雪鎖の巫女と百鬼城

雪鎖の巫女と百鬼城 第3話「第二章 鉄輪の少年兵」

朝の雪は焼け石のように固く、足を落とすたびにぎゅっと音を立てた。白綱郷の屋根から垂れ下がった氷柱が朝日を射し、町割りの細い影を朱く縫っている。ユキネは神殿の門を背に、薄手の外套を肩に引き寄せたまま歩いた。左手の甲は冷たく、触れた布地が頬に当たるとわずかな震えが伝わった。短刀の鞘はいつもの位置にあるが、そこに収まった刃がまた一つだけ自分の身体から何かを奪っていったことを思い出すと、唇が固く結ばれた。

朝の雪は焼け石のように固く、足を落とすたびにぎゅっと音を立てた。白綱郷の屋根から垂れ下がった氷柱が朝日を射し、町割りの細い影を朱く縫っている。ユキネは神殿の門を背に、薄手の外套を肩に引き寄せたまま歩いた。左手の甲は冷たく、触れた布地が頬に当たるとわずかな震えが伝わった。短刀の鞘はいつもの位置にあるが、そこに収まった刃がまた一つだけ自分の身体から何かを奪っていったことを思い出すと、唇が固く結ばれた。

「ここまで来るのか?」

隣を歩くトウマが、無表情のまま道の先を見て言った。城主家の家紋が入った革の肩当てには、まだ新しい雪の筋が残っている。彼の手には鉄の輪がいくつもつながっていた。指先で金属を弄る仕草は、彼の緊張を小さく弾いている。

「旧市街まで。紙の獣が出たって話だ。昨夜、城の雪壁の裂け目から入ったらしい」

ユキネは答えながら路地を曲がる。庇の下に留められた奉納箱の端が欠け、古い契札が風に半分めくれていた。かつての灯りが消えた商家の軒先には、息の白さだけが残されている。人影は少なく、雪に残る足跡は雨のように無秩序に交差していた。

「城の手が、また深くなってるんだな」

トウマの声は低く、彼自身も驚いたような響きがあった。ユキネは顔を上げた。彼の目はいつも以上に真剣だった。護衛のときは命令を伝えるだけの口だが、いまはその声が重かった。

「百鬼鎖の話は?」

ユキネが言うと、トウマは小さく息を吐いた。金属が触れ合う音が柔らかく雪に吸われる。

「城主は…統合を急いでいる。全ての契約を一本に結び、神々を束ねる。そうすれば——町は安全になる、という理屈だ。カゲト様は、あの大雪を忘れられない。守るためには何かを差し出すのは仕方ないと考えている」

「守るために自由を奪うのが、守りかしら」

ユキネの声は冷え切っていた。彼女は自分が神の声を聞けないことを、長年の理由にしてきた。だが昨夜、自分で誰かを助けた感触がまだ腕に残っている。それは痛みと同じくらい確かだった。

「確かに、そう言っていいものでもない」

トウマは足を止め、朽ちかけた井戸の縁に寄りかかった。鉄輪を取り出し、指先でその縁を撫でるように回す。外気に触れた鉄が一瞬、艶やかな光を取り戻した。

「でも、城主の命に逆らえる者は少ない。命令印が押されれば、紙一枚で人の行いが変わる。契約の台帳を作るのは簡単だ。そこに押すのは、誰かの親 fingerでも、誰かの飢えでもない。ただの印だ。だがその印が、人の記憶や夢や声を動かしてしまう」

ユキネはその言葉を飲み込む。台帳、印、押された日付。すべてが昨日見た空白の頁と結び付いて頭の中で鳴った。母の焼却記録と同じ日付、白紙になった奉納者の欄。誰かが忘れるようにされた「罪」が、文字通り空欄になっていた。

旧市街に入ると、景色はさらに破れたようだった。屋根の雪が落ちて道路をふさぎ、赤い結界の跡のように朱い塗料が残っている家屋もあった。扉の内側からは寒さに震えるような低いうめきが漏れ、窓から覗く影はどれもまるで遠い人形のように表情を失っていた。

「ここだ」

声を張ったのはトウマではない。角を曲がった先で、白い塊がうねり、足を取られて倒れそうになっていた。雪鬼だった。だがその輪郭は熟練の目にも不自然で、瞳の代わりに黒い影がぽっかり開いている。首からは古い契札が垂れ、その文字は読めないほどにかすれていた。

雪鬼は彼らに気づくと、ぎこちない動きで襲いかかってきた。歩くごとに雪が裂け、そこに細い亀裂が走る。ユキネの目には、亀裂がいつもより複雑で縦横に交差して見えた。嘘の集合を表す、彼女にしか見えない亀裂だ。

「斬るのか?」

トウマが尋ねる。彼の指先が、腰に下げた鉄輪をぎゅっと絞った。輪がきしむ音が冷気に混じる。

ユキネは短刀に手をかけたが、刃を抜かない。雪鬼の口元にうっすらと浮かぶ人間らしい皺が見える。唇が動き、低い声で何かを呟いた。言葉は断片的で、意味を成さなかったが、その音の中に確かな哀しみがあった。

「この人は…」

ユキネはその顔を見て、刀の柄を握り直した。「斬らない。嘘だけを断つ」

トウマの眉が動いた。彼は守る者としての訓えを知っている。即ち、妖異は排除するもの、町の安全のためには情けは不要だ。しかし、彼が抱えていた鉄輪の束の重さが、今ここで何を意味するかをトウマは知っていた。彼はゆっくりと膝を曲げ、雪に手をついた。冷たい雪が皮膚に触れたとき、指先が白んだ。

「俺が囲う。切るなら…安全に切れるように」

彼が言い終わらないうちに、小さな円が雪の上にできた。鉄輪が三つ、彼の指先から離れ、音もなく落ちていく。輪は地表に触れると鋭い音を立てて雪を噛み、薄い鉄の匂いが立ち上った。輪の中心に立てば、全体がひとつの境界となる。トウマの手の甲にはわずかな血の筋が走り、そこから鉄輪に伝わる冷たさが彼の腕を這い上がった。

「俺の方が持つ。ここにいると、命令でも動ける。だが、お前を…守るのは、城のためじゃない。町のためだ」

言葉に角があったが、その真意はユキネに伝わった。トウマの眉の間に走るしわは、命令よりも事実を見ている者の線だった。

ユキネは短刀の柄を引き寄せ、雪鬼を見据える。嘘の亀裂が彼女の視界の中心で黒くうねった。亀裂は契文の虚りを示し、そこを断てば、契の偽りが解けることを彼女は知っている。けれど、深く複雑な亀裂ほど代償は重く、熱が奪われる速度は速くなる。左手の冷たさがじわりと肘の方へ伸びる予感があった。

「名前は?」

ユキネは低く訊ねた。雪鬼の口がまた動き、今度は断片だった言葉が繋がった。

「母が…忘れろと…」

答えは詰まった。だがその断片から、何が差し出されていたのかが浮かぶ。記憶。家族の声。大切な何かを奪われ、代わりに安全を買うために自分の中から何かを切り取られた人がいる。ユキネの胸が痛んだ。

「切るよ」

その声は震えないように努めた。彼女は短刀を抜き、刃先を雪にかざした。刻むように、凍った空気が差しこむ。鋭い白い線が雪の上を走り、亀裂の中心を指す。彼女の目には、契文の偽りが紙のようにめくれ、その裏に押された印が見えた。印は城のもので、そこに小さな動物の刻印のような紋があった。ユキネは噛みしめるように舌を噛み、刃を沈める。

刃が雪を割る感触が、身体を震わせた。冷気が刃先から立ち上り、左手の根元にじんとした寒気が伝わる。最初は指先の冷たさだけだったが、走る痛みは予想よりも早く肘に近づいた。切断は契の結び目をなぞるように進み、偽りの文字が青白くほころんで消えていく。消えると同時に、雪鬼の体が震えた。黒い影の瞳が滲み、そこから柔らかな人の白さがゆっくりと戻る。

「水…」

雪鬼だった人間が口を噤むように、喉を鳴らした。声はかすれ、だが確かに人のものだった。驚きに満ちた目がユキネを見つめ、それは自分が何者であるかを取り戻した瞬間の眼差しだった。

だがユキネは刃を引き、膝をついた。左腕がずっしりと重くなっている。肘から下が銀色の鉛のように冷え、触っても感触が返ってこない。血の冷たさも、温かさも、そこにはなかった。ジャケットの袖をまくると、皮膚の色が雪のように白く変わっ