記憶を凍らせる薬師は自分の罪を数え直す

記憶を凍らせる薬師は自分の罪を数え直す 第20話「第18章」

街灯が途切れ途切れに並ぶ夜道で、ユエンは膝をついていた。風が通り過ぎるたび、路地の影が薄く震え、遠くからは軍靴の乾いたノイズが断続的に響く。手元を照らすのは、裂け目のあるランタン一つ。ガラスの中で、火は小さく揺れ、周囲の闇を切り取るように斑模様の光を刻んでいた。その光に照らされた手が今、震えている──黒いインクを含ませた筆先が、帳面の白に細かく線を刻んでいた。

街灯が途切れ途切れに並ぶ夜道で、ユエンは膝をついていた。風が通り過ぎるたび、路地の影が薄く震え、遠くからは軍靴の乾いたノイズが断続的に響く。手元を照らすのは、裂け目のあるランタン一つ。ガラスの中で、火は小さく揺れ、周囲の闇を切り取るように斑模様の光を刻んでいた。その光に照らされた手が今、震えている──黒いインクを含ませた筆先が、帳面の白に細かく線を刻んでいた。

「……十二、十三、十四」
ユエンは数字を数えながら、ひとつずつ罪の記号を帳面に落としていく。罪というよりも、選択の記録だ。針の音のように、彼の指先に伝わる冷たさが帳面の上で広がっていく。ガラス瓶が幾つか並んでいた。中には微かな結晶が、月光のように光っている。

「本当に、これで正しいのか?」
屋根の縁から体を出していたリアの声が、低く漏れた。彼女はユエンの仲間で、判官のように静かな眼差しを持つ女性だ。リアの目は、路地に溢れる不安と同じ量だけユエンを見詰めている。

ユエンは答えなかった。答えはいつも、書かれるものの中に隠れていた。だが、胸の奥で何かがきしむ。今日の証言者は、マユという名の染物師だった。年端もいかない娘のために、隣家の男を通報したという。隣家に暮らす者たちを救う代わりに、一家のひとりを差し出した。彼女の言葉にはためらいと、焼けるような決意が混じっていた。

「そのとき、私は……」
マユは声を落とした。息を吸うたびに、布の匂いと鉄の匂いが混ざる。ユエンは彼女の手を取った。掌は熱っぽく、震えていた。

ユエンの手に触れた瞬間、寒さが指先から喉元へ走った。見えない氷の針が、彼女の中を撫でるように通り過ぎる。マユの瞳に、白い繊維のような光の筋が走った。彼女は目を閉じ、唇を噛んだ。氷は彼女の記憶を掬いあげるための道具だ。ユエンはいつも、記憶を凍らせると言っていた。だが、実際は凍結の瞬間に音もなく引き剥がされるものがある。

「あの夜、私は――」
マユが言葉を紡いだ。裏腹な説明と弁明。彼女は隣家の子が夜に泣き止まなかったこと、兵がいつも空腹で、部落の平穏と自分の娘の成長を天秤にかけたことを話した。ユエンはその声を瓶に注ぐように、自身の技を使った。指先に伝わる冷気が濃くなり、掌の中で白い結晶が膨らむ。マユの胸の奥で光の糸が切れて、小さな雪片が空気に落ちた。ユエンはそれを手ですくい、小さな試験管の中に封じた。

封じると同時に、胸の内側で何かが崩れた。熱を帯びた痛みが、ずきりと頭蓋を揺らす。ユエンは目を閉じ、細い息を吐いた。筆を置くと、紙の上に滲んだ黒い点ができていた。マユは息を整え、涙を拭いた。彼女の目には後悔と解放が混ざっている。

「ありがとう。これで、変わるかもしれない」
マユはそう言って、俯いた。ユエンは立ち上がり、彼女の肩に短く触れてから離れた。触れた部分に、僅かに霜の跡が残る。リアがそれを見つけ、口をゆがめた。

「増えたか?」と彼女が訊いた。ユエンは帳面を見下ろし、改めて数を数えた。数字は増えていた。だが、ユエンの視界の端で、空白が広がっていくような感覚が戻ってきた。

彼が最後に封じたとき、消えたものがある。母の台所の匂い。小さな手がパンの端を掴んだときの温度。思い出せるはずの旋律が、次第にぼやけていく。記憶を他者の証言として固定するたびに、ユエン自身の内側にある何かが薄れていくのだ。彼は冷たさを握りしめて、その代償を数えたことはない。今夜、数えようとした途端、その感覚が喉に刺さる。

「私には、君がやらなければならない理由が分かる」とリアは言った。「でも、強制的に救いを与えたとき、何が起こるか覚えているか?」

リアの声は、低く硬い。ユエンの記憶は、その問いに繋がる痛みを呼び覚ました。二月前、彼は兵士の眼を見て、その罪を浄化するように頼まれた。兵は自らの手で村人を殺したと泣いていた。ユエンはその罪を凍らせ、消した。彼はそのとき、救済という名の温もりを与えたつもりだった。だが翌朝、彼は自分の右の頬に、浅い白い線が走っているのに気づいた。心の中のある顔が、消えていた。彼の指が探すと、そこには父の笑顔を呼び起こす音符の断片がなくなっていた。

「俺は……」ユエンは唇を震わせた。「あのとき、救った。子どもを――無理にでも忘れさせて、彼らを守ったんだ。だけど、その後で俺は父の顔を一つ、なくした。あの日から、夢にある笑い声が薄れていく」

リアは黙ってユエンの手のひらを覗いた。掌の皮膚に、薄い白い結晶が細い筋となって見えた。呪いは、印となって残る。強制的に記憶を消したことが、呪いを増幅したのだ。ユエンはそれを知っていた。だが、マユのように自分で選んで記憶を差し出す者たちもいる。違いは、主体性だ。彼はその線を守りたかった。自分が数えるのは、誰がどう選んだのかを明らかにすること。だが、手元にある冷たさは常に、代償を要求する。

遠くから金属の擦れる音が近づいてきた。通りの方で兵舎の見張りが巡回する足取りだ。ユエンは瓶を布で包み、帳面を抱えた。マユはしおらしく立ち上がり、彼らに頭を下げた。ユエンは何かを確かめるように、再びマユを見た。彼女の瞳には、迷いと覚悟が同居していた。

「君は、選べたのか?」とユエンは訊いた。問いは単純だが重かった。マユは小さく顎を振り、声を震わせながら答えた。

「私に選択の余地はなかった、と言うのは簡単です。でも、私は自分で決めました。誰かを差し出すことで、他を守ると選んだのは私です。恥じています。けれど、それ以上に――」彼女は目を伏せた。「娘を抱きしめて生きたいと、私は強く思った」

ユエンは何も言わなかった。ただ、冷えた瓶の蓋を確かめて押し込んだ。マユは小さく息を吐くと、重い足取りで闇の中へ帰っていった。リアは彼女を見送ると、ユエンに背を向けた。

「これを持って帰るのは危険だ」とリアは低く告げた。「目についたら、全部を奪われる。我々がやっていることは見つかれば異端と叫ばれる。彼らは『正義』の名の下で記憶を消す側だと、あなたもわかっている」

ユエンはうなずいた。だがそのとき、路地の入り口で足音が止まった。影が一つ、彼らを覗き込むように突っ立っている。小柄な兵員だ。肩章は低く、眼光は欠けている。彼は自分の手に小さな金属管を握っていた。率直に言えば、それはごくありふれた物に見えた──だが、光の当たり方は少し変だった。管の表面に刻まれた文様が、見慣れた紋章と似ている気がした。

「拾ったのか?」と兵は訊いた。声は無愛想で、周囲の空間に波紋を描く。

リアは反射的に一歩前に出たが、兵は無関心そうに空気を吐いた。彼はポケットの中から金属管を取り出し、それを回して見せた。表面の刻印は、教戒院の紋章に似ていた。教戒院──王権と宗教を結ぶ組織。市中に言葉を配り、戒律を施し、時には『償い』と称して人々の記憶を変えたと噂される場所だ。リアの指先が、ほんの少しだけ白くなる。

兵の瞳に、気詰まりな疑念が光った。彼は金属管を傍らに落とすような素振りを見せた。その瞬間、管の蓋が外れ、中から一つの薄い結晶がこぼれ落ちた。空気に触れると、結晶は細かく震え、薄い霜のような光の余韻を発した。その光は、ユエンが