にして服を着せられるんだ」
エリアスは画面をぼんやり見つめる。ノイズが走るごとに、どこか遠い記憶が擦り切れていくのがわかる。代償は物理だけでなく、彼の歴史を蝕む。彼はこの選択で、ソフィアと自分の過去のいくつかを、永久に失っていく。
「それでも」彼は低く、しかし確かに言った。「私は彼女を裁かなければならない。もし――もしソフィアが洗脳されていたなら、その責を問わねばならぬ。だが、もし彼女が――」
言葉が途中で消えた。代わりに小さな音が倉庫の奥から聞こえた。誰かが棚を探る音、もしくは何かが滑る音。ミラの目が鋭く光った。カーディンがすぐに抜刀の構えを取る。ルーは端末をスライドさせ、奥の通路の映像を拡大した。
奥の一列の瓶の束の中に、見慣れたラベルが見えた。小さな、しかし確かな文字。そこには「ソフィア・ヴァレンティール」と書かれていた。彼女の名は、エリアスの胸の奥のどこかにまだ刺さっている。指先が震える。彼はそのラベルに手を伸ばした。
「そこに――」ミラが呟く。「封印が甘い。誰かが後から触った形跡がある」
カーディンが瓶を手に取ると、王権の刻印が微かにこすれていた。封蝋は新しい。そこには馴染み深い、しかし不自然な補助線が引かれていた――編集のための位置決め。誰かが故意にその瓶を選び、手を加えたのだ。