夢を税にする司祭は愛した人を裁く 第11話「第10章」
鐘楼の風は、真っ白な紙の山をひとつの海に変えていた。薄暗い礼拝堂の窓から差し込む午後の陽は、切り刻まれたページの縁を金色に揺らす。ページは指の間を滑り、床に落ちて、また舞い上がる。ユウゴはそれをただ見つめていた。手のひらに力を入れると、紙の端に入れたインクの滲みが、まるで息をするように震えた。
鐘楼の風は、真っ白な紙の山をひとつの海に変えていた。薄暗い礼拝堂の窓から差し込む午後の陽は、切り刻まれたページの縁を金色に揺らす。ページは指の間を滑り、床に落ちて、また舞い上がる。ユウゴはそれをただ見つめていた。手のひらに力を入れると、紙の端に入れたインクの滲みが、まるで息をするように震えた。
「本当に、これを――」ミラの声は低く、冷たかった。彼女はかつて御用の徴収台帳を扱った女だった。紙を掴むと、指先にまだ油とインクの匂いが残る。
「公開すれば、王都の連中も動く。夢司令局は黙っていない」ロウが言う。肩幅の広い男は、窓の外の夕立ちを背にして腕を組んだ。「先に手を打たれたら、対象者の暮らしはもっと崩れる。俺はこの文書を一斉に晒すべきだと思ってる」
サキは壁際の椅子に座り、足の指先で古い床板を掻くようにしていた。彼女は小さな共同体を回す若い活動家で、目の奥に静かな光がある。「でも晒し方によっては、被徴収者自身が曝される。夢は個人の深処だ。公表が救済になるとは限らない。暴露によって守られるどころか、狙われるだけなら――」
ユウゴは重たい書類の束を胸に抱えた。表紙は薄墨で「証言連結書」と書いてある。彼の能力が編み上げたものだ。夢の残滓を手繰り、当事者たちが夜に見た断片を縫合し、1つの物語として提示できる──しかしそれは彼の血肉を代償にして成る。ここ数ヶ月、その代償は白昼に現れていた。自分が愛した人の輪郭が、指先で触れるほどに薄くなる。
「――ユウゴ、君は知ってる。君がこれを完成させるまでに、どれだけの記憶を刻み落とした?」ミラは問いながら、ページをめくる。インクが夢を描き出すと、薄く光る模様が走る。そこには、夜に呻く子供の声、ある徴税官の冷たい指の感触、裏庭に埋められた箱の木目。断片は確かに真実の重さを持っていた。
ユウゴは答えなかった。喉の奥に溜まったものが、声帯を締め付けるようだ。ナツキの笑い声が、目蓋の裏で揺れる。けれどその音はすでに砂粒のように崩れ、どこから出ていたのか分からなくなっていた。彼は手のひらで自分の胸を探る。そこにあったはずの温度が、薄れてゆく。
「じゃあ、試してみせて」ロウが促す。彼の眼差しは冷徹だ。「完璧な証拠があれば、人民は動く。夢司令局の庇護を剥がせる」
「完璧は、君の代償で買えるものじゃない」ミラが震える声を押し殺す。「暴露で得るものと失うものを、誰が秤にかけるの?」
ユウゴの指がページの端を撫でた。そのとき、紙の上のインクが揺れ、微かな熱を帯びた。彼は深呼吸をして、ゆっくりと目を閉じる。能力を起動する瞬間、世界の音が遠ざかる。雨の音が透明になり、ロウの息遣いが二つに裂けた。ユウゴは夢の糸を手繰る。その糸に触れるたび、胸の奥の記憶が薄れていくのを感じた。
最初に消えたのは、ナツキの手の感触だった。彼女が昔作った温かい粥の皿を差し出したときの、指の柔らかさ。ユウゴはその記憶を掴もうとしたが、手のひらが空を掴んでいた。次に、ナツキの眠る時の匂い――汗と洗いたての綿の匂い、その混じり方が溶けていった。胸に小さな空洞が開く。それは痛みを伴うが、痺れるようでもある。
「やめて!」サキが叫んだ。手を伸ばしたが、ユウゴはそれを振りほどくようにして続けた。場合によっては、彼は真実を絞り出すことを選ぶ。だがその度に、彼は誰かを忘れていく。愛した人が罪を犯した証を掴むために、彼はその人の輪郭を消してしまうのだ。
紙の上で、言葉が立体になった。無数の夢片が繋がって、税の集積場の図面、夜の帳に紛れる計算書、徴収官の笑い声が一列に並んだ。そこに一つ、驚くべきものが紛れ込んでいる。官僚の名札。ルクスという名が、くっきりと浮かぶ。ユウゴはその名を知っていた──夢司令局の高位司令官。だが彼は表向き、徴税の公平を讃える聖職者としての立場を取っていた。
「ルクスの名が……ここにあるのか」ロウの指先が震える。礼拝堂の空気が一斉に吸い込まれるように冷えた。
「驚くことじゃない。制度が回る以上、頂点に手が届く糸はある」ミラが答える。「問題は、これをどう晒すかだ。晒したところで、ルクスは法を使って反撃する。彼らは暴露を口実に『秩序の強化』を宣言する。そうなれば我々の仕事はただの炎上で終わる」
ユウゴは目を開けた。世界の輪郭はもはや以前と同じではない。ナツキの顔を思い浮かべると、そこにはぼんやりした影しか無い。彼は手の平でその影をなぞった。悲しみが胸を締め付けたが、同時に軽さもあった。忘却は救済の代償であり、救済はまた他者の夢を食わせた影の増幅でもある。
「聞いてくれ」ユウゴは結論を出す前に、皆を見渡した。「公開の可否は、被徴収者自身に決めてもらいたい。僕が一方的に裁くのではなく、当事者たちに選択権を返す。強制的な救済は呪いを肥やすだけだ。自分で決めることが、本当の始まりだと思う」
ロウが鼻を鳴らす。「理想論だ。奴らは判断力を失っている。夢に縛られ、朝になると現状を受け入れるように刷り込まれている。選択なんてできない」
「だから、選べる場を用意するんだ」サキが口を噛みしめる。「紙を持って、どう扱うかを示す。直接の被徴収者に情報を渡して、彼らが開示を望むか、黙っているか、あるいは別の手段を取るかを選んでもらう。外野が決めるのではなくて」
礼拝堂の扉が、誰にも気づかれないまま、しわぶきのように開いた。軋む音が部屋に余韻を残す。黒ずんだブーツの男が、一枚の文書を掲げて入ってきた。徽章は黒銀の旋律で、夢司令局のものだ。男は表情を変えずに文書を差し出した。鮮やかな朱印が押されている。
「夢司令局より、文書差押命令。『証言連結書』は国家の安全を損なう恐れがあるため、直ちに提出せよ。拒否した場合、当該地区に対する夢税の倍加を含む緊急措置を執る」
文字を読むごとに、紙の山が床に落ちるような衝撃がユウゴの胸を貫いた。倍加──徴税が二倍、三倍に跳ね上がる制度があるのを、彼らは恐れていた。公表すれば救済を呼ぶだろうが、その直後に「秩序の強化」を掲げた命令が降りれば、被徴収者は新たな苦しみに直面する。
「倍加条項が……」ミラが呟く。指先が震え、紙の端はもう乾いた粉のようだ。「これは公開の選択を迫るものだ。出せば皆が知る。出さなければ、私たちが隠蔽したと非難される」
ユウゴは立ち上がり、手にあった書類を差し出すわけでも、拒否するわけでもなく、ただ前を見た。ナツキの名が先ほどの連結書にあることを思い出す。彼女は被徴収者のひとりであり、かつて彼を救った人でもある。彼の中で、その事実が尖って立った。
「彼らに決めさせるんだ」ユウゴは低く言った。「私たちは文書を手渡す。誰を晒すか、誰に保護を求めるか、その是非を共同体が選ぶ。僕は……僕は最後まで裁くためにここにいるつもりだった。でも、もう裁きは僕だけの仕事じゃない。ナツキが、自分の行いをどう受け止めるかを、周りがどう支えるかを、僕らが作る場で決める」
ロウは口を尖らせた。「じゃあ、リスクはどうする? 夢司令局が倍加を発動する前に我々が動かなければ、彼らは手続きを踏まずに力を使ってくる」
男──司令局の使者は、無表情に朱印を握り直した。「命令は未