眠りを失う王子は神を告発する

眠りを失う王子は神を告発する 第18話「第16章」

蝋燭の炎が、ある瞬間だけ揺れて消えかける。石壁に反射した光はゆらめき、空気は蝋と湿った土の匂いで満ちていた。地下の部屋は人の体温で満たされ、息継ぎが重なって小さな潮のように響く。セレンはその中に座っていた。瞼の縁が赤く腫れ、瞳の奥で光が鋭くなっている。眠りはもう遠い。眠りを奪われた王子の身体の表は、疲労と決意が混ざった影を落としていた。

蝋燭の炎が、ある瞬間だけ揺れて消えかける。石壁に反射した光はゆらめき、空気は蝋と湿った土の匂いで満ちていた。地下の部屋は人の体温で満たされ、息継ぎが重なって小さな潮のように響く。セレンはその中に座っていた。瞼の縁が赤く腫れ、瞳の奥で光が鋭くなっている。眠りはもう遠い。眠りを奪われた王子の身体の表は、疲労と決意が混ざった影を落としていた。

「始めるわよ」 ミラが低く言った。護衛長の声はいつもの厳しさを押し殺し、ここでは母性のような柔らかさを帯びる。彼女は周囲を見回し、全員の手が握り合われていることを確かめた。手のひらは冷たく、それぞれが自らの意思でここに来た証だった。

蝋燭の近く、蒼白な顔をした女が立ち上がった。カリン。小さな子を抱えていたが、今はその姿は影のように萎んでいる。彼女の声は最初震え、だが次第に強くなった。「アイソール司令が、村を通り過ぎるときに、眠りを奪ったの。父も、夜ごと泣き続けて——」 熱を含んだ言葉が床石に染みる。彼女の手が震え、指の関節から蝋の滴が落ちるように言葉がこぼれ落ちた。

セレンは立ち上がり、カリンの前に膝をついた。彼の指先は冷たく、空気は金属のように澄んでいた。手を伸ばすと、証束(あかしだすき)が動いた。彼が使う術は、真実を結ぶ器具でもあり、鎖でもある。触れる対象の記憶を、あるいはその人の体験を束ね、他者へ伝搬させる。「証」を束ねるほど、術者の内にある記憶の糸は切れていく——それが代償だ。

セレンはカリンの瞳をまっすぐに見た。彼女の瞳は暗い井戸のように深く、そこから浮かび上がる風景がゆっくりと流れ込んでくる。夜の行列、鎧の歩み、灯りの中で手を伸ばす父の顔。真実は冷たく、しかし切実に燃えた。彼はそれを受け取ろうとした。

「待って」 イーヴァンが手を差し出した。医師はいつも思索的な顔をしているが、今は顎を硬く噛んでいた。「強制して救済するというのは危険だ。増幅が起きる。君の術で“救済”を無理に押し付ければ、呪いは振幅して返ってくる──それを君も知っているはずだろう?」

カリンは目を見開いた。「でも、妹が檻にいる。夜だけど、あのままだと──」

「我々は強制しない。ここで声を上げることを、彼女自身が選べるようにするんだ」 ミラが言葉を割った。彼女の手がしっかりとカリンの肩を押さえ、暖かさを伝える。「君の妹に会いに行くことはできる。だが、我々が“救済”の行為を国家の前で強制するなら、その代償は計り知れない。三年前に似たことがあった、その時――」

イーヴァンが口を開くと、部屋の空気は一段と重くなった。彼が語るのは、強制救済が現実に呪いを増幅させた話だ。ある村で、一家を夜の静寂から引き剥がしたとき、近隣三軒が同じ夜から眠りを奪われた。彼らは救済を叫んだ隣人を糾弾し、その隣人は裁かれもせず死に至った。呪いは形を変え、希望を踏みにじる刃となったのだ。

カリンの指先に力が戻り、彼女は蜜のように呟いた。「でも、彼女がここで声を上げられない。檻の中で誰かが——誰かが彼女の言葉を奪ったらどうするの?」

セレンは黙って、証束の感触を手首で確かめた。彼の腕に沿って、まだ薄い紋が浮かんでいる。結ぶたびにその紋は深くなる。紋は冷たく、触れると微かに蜂の羽音のような振動がする。彼は自分がこれを使うたびに、幼いころに母が読んでくれた詩の一節を忘れる距離を感じていた。忘却は静かに、しかし確実に彼の中の景色を削っていく。

「改めてやり方を変える」セレンは言った。「私が全部を覚えている必要はない。証束は、当事者が自らの言葉を持ち寄ることで効力を持つ。私が束ねるのは、その証言を“共通の場”にするだけだ。記憶の重荷は分配できる──ただし、同意が必要だ。誰かの意思を奪ってはならない」

部屋の一角で、老人が咳をして笑ったような声を出した。「君はそれで救えると信じるのか?」 その老人、バルドはかつて小さな村で救済を叫んだ側の一人で、増幅の代償を身をもって知っている。彼の手には、皮膚に焼き付いた小さな瘤のような模様がある。炎がついた跡のように黒ずみ、見た者に寒さを与える模様――それはかつて違法な強制救済を行った者たちに残った印だ。

「君らしい戦術だ」バルドは薄く笑った。「だがな、術の根がこちらと同じだと知ったら、連中は喜んで利用するだろう。国家は証を手に入れ、私たちをまた操る」

その言葉に、部屋は一瞬静まった。セレンは首をかしげ、机の上に置かれた小さな巻物を見た。ユラが差し出したものだ。情報屋はここ二日、城の図書室の忘れ物を漁っていた。巻物の封は古びていたが、封印の刻印は見覚えがあった。セレンの心臓が小さく収縮する。刻印は、彼が自分の腕に感じる紋と同じ文様であった。

「それはどういう意味だ」ミラが短く言った。

ユラは唇を噛んだ。「大司祭庁と総督府の間で交わされた書簡の抜粋だ。『眠りの管理』の名目で、ある印を持つ者たちに関する名簿が作られている。管理と救済を同時に行う、と。印の図は──」 彼女は巻物を広げ、蝋燭の光に文様を照らした。黒いインクが浮かび上がる。渦を巻くような、指のような模様。それはセレンの手首の紋と、表裏が一致していた。

「──それは、われわれの術と同じ文様だ」セレンの声は静かだが、部屋全体に響いた。「つまり、奴らは我々と同じ源泉を使っている。呪いのメカニズムを制度化しているということだ。救済の名で人々の睡眠を管理し、抗った者を“救済”の対象にして正当化する」

カリンの顔が青ざめた。「じゃあ、彼女は……」

「リストに名前がある」ユラが指を滑らせる。その先には幾つかの名が並んでいた。地方の村長、反政府の詩人、そして――見覚えのある一つの名が、セレンの視界に飛び込んできた。彼の本名。公の名とは別の、幼名として呼ばれたあの名だ。心臓の鼓動が耳元で高くなった。蝋燭の火が一瞬強く揺れ、影が彼の頬をなぞった。

「これは……どういうことだ?」 ミラの声がかすれた。周囲の者たちの顔にも、驚きと恐怖が混じる。

セレンは手のひらを見た。そこに小さな冷たい痛みが走る。紋が、わずかに浮かび上がっている。それは単なる偶然の一致か、あるいは彼自身が誰かの管理対象であるという宣告か。どちらにしても、選択を迫られている。リストを公にすれば、名のある者たちが解放されるかもしれない。しかし、公開の過程で国家が「救済」を強制すれば、呪いは周囲に波及する。逆に、黙っていて誰かを助ける手段を選べば、王子の立場は薄くなり、個人の命を犠牲にする可能性もある。

カリンが小さく呻いた。「私の妹は……」

セレンは顔を上げ、周囲の目を一つひとつ撫でるように見た。誰もが自分の答えを待っている。ミラは唇を噛み、イーヴァンは答えをまだ見つけられないようだった。ユラの目は、どこか遠くを見据えて決意を固めている。

「私は──」セレンはゆっくりと言葉を紡いだ。「この名簿を暴くために動く。しかし我々は、救済の行為を誰かに強制してはならない。被害者が自らの意思で声を上げられる場を作る。地下での集会だ。証言は、当事者自身のものとして残す。私が全部を背負うのではなく、皆で共有する。だが──」 彼は言葉を切った。胸の奥がひりつく