王女騎士

王女騎士 第8話「第7章 夜襲と盟誓」

噤んだ夜風が、城塞の石壁を撫でるように流れていた。ミアは物陰の瓦屋根に腹ばいになり、息を殺して下界を見下ろす。下の狭い路地は、人影と松明の揺らめきで波打っている。門の守りは冷静だ。油断のある箇所は、地形図と見張りの配置、そして今夜示された「位」の節点の情報から、はっきりと一点に絞られていた。

噤んだ夜風が、城塞の石壁を撫でるように流れていた。ミアは物陰の瓦屋根に腹ばいになり、息を殺して下界を見下ろす。下の狭い路地は、人影と松明の揺らめきで波打っている。門の守りは冷静だ。油断のある箇所は、地形図と見張りの配置、そして今夜示された「位」の節点の情報から、はっきりと一点に絞られていた。

「ここだ。西の給水路、堰のあたりが節点だ。守りが手薄になる」。カエル・トルは低い声で指示を出す。重装甲の影は大きく、夜に溶け込んでなお恐ろしかった。彼の手は戦いの跡で荒れている。ミアはその横顔を見て、即座に戦術を組み立てた。

「給水路の上流を一気に開ける。民に見える場所で炎や声を起こして蜂起を促す。こっちは裏手から小門を奪う。私が鍵を外す」——彼女の指は、古い徽章を触って確かめた。金属は冷たく、微細な歯車が収まっているその表面が、夜の灯にちらりと反射した。

ミロは街の向こうで、口笛のように短い節を吹いた。占い師の軽口はここでは合図だ。リサは布袋を肩にかけ、薬箱を整える。エリナは広場で、集められた民衆の面前に立ち、ただ静かに頷いている。彼女の目がミアと合った。その瞬間、二人の間に言葉にならない確認が交わされた。

「準備はいいか?」ミアは自分に問いかけるように小さく呟いた。夜間警備員だった前世の習慣が、息の整え方、暗所での視界の作り方、鍵穴の読み取り方をくっきりと返してくる。彼女はもう、役職ではなく実務で動く。

「行くぞ」カエルが合図する。石段を下り、二人は裏通りへと滑り降りた。

給水路の側、古い水門の前でミアは立ち止まる。守衛の巡回が一瞬離れると判断した瞬間、彼女は工具を取り出した。鍵穴の中の古い鉤を読む。前世で覚えた道具の扱いが、ここで生きる。だが、鍵は単なる入り口に過ぎない。外の火と声で喚起された群衆が、節点の揺らぎと重なり合って守備の注意を分散させる。ミアはそれを計算に入れていた。

「ミア、準備は?」リサの声が背後から聞こえた。微かな不安が含まれている。治療班の分配ができていなければ、後方で出る負傷が壊滅的になる。ミアは返事代わりに頷き、工具を回した。

水門が軽く開いた瞬間、遠くで火の粉が舞い、民衆の怒声が広場を満たした。守備の人員が騒然となる。その隙を突いてカエルが率いる突入隊が前面の門へ斬り込む。だが夜の戦は、思わぬところから血を呼ぶ。路地の狭さで、脆い民兵が押し倒された。刃が走り、悲鳴が短く断ち切られる。

ミアはすぐに動いた。彼女の仕事は「開門」だけではない。守るべき顔がそこにあり、彼女はそれを見捨てられなかった。小さな路地で、若い男が腹を押さえてうずくまっている。もう一人は額から血を流している。ミアは手早く肩に布を当て、応急処置を始めるが、傷は深かった。リサの処置だけでは間に合わない。

「ここは私に任せて」ミアは短く言った。彼女は徽章をぎゅっと握る。盟誓の条件が頭の中で整理される。声に出して「守る」と宣言し、相手の名を呼ぶこと。相手と30歩以内であること。手が触れるか誓印で認証を行うこと——今は触れるしかない。

男の顔を見ると、彼はぼんやりとミアを見返した。名前がある。ミアはそれを呼んだ。「守る、アルノ・ベック!」右手を彼の腕に触れ、左手で徽章を握り締める。言葉を吐き出した瞬間、世界が一瞬引き裂かれるようだった。彼女の背中に鋭い冷えが走り、それと同時にアルノの痛みがスッと遠ざかった。

アルノは驚いた顔で息を整え、立ち上がろうとする。だがミアの視界には、直感的に何かが変化したのが入る。自分の胸が妙に縮み、古い骨が軋むような感覚。年齢の齒車が一つ回ったとでも言えばいいか。手先に縦長の盟痕が浮かび上がって、夜の灯に僅かに蒼く光る。ミアは息を吐き、指先でその刻印を撫でた。痛みはないが、その部分が異様に敏感だ。盟誓を用いた代償が、確かに体の中に刻まれた。

「どうだ、アルノは?」リサが駆け寄り診断する。アルノは震える手で礼を言った。ミアは一抹の安堵と、同時に胸の奥に冷たい空洞を抱えた。忘却はまだ来ていなかった。だがそれは序章に過ぎない。

騒乱は広がった。守備隊が反撃に出ると、負傷者の数は増える一方だ。ミアは現場で判断する。盟誓は一度に多数の対象を守ることができない。条件は明確だ——一人一人、名前を挙げ、触れ、誓う。それは時間を要する作業だが、放っておけない。仲間たちが奪還の速度を保つため、ミアは自分でその上限まで動くことを選んだ。

「次、こっち!」ミアは手早く走り回り、重傷の男の名前を呼ぶ。触れ、誓う。痛みが移る。左腕の盟痕がもう一つ現れる。彼女は使用ごとに小さな熱が体内を駆け抜けるのを感じた。呼吸が浅くなる。年齢が一つ刻まれる感覚は目に見えないが、関節が固くなり、手の震えが一瞬増す。だが誰も彼女の動揺を咎めない。みな、ただミアに寄せる信頼があるだけだ。

三度目の盟誓を唱えたとき、違和感が彼女の胸を刺した。名前を呼び上げる前に、視界の端に、か細い音が――スパナを回すときの金属の擦れる音――流れた。ミロが古い歌を口ずさんでいる。彼は何かを見つめていた。ミアは咄嗟に男の名を呼んだが、次の瞬間、自分の内側から、ある顔がするりと消えるのを感じた。記憶がひとつ抜けた。何を失ったかをつかもうとするが、そこには空白がぽっかりとある。小さな子供の顔か、前世の夜の匂いか、確かな触覚のような何か。言葉にできない。ミアは少しだけ立ち止まり、顔をしかめた。

「大丈夫か?」カエルが駆け寄る。鋼の声に、ミアは即座に我に返った。彼の眼差しは鋭く、だが優しかった。「こっちで抑える。お前は次の負傷者だ」

ミアは首を振った。「まだ行く。リサ、応急班をまとめて。ミロ、広場で群衆を煽ってくれ。エリナは民衆の中央を崩さないで」命令は自然に出る。だが彼女の声にはかすかな枯れが混じっていた。盟誓を重ねるたび、声と動作に薄い摩耗が現れる。

路地の奥で、大きな叫びが上がった。突入した部隊の一角が押し返され、守備隊の増援が脇道から流れ込んだ。狭い通路での白兵戦は一瞬にして殺伐とする。ミアは咄嗟に判断する。ここで立ち止まれば後衛が壊滅する。彼女は道を切り開くべく、再び盟誓を用いることを選んだ。

「守る、イモン・ダール」その名を呼び、彼の肩に左手を置いた。誓いを結ぶと同時に、鋭い痛みがミアの背を刺した。まるで別の誰かの骨が裂けるような感覚が走る。イモンは呻きながらも、ミアの支えで立ち上がり、再び盾を構えた。隣の者たちの士気が上がる。だがその一瞬、ミアの左膝が小さく軋んだ。盟痕が、まるで生き物のように脈打ち、夜の光を反射する。

「ミア!」リサが叫ぶ。彼女の目は怒りと恐れで揺れていた。「もう……やめて。これ以上は」

ミアはリサを見る。彼女の表情には、逆らえない決意が宿る。「ここを抑えなきゃ、あの連中に戻される。エリナの声が届かない」ミアの言葉は短かった。リサは薬袋を握りしめ、だが口を噤んだ。仲間たちは誰も、彼女の選択を強く止められない。なぜなら、彼女たちが守られることが、この夜の勝利そのものだったからだ。

戦闘は数刻の間、混戦となった。ミアは暗闇の中で引き続き盟誓を用い、寸刻ごとに誰かの痛みを肩代わりした。名前を