夢葬高校のプロトコル

夢葬高校のプロトコル 第4話「第三章 人格の乗り換え」

同期室の白い天井には、いつもの欠けた月が薄く浮かんでいた。ミツルの端末が低くカウントする。七分間の規約は、ただの数字ではない。残りが一ミリでも減るごとに、夢側の法則が現実側へ硬い音を立てて伝わる。ミツルは片手でイヤピースを押さえ、もう片方の手は呼吸のリズムを機械に刻ませるように胸に当てていた。端末は彼の呼吸があるときだけ安定する。あれが途切れれば、地図は瞬時に揺らぐ。

同期室の白い天井には、いつもの欠けた月が薄く浮かんでいた。ミツルの端末が低くカウントする。七分間の規約は、ただの数字ではない。残りが一ミリでも減るごとに、夢側の法則が現実側へ硬い音を立てて伝わる。ミツルは片手でイヤピースを押さえ、もう片方の手は呼吸のリズムを機械に刻ませるように胸に当てていた。端末は彼の呼吸があるときだけ安定する。あれが途切れれば、地図は瞬時に揺らぐ。

「準備はいいか、シン。許可は正式な記録と家族代理の署名で確認した。だが――ハブの応答履歴が外部から書き換えられた痕跡がある。完全な安全はない」ミツルの声は平坦だが、画面の端に小さな警告が点滅した。

シンは枕を握り締めた。彼は同期役だ。現実側の脳波を合わせるのは自分の責任だが、それは同時に対象の夢に対する「アクセス権」を与えることでもある。手続きは取った。だが、ユラのハブには奇妙な重なりがあった。ミツルの地図はうっすらと、シンの幼い脳波プロファイルとユラの断片が接触している線を差している。

「行くよ」ナギが短く言った。彼女の指先にはいつもの同期リング。彼女は夢の中で触れた物に、夢主が隠した感情の“重さ”を付与できる。ただしそれは、夢主が無自覚で抱えている感情にしか反応しない。作り出すことはできないのだ。ナギはそれを理解したうえで、今日も重さを作る。

白い天井が波打ち、室内の空気が薄く伸びる。蛍光灯が点滅し、暗いホームの空気に変わった。列車の鉄臭が夢に染み入る。プラットフォームには古い路線図と、錆びた案内板。そこにひとり、ユラが座っていた。表情がふわりと揺れて、第一の人格が挨拶する。

「いらっしゃい、よく来たね」

声は落ち着いていて、看護師のような口調だ。だが瞬間、視界が揺れて色調が変わると、ユラはもう一つの顔に変わった。幼い声で、飴のように甘い呼び方をする。

「しんくん、あそぼう?」

その呼び方が、シンの胸の奥に埋められた小さな鍵を鍵穴から引き抜いた。ほんの一瞬、幼い光景が刺さる――白い椅子、細い手、誰かが泣いている。だが触れようとすれば指の間で崩れる。シンは思い出せない。思い出せないこと自体が、彼の痛みだ。

「多重人格の境界だ。三つのノードが同時に活性化してる。中心は白い校庭へ収束している」ミツルが告げる。端末のラインが三本の光として、廃駅、水族館、保健室の三点を繋いだ。線は細い糸のように震え、合流点だけが濁っていた。

ナギはユラの鞄を見つけ、ためらいなく手をかける。本来なら軽いはずの鞄が、ナギの掌で急に重くなる。夢の物質は感情に反応して重力を変える。ナギはユラの「守りたい」という感情を顕在化させ、鞄は床を突き破るほどに沈んだ。床の裂け目から三つの小箱が転がり出る。蓋に手書きの数字――3、1、7。ナギがそれを掴むと、指先が冷たく震えた。

「317……繰り返し出てくる暗号だ」ミツルが淡々と報告する。彼の地図は言葉を付け足すだけで、真偽を判定する力はない。だが記号は残る。シンの胸にまた、幼い景色の断片が押し寄せる。白い実習室。光のスライド。幼い彼が誰かを引き剥がす場面。断面のように切られた時間。最後に、幼い彼が振り返ったことだけが確かな記憶だった。

「誰が本物かを決めるんじゃない。どれも消えないように、選べる余地を与えるのが先」ナギの声には、行動の倫理が宿っている。彼女はいつも、人に選択の余地を返そうとする。シンは刃を握る手が冷えるのを感じた。断夢は接続を切るための技で、使えば使うほど彼自身の記憶が薄れる。既に一度、授業中の悪夢で使った。今それを振るえば、また何かが落ちる――幼い自分のどこかが失われるかもしれない。

車内アナウンスの音が変わる。水槽の泡、遠くで鳴る教室のチャイム。三つめの人格が現れた。低く、刃のような口調で言う。

「あなた、覚えてる? あなたは私を一度、夢の中で殺した」

その言葉はホームの空気を切り裂いた。ユラの目が鋭く光り、周囲の魚群が一斉に渦を作る。人格同士の衝突は、夢の物理そのものをねじ曲げる。罵り合うたびに床板が波打ち、照明が星座のように割れる。

シンは深く息を吸った。断夢で人格を一つ切り捨てることは可能だ。しかしルールは厳密だ――彼の断夢が対象に及ぶのは、彼が物理的に触れた「線」か、「構造」の一部だけだ。人そのものを選んで直接奪えば、夢主の人格の一部まで削れる。今回の目的は救出だ。救出とは、誰かの選択を消さずに返すことだ。

「時間がない。五分を切った」ミツルの端末が告げる。彼は胸を押さえ、呼吸を安定させる。地図は微かな揺れを見せたが、彼の息が続く限り線は消えない。ミツルの顔に冷えた汗がにじむ。深く潜れば潜るほど、彼は現実側に薄れていく。だが今はまだ、彼の息がある。

ナギは小さな石を取り出し、そこに指を触れた。彼女の能力でユラの迷いを石に注ぎ込む。石はどんどん重くなり、床を押しつけて夢の流れを遅らせる。ナギ自身も体が引き寄せられるように足が鈍り、息遣いが荒くなる。彼女は限界を知っている――重さを増しすぎれば、現実側でも動けなくなる。

「シン、私が時間を稼ぐ。ミツル、地図を固定して。あなたは……座標を断てるか?」ナギが尋ねる。シンは断夢という刃を見つめる。今回、彼が触れている「座標」は列車の一角に現れた“十三番目の座標”の影だ。教室の空席のように見えるが、実体は夢どうしを結ぶ節点だ。生徒の魔物ではない。

彼が刃を、座標に沿って走らせる決断をするまでに、時間は少ししか残されていなかった。断つべきは人ではなく、つなぎ目である。シンは自分の手指に集中し、刃を座標に当てた。刃は冷たく、同時に懐かしい痛みを伴った。使えば、何かが滑り落ちる。すでに一度失った記憶の感触が、彼の胸を突く。

刃を振るうと、夢の線が一つ、音もなく切断された。列車の車体がきしみ、窓の向こうに白い校庭の輪郭と、鷺沼レイの姿が浮かび上がる。白衣をはためかせた男は、距離を置いてこちらを見据え、まるで検査するように冷たい笑みを浮かべた。

「君はね、思っている以上に深く関わっている」鷺沼の声が夢の合間に滑り込む。彼の存在は、校庭の法則を定める装置の影のように大きい。鷺沼の顔が窓ガラスの断片ごとに映り、無数の彼が列車の前方を満たしている。

切断の代償はすぐに届いた。シンの胸のどこかが、また一つ薄くなったように感じる。どの記憶が消えたのかは、その瞬間には分からない。だが確かなのは、彼が今までよりも軽くなったということだ。代わりに、ユラの夢は一瞬、揺らいで視界が歪んだ。

「二分切った。強制退出のトリガーが接近している」ミツルの端末が叫ぶように報告する。ナギの石はさらに沈み、彼女の目が鋭くなる。ユラの三つの影が一つの声になった。

「私たちは、一人にならなくていい」

その声は合わさったとき、不意に温かさを帯びた。白い校庭の輪郭が割れ、鷺沼の顔は遠ざかる。断絶は成功したかに見えたが、夢の戻りは残酷だ。欠けた月が最後の一片を落とすと、現実が強制的に侵入してくる。ミツルの地図は揺れ、彼の呼吸が乱れる。ナギがシンの腕を掴む。二人の視界の端に、幼い自分の顔が最後の笑みを見せた。

「戻るぞ、三十秒以内に切り上げる」ミツル