雪鎖の巫女と百鬼城 第5話「第四章 契喰いの少女」
足跡は、雪に埋もれた古い道をまっすぐに伸びていた。四本の条痕は靴底の刻みが消えかけ、ところどころで小さな紙片が風に舞っては雪面にひらりと落ちている。ユキネは左手を懐に入れて、冷たさをじっと抑えた。指先の感覚はまだ戻らず、袖の布が吸うだけの温度も足りない。凍えを忘れさせるために、彼女は自分の視線を足跡の先に集中させた。嘘の亀裂は見せないが、足跡には間違いなく「誰かが、ここを通った」という記憶が残っている。
足跡は、雪に埋もれた古い道をまっすぐに伸びていた。四本の条痕は靴底の刻みが消えかけ、ところどころで小さな紙片が風に舞っては雪面にひらりと落ちている。ユキネは左手を懐に入れて、冷たさをじっと抑えた。指先の感覚はまだ戻らず、袖の布が吸うだけの温度も足りない。凍えを忘れさせるために、彼女は自分の視線を足跡の先に集中させた。嘘の亀裂は見せないが、足跡には間違いなく「誰かが、ここを通った」という記憶が残っている。
「このまま北へ?」トウマは黙って道を確かめる。鉄輪の護符が首筋にかすかな重みを与え、彼の影はいつもより張り詰めて見えた。アサギは後ろで吐く息を白くし、腰の矢筒を弄りながら「雪が叩きつける場所だ」とだけ言った。三人の間にある沈黙は、野生と役目の混ざった空気で満たされている。誰もが、あの焦げた帳面の頁を取り戻したいと望んでいた。ユキネはそれが、母サヨの手跡のついた唯一の確証だと知っていた。取り戻せば何かが変わるのか、それともただ記号が増えるだけなのか。それでも彼女は足を動かした。
足跡はやがて、雪に埋もれた古い雪室の入り口へと続いた。木の梁が斜めに折れ、扉は半ば崩れて雪の段差になっている。かつては日持ちの良い食物や貴重品を納めた場所だろう。今は風の唸りだけが奥から返ってくる。入口の傍らには、薄い黒い筋が雪を汚して残っていた。墨のような染みが、地面へと着色している。ユキネはその濁りを見て、首筋が寒くなるのを感じた。契杭の根元で見たあの黒い墨と同じ匂いだ。城の地下水路で流れ込んできたものと、同じ匂い。
「気をつけて」トウマが合図をする。護符を軽く回すと、鉄輪から細い光が走り、足元に半ば見えない輪を描いた。結界は動きを固めるものではない。だが、結びのかけらとしては十分に周囲の「約束」を一時的に留める働きをする。ここでなら、不意に現れるものを抑えられるだろう。
ユキネは小さな紙片を拾った。端が焦げている。墨の匂いと、やけどした紙の臭いが混ざり合う。ページの端には潰れた文字があった。筆跡は見覚えのある曲線を描いている。母の、それでなければ似ている誰かの筆跡だ。ユキネの胸がざわつくと、冷たい左手が疼いた。短刀を握る反射が起きる。使えばまた左腕の感覚が一点ずつ薄れていく。だが、先にその刃を必要とする者があるかもしれない。彼女は刃を解きながら、自分に言い聞かせた。斬るのは最後の手段だ。
雪室の中は想像以上に深く、空気が室内を廻っていた。床には紙屑が散らばり、天井からは吊るされた紐の端がぶらぶら揺れている。灯りがなければ何も見えないような古い空間に、誰かの呼吸がある。低く、細い。ユキネは息を凝らした。トウマの手が、彼女の肩にわずかに触れた。それは無言の「進め」の合図だった。
「そこか」アサギが弾くように言い、矢を一本抜いた。弦を引くその仕草に、ユキネは少しだけほっとした。人が生きるために持つ当たり前の動作が、ここでは強さを示す。
暗がりの奥から、そこにいたものが姿を現した。白い襤褸のような布をまとい、雪をまとった髪を肩に垂らした少女が、ゆっくりと立ち上がる。その顔は人間の輪郭をしていたが、瞳の色は雪解け水のように薄く、瞳孔の周りに黒い縁取りがある。身体の動きは儚く、しかし注意深く、周囲を嗅ぐように小さな鼻をひくつかせた。彼女の手には、見慣れた黒い墨の匂いがまとわりついている。
「……スズ」トウマが息を漏らす。氷室スズ。噂に聞いた契喰いの名だった。幼い頃の悪戯者のような名を持つ者が、こんなところに座しているとは。スズは口元に薄い笑みを浮かべると、ゆっくりと前へ出た。動作は人間そのものだ。だがその身体は、紙を破るような音もなく、雪を裂くような冷たさを漂わせていた。
「あなたが白城ユキネね」スズの声は思いの外か細かった。だがその中に何か鋭いものが混じっている。ユキネの胸がざわつく。誰でもないはずの声が、彼女の過去を探るように触れる。
「ここに来るとは思っていなかった」ユキネは短刀を握り直した。刃の冷たさが、今度は彼女の右手にまで伝播しない。左手はポケットの布に埋めている。スズは一瞥して、それを察知したように眉を上げる。
「冷たいわね。合図になりそう」スズが笑う。彼女の笑いは、雪の上に落ちる細かな結晶のように軽い。ユキネは一瞬、刃を下ろす衝動に駆られた。契喰いは契約の裂け目を餌にし、約束の残滓から新たな存在を生む。城下で起きたことの多くは、その産物ではないかと考えると、怒りが胸を満たす。だがその瞬間、スズの胸に隠された布がふるりと動き、草のように何か小さなものが顔を覗かせた。
子ども――と言ってもよいほど小さな、とても柔らかい姿。紙でできた兎のような、手足の柔らかい模造のような小さな生き物が、スズの懐にぴったりと寄り添っている。耳の先には墨の染みがあり、目の部分には小さな文字が描かれている。彼らは震えていた。スズの指がそっとそれらを撫でると、紙の生き物は安堵したように身を丸めた。
「……隠してたのね」アサギの声が荒々しくも、どこか慈しみに満ちている。ユキネの短刀が手の中で少しだけ震えた。刃の先はスズの胸に向いている。刃をおとすことは容易だ。契喰いを斬れば瞬時に残滓は散り、子らは消える。だがユキネには、今まで斬った妖異たちに見た幼い目がよみがえっていた。彼らが誰かにとっての「捨てられた約束」であるのだとしたら、その小さな存在を消すことは、誰かの記憶を奪うことと同じになる。
スズの瞳がユキネをまっすぐに捉えた。動揺は見せない。少女はにっと笑うと、後ろにあった小さな包みを素早く拾い上げた。それは、ユキネが先に見つけた焦げた頁を包んでいたものとよく似ている。
「それを、ちょうだい」スズは静かに言った。要求ではなく、嗅覚で引き寄せられたかのように、珍しげに指先を伸ばす。
ユキネは刃を下ろした。理由を自分でも説明できなかった。ただ、スズの懐にいる小さな紙らの目が、直線的な恐怖ではなく、不安と渇望を映していたからだ。ユキネは誰かを守るために刃を使う巫女であるはずだ。だが守るとは何なのか。斬ることだけなのか。母が隠していたことを思うと、答えは変わる。
「あなた、人を食ったの?」ユキネは問いただした。憎しみと恐怖を混ぜた声は、雪の中で予想以上に細く聞こえる。
スズは首をかしげ、紙を嗅いだ。彼女の鼻先が頁に触れると、その瞳にわずかな戸惑いが走った。ほのかに温かみを帯びた記憶が、紙の繊維から立ちのぼるように見えた。スズの手が震え、包みを抱きしめるように胸へ押しつける。
「……これは、まだ食べられてない」彼女は言った。驚くべきことに、声に悲しみが混ざっていた。「焼かれたんじゃない。誰かが噛んで、消した。でも全部は食べていない。残り香がある。これ、後でゆっくり味わおうと思ってたのに」
ユキネは胸の中で何かが崩れるのを感じた。母の帳面を、誰かが噛み千切ったという想像は、彼女の中で炎のように燃え広がる。もしそれが城のやり口だとしたら。もし誰かが意図的に記録を消し、代わりに新しい約束を書き込んだとしたら。スズがにやりと笑い、指先で包みを撫でる。
「ねえ、ユキネ。あなた、嘘が見えるんだって? 雪の亀裂?」スズ