夢葬高校のプロトコル 第3話「第二章 記録にない空席」
放課後の情報科学室は、半透明のスクリーンが吐く青い呼吸だけで満ちていた。蛍光灯一灯が長机の端をなぞり、窓の外の夕陽はフェンスの影を細く引いている。三枝シンは椅子に深く腰掛け、肘をついた掌の温度で額の冷たさを確かめるようにしていた。横顔のナギは足を組み、無意識に相手の顔色を読んでいる。久遠ミツルは小さな箱から伸びるワイヤを端末に繋ぎ、ディスプレイに三層の図を浮かび上がらせる。
放課後の情報科学室は、半透明のスクリーンが吐く青い呼吸だけで満ちていた。蛍光灯一灯が長机の端をなぞり、窓の外の夕陽はフェンスの影を細く引いている。三枝シンは椅子に深く腰掛け、肘をついた掌の温度で額の冷たさを確かめるようにしていた。横顔のナギは足を組み、無意識に相手の顔色を読んでいる。久遠ミツルは小さな箱から伸びるワイヤを端末に繋ぎ、ディスプレイに三層の図を浮かび上がらせる。
「監視と出席簿と睡眠ログを重ねる」ミツルは淡々と言い、一つずつレイヤーを重ねていく。教室の平面図、出席番号の点、夜間の脳波の山脈。重なった像の中に、奇妙な暗点が現れた。座席番号は十二までしか振られていない。だがどの層にも――わずかな『影』として残る座標がひとつだけある。
ナギの指がその影を指した。「これがさっきの、十三番目ってやつ?」
「座席番号じゃない」ミツルはタッチパッドを叩き、ノイズの波形を拡大する。「ここに残ってるのは――複数の睡眠ログを固定するために挿入された『座標』だ。データの境界に残る残像。誰かが夢同士を繋ぐために設けたハブの痕跡だよ」
シンの胸の奥で、幼い頃に見た小さな影がひりりと疼いた。夢の中で彼が見た「十三番目」は、空席でも幽霊でもなく、接続のために置かれた目印だった。だがその目印が、現実の記録から誰かを消す働きと結びついているとしたら――その意味は重い。
ミツルの画面がさらに反応した。三つのピークが周期的に繰り返されるスペクトルの中に、生徒たちの脳波プロファイルと部分的に一致する断片が含まれている。彼は静かに続ける。
「特徴的なのは、このハブのログが夜ごとに更新されていること。ユラの名前――天城ユラのIDが、この点に紐づいてる。登校記録は空白なのに、睡眠端末の応答だけが毎夜ある」
ナギの声が小さく震えた。「三か月も来ていないって、でもログが毎晩更新されてるの?」
「うん」ミツルは言葉を切らせず、接続された端末群のタイムラインを表示する。折れ線の集合は規則正しく集まり、縁に常に「十三」の影が覗く。その光景は計画的なリズムを示していた。
シンは指先でテーブルの縁を押さえた。もしユラが中心にされ、複数の夢が一か所へ固められているなら、あの「夢葬」に使われる手法と同じ論理が働いている。誰かの自己認識だけを狙って削ぎ取るために、他者の記憶を燃料として接続を固定する――鷺沼が理論として示していたものだ。
「だがどうやって、登校していない生徒の端末が反応するんだ?」ナギは眉を寄せる。
ミツルが表示を切り替え、ログのメタデータを列挙した。「権限が真正に見える電子的な許可の痕跡があるんだ。だけど署名の署名検証で差異が出る。タイムスタンプの付与方法、発信元のサーバログ、それに同期役の起動記録が揃っていない。つまり、外形上は『許可』があるように見せかけて、実際の同期者が介在していない強制接続の痕跡がある」
「強制接続って、現実の身体は起きてるのに脳だけが別のネットワークに取られるってこと?」シンが訊く。声に淡い怒りが混じる。
「そう。許可が偽造され、あるいは同期役がリモートで模倣されれば、夢側に脳波だけを移すことができる。現実の知覚は薄れ、夢の中に閉じ込められる。しかもその状態を長時間維持すると、接続者の自己認識の一部が夢側に残るリスクが飛躍的に上がる」ミツルは画面の右上の欠けた円を指でなぞった。「ここが七分の残り時間表示。上限を超えると、脳波の同期が不安定になり、戻ってきたときに『自分の一部』が抜け落ちる」
シンは喉の奥が乾いた。断夢の代償が、彼にとっては実体のある脅威だ。先ほど彼はすでに一度刃を振った。二度目、三度目が残された刃を確実に薄くしていく。だがそれと同時に、放置できない連鎖が進行していた。
そのとき、情報科学室の扉がゆっくりと開き、望月メイが肩からカメラのストラップを揺らして入ってきた。普段の彼女なら軽い挨拶とともに作業の合間に写真談義をするはずだった。だが今日は様子が違った。歩みがぎこちなく、瞳の焦点がふらついている。胸元でストラップに触れた手が、急に緩んだ。
メイの肩がほんの一度落ち、まぶたがふっと閉じる。体が椅子に寄りかかり、カメラが机に落ちてシャッターが一度だけ空気を切るような音を立てた。画面の睡眠ログに新たな山が生成されると、その波形は即座に「十三番目」の影へと吸い込まれていった。
「無断接続ではない」ミツルは冷静に説明する。「端末の許可は電子的に生成されているが、その許可の裏にある同期記録が欠落している。外見上は本人が同意したように見えるが、実際は強制的に同期が作られている。こういう場合、現実側の同期役がいないまま脳だけが別のハブへ移される。戻すための物理的制御が欠けているから、取られた側が自力で戻れない」
ナギがメイの肩に手を当てる。メイの呼吸は浅く、だが規則的だ。彼女のまぶたの下で、夢の中の光景が育っている。シンが思い出したのは、断夢で誰かを引き戻した後にその人が訴えた神経の痛みだった。切り帰した分だけ、現実の輪郭がびりりと裂ける。
「こうなると、僕らがむやみに入れば危険だ」ミツルは眉間に寄せた。スクリーンに小さな警告が点滅する。許可の偽造を示す証拠と、接続のハブが外部からの操作で更新されているログ。痕跡は残るが、向こう側の意図までは掴めない。
シンはメイの顔を見下ろしながら、ひどく静かな声で言った。「手続きを経て、許可のある被害者から同意を得て入る。同期役は僕がやる。だが――断夢を使う前に、きちんと方法を決める。無理な切断は、ユラみたいに誰かをさらに傷つけるかもしれない」
ナギの瞳が怒りと覚悟で赤く光る。「今増やすわけにはいかない。誰かの意思を無かったことにするために眠らせる連中を、放っておけない」
ミツルはデータの複製を始めた。外部に痕跡が移る前に、ログをバックアップし、ハブの応答群を昼夜問わず保存する。その指先は冷たく正確で、だが画面の隅に小さな注記が浮かんだ。ユラのハブに付随する断片の一つが、シンの幼い脳波プロファイルと部分的に重なっている――と、端末が出した診断文が告げる。
シンの後頭部で、あのチャイム音がまた小さな波紋を打った。知らずに眉をしかめ、身体が反射的に硬直する。幼い自分の影が再び顔を上げる。ミツルの表示は冷徹だが、そこに示された数字は問いを投げた。
「ユラと、君のプロファイルが周縁で接触している」ミツルは淡々と言葉を返す。だが言い切れない何かが画面の外に残る。シンは胸の奥で固まるものを感じた。自分の過去が、誰かのハブと結びつくこと。それは隠してきた核を露出させかねない。
「分かった」シンは軽く頷いた。決意は紙一重で震えていた。「まずやるべきは、ここにある痕跡を増やさせないこと。メディアに知らせるか、それとも内部で潰すかは――とにかく、ユラのハブへ正規の手続きで接続するための許可を得る。被害者たちの意思を尊重して、僕たちの側で同期を揃える。強制には乗らない」
ナギがメイの肩にもう一度そっと手を置く。ミツルはディスクを渡し、コピーが完了したとだけ告げる。外の校庭は赤く沈み、室内の青い光が三人の顔を平らに照らした。画面の