夢葬高校のプロトコル 第10話「第九章 白い校庭への入口」
教室の蛍光灯はいつものリズムで瞬いていたが、そこに並んだヘッドセットと電極ケーブルは、日常品というよりこれから結ぶ「線」を待つ索具のように見えた。ミツルは端末の小さな画面を睨み込みながら、わずかに笑っていた。だが笑いの裏側には疲労と決意が同じだけ刻まれている。彼の指先は冷たかった。
教室の蛍光灯はいつものリズムで瞬いていたが、そこに並んだヘッドセットと電極ケーブルは、日常品というよりこれから結ぶ「線」を待つ索具のように見えた。ミツルは端末の小さな画面を睨み込みながら、わずかに笑っていた。だが笑いの裏側には疲労と決意が同じだけ刻まれている。彼の指先は冷たかった。
「順序は変えない。地下鉄、遊園地、旧校舎。各ノードを短時間で重ねて、仮の同期路を作る。七分を超えたら即切断。僕が波形を渡すから、そのたびにキーを受け取って──渡してくれ」
ミツルの声は端末越しに細く響く。画面上の三つの島が線で結ばれてゆく。島の縁取りは波紋のように広がり、隅に欠けた月が表示される。欠けは刻々と増えてゆき、七分という猶予が視覚化される。シンはあの欠けた月を見つめながら、断夢の残回数を数えた。残りは二回。初めて自分の力を使ったときから、回数は蓄積している。連続使用は三度までだ。
「確認しておく」シンは言った。「ユラの夢に入るには、本人の許可がいるんだろ? で、ユラは現実にいない。代理は誰が出してる?」
ミツルは一瞬端末を指で叩いた。画面が二段重ねで開き、監査ログが見える。そこには、出席簿、睡眠ログ、保護者同意のトークンが重なっていた。最後のトークンの署名欄に、〈保護者代理:綴環高等学校 特別手続き第七三号〉と書かれている。発行者は学校のサーバー、IDは鷺沼レイのアカウントだ。
「ユラ本人の生体承認は三か月前で途切れている。だがサーバー側に自動更新のプロトコルを入れてある。鷺沼が管理者権限で運用していた。要するに、学校が『代理同意』を出して接続を許可していた形だ」ミツルの声が変わる。端末上の自分のアイコンが薄れて、輪郭が消えかけている。「ログは加工されて、外部へのアクセスも遮断されてる。ユラが毎晩ログを更新しているように見えるのは、実際には端末が自動で打ち込んでいるからだ」
鷺沼が学校のサーバーに仕込んだバックドア。そこから自動で「承認」を生成し、夢境実習の枠を逸脱させていた。ユラの欠席を利用して、夢葬のネットワークを拡張していた痕跡が、目に見える形で示された。鷺沼は正当化するつもりでそれをやったのだろう。被験者を救うための「代理承認」。だがそれは本人の選択を踏みにじる偽札でもある。
「つまり、ユラに直接の許可はない。記録上はあるが、現実の同意じゃない」ナギが短く言った。眉の間に皺が寄る。「だから、鷺沼には直接話をつけるわけにはいかないってことね。接続の枠自体が改竄されてる。入るには、僕らがその回路を仮設で作るしかない」
シンはうなずいた。ルールはひとつだ。夢に入るには本人の許可と同期役、七分。だが鷺沼はそのルールを校内の手続きに埋め込み、形だけの同意を生み出していた。逆説的に言えば、校内全体が「実験のネットワーク」になっている。十三番目の座席──彼らは用語を精査していたが、その呼び名もここで定義を固めていた。十三番目は座席番号ではない。物理的な生徒を指すのではなく、複数の夢を結び付ける「位置」、同期ノードであり、接続を固定するための座標だ。監視映像に残った「空席」は、単なる椅子の空きではなく、接続回路が一時的に具現化した痕跡だった。
「十三番目は座席じゃない。僕らが固めるべきノードだ」ミツルの声音がさらに細くなる。「僕の地図だと、ノード同士の境界が重なった場所に現れる。そこを一つにまとめると、白い校庭への入口が顔を出す」
準備は整った。ミツルの端末が最初の波形を立ち上げる。欠けた月がさらに欠ける。シンはゆっくりと呼吸を合わせ、ナギの手を一度握る。ナギはすぐに鞄を握り直し、重さを注ぐ指先に力を込めた。彼女の能力は――物体に夢主の隠した感情を「重さ」として与える。それは物理的に沈むものとして夢の法則を変え、道を作ることもあれば、罠になることもある。
地下鉄のプラットフォームは、波形が開いた瞬間に立ち上がった。広告掲示板はどれも白黒に色褪せ、ホームの端に沿って黒い塊が蠢く。それは罪悪感を結晶化させたような塊で、触れると重力が局所的に増す。ナギは枯れた学校鞄を床に落とし、そこへ相馬ユウジの忘却の重みを流し込む。鞄は床を穿ち、罪悪感の一部を押し留めた。静寂が一瞬だけ生まれる。シンの断夢は黒い群れを裂き、紙片のように崩しては現実へ返す。ただしそのたびに、ミツルの端末表示が薄れてゆく。彼の「名前」がモニターから消える時間が増しているのに気づく。
「ミツル!」ナギの声が裂ける。端末アイコンは瞬間的に消え、再び戻った。ミツルは笑っているように見せたが、その目は違っていた。深く潜るほど、彼は現実側に繋ぎ止めるものを失っていく。カメラの録画から一瞬だけ輪郭が抜け落ちるのは、単なる機器の誤差ではない。ここが白い校庭の作用だ。上と下を反転させるような歪み。地図の北が狂うのも、そのためだ。
遊園地は次の接続で逆さに吊り下がり、メリーゴーランドは無数の小さな後悔で回転していた。ナギは中心に手を当て、回転台を重くして人形たちを止めた。そこで鷺沼の「警備員」が現れる。白い校庭で見たあの影だ。口は裂け、笑いを欠いた顔で襲い掛かる。しかし今回は違っていた。影の目がシンを見据えた瞬間、断夢の刃は鈍るように空を切った。目の中にあるのは――シンの空白だ。自分の過去に触れた何かが防壁になっている。
断夢は他者の接続を強制退出させる力だ。ただし、それは「他者」であることが前提だ。もし標的が自分の記憶と深く繋がっていれば、刃は自分自身を切る可能性を孕む。シンは幼い頃、ユラを救うために自分の一部を封じた。今そこに生まれた「別の自分」は、封印の残滓かもしれない。切れば消える。残せば、別の主体は自由に動く。
ナギは影を地面に縫い止めるため、重さを増した。だがそれは彼女自身を夢の中の重みに縛る代償でもあった。白目が広がり、呼吸が浅くなる。シンはナギの腕を掴み、引き抜こうとする。彼女は首を振り、「これは私の仕事」と言った。彼女の声は遠く、しかし確かだった。「あなたは自分の方をやって」
三人は最後のノード、旧校舎へ渡る。そこは古い風鈴がいつまでも鳴る屋上と、崩れかけた扉のある中庭だ。横断したとき、ミツルの地図が震え、表示が一度完全に消えた。彼の声はかすれ、返事は紙切れのように薄い。「この先、僕の輪郭が消える時間が長くなる。僕を、忘れないでくれ」
旧校舎の扉の前に、小さな影が座っていた。膝を抱えた子どもの後ろ姿。肩が細く、制服はやや大きめだ。その背中を見た瞬間、シンの頭の中でいつものチャイムが鳴り、鈍い痛みが走った。チャイムは実験の合図だった。彼は息を呑む。
「あれは──」ナギが呟いた。「違う、けど似てる」
子どもがゆっくり顔を上げる。顔はシンの顔だった。眉の角度、口元の癖、間違いなく彼のものだ。しかし目は年齢に似合わないほど静かで、いくぶん遠い。扉の向こうから白い制服の影が現れ、長い手を差し伸べる。顔は今ここにいるシンと重なる。だがその眼差しは冷たい命令のようで、哀しみを帯びていた。
白い影は幼い手を取る。幼いシンは抵抗せず、安堵のためらいもなくその手を取る。二人は扉の向こうへと歩き出す。ミツルの端末がわずかに叫び、地