王女騎士

王女騎士 第12話「第十一章 喪失の祝祭」

朝陽が城塞の石壁を淡く照らすと、人々の声がひとつの波のように町を満たした。新しく張られた旗が風に揺れ、焼け跡には藁が積まれ、木製の台に並んだ食事に子どもたちの手が伸びる。奪還の喜びはまだ生々しく、広場には笑いと涙が混ざっていた。だがその中で、ミア・レーンはその光景のどこにも完全には入り込めないでいた。

朝陽が城塞の石壁を淡く照らすと、人々の声がひとつの波のように町を満たした。新しく張られた旗が風に揺れ、焼け跡には藁が積まれ、木製の台に並んだ食事に子どもたちの手が伸びる。奪還の喜びはまだ生々しく、広場には笑いと涙が混ざっていた。だがその中で、ミア・レーンはその光景のどこにも完全には入り込めないでいた。

彼女の左前腕には淡い円形の刻印――盟痕が黒い線となって浮かび、朝日に淡く反射している。盟痕はつい数日前までは血色の赤だったが、治まるたびに硬い瘢痕となり、そこはいつしか彼女の意識に「押しのけられた痛み」として残った。動きは確かだ。だが手が少し震え、指先が細かい作業に馴染まなくなっている。動作の速さは変わらなくても、戻らないものがいくつかあることを彼女は知っていた。

「ミアさん!」

声に振り向くと、四歳ほどの坊やが手を擦りながら駆け寄ってきた。頭にまだ灰の混じった髪、露出した膝。彼は目をきらきらさせて、顔を近づけてきた。

「騎士さん! あのね、僕のお母さん、昨日ここで食べものくれた! 君、昨日も来てくれたよね?」

ミアはにっこりと笑おうとした。口は笑ったが、胸の中で何かが引っかかった。彼女の脳が探すのは、どんな形の手だったか、どんな声だったか、いつだれに何を言われたか――だが出てこない。代わりに頭の中にぽっかりと空白がある。

「そうか。よかった」

言葉は出た。だがそれと同時に、彼女は何か小さな名前を思い出そうとしている自分に気づいた。古い、古い記憶の断片。母親の顔だろうか、あるいは前の仕事場で一緒に見回りをした同僚の名前か。二つ三つの音節が舌先で寸止めされ、すぐに消えた。

子どもは首をかしげて、「あれ?」と声を漏らす。周囲の誰かが笑い、空気はまた祭りの音に戻る。しかしミアの胸はざわつき、目の奥が一瞬熱くなった。彼女は自分の盾であるはずの記憶が、ひとつ、ひとつと崩れていくのを感じていた。

横合いでそれを見ていたリサが、走り寄ってハーブの小箱を差し出した。薄い葉の煎じ汁を含ませた布を盟痕に当て、優しく撫でる。

「表面は治まってる。だが内部の代謝がずれてるわ。何度も負荷を受けた証拠よ。薬で痛みは緩和できても、記憶そのものを戻すことはできない」

リサの声は冷静で、しかしそこには隠せない哀惜が混じっていた。彼女は自分ができることとできないことを知っている。ミアは小さくうなずいた。

「分かってる。でも……このままでいいのか、って思う」

声に出すと、周りの歓声が遠くなった。エリナが一歩前に出る。白いマントの裾にまだ砂が付き、額には軽い疲労の影が横たわっている。だが表情は引き締まっていた。

「よくない。あなたは使われるためにいる盾なんかじゃない。私の騎士だ、ミア。あなたがいなければ、私はここに立てない」

エリナの言葉は広場の一部に届き、小さな拍手が起こる。だが拍手の中に、針のように冷たい囁きも混じっていた。

「そんなに使い捨てるつもりかね、王女殿下? あの子ばかりを前線に立たせておいて、都合が悪くなったら忘れる――」

小さな声ではない。近隣の商人の一人が談合の輪から離れ、鋭い眼差しでミアを見下ろした。群衆の中には同じような顔がいくつかあった。戦の最中、確かにミアは何度も前に出て、多くの負傷者を代償として救ってきた。いま、その代償が露となっている。

カエル・トルがその商人に振り向く。彼の体格は城塞の門と同じように硬く、右腕には古い鎧の痕が残る。

「黙れ。あの女は俺たちの同士だ。命令で動く駒じゃねえ」

だがカエルの言葉も商人の怒声に消えかける。政治はいつだって残酷だ。サイムがその場に割って入り、冷たく笑った。

「感情は分かるが、宣伝工作も考えたほうがいい。敵は今、盾を消耗品として見なす。そういう印象を拡散されれば、我々の支持は脆くなる」

サイムの言葉は狡猾で、いまここでどうまとめるかを即座に計算している。エリナは顔を顰めてから深く息を吐く。

「なら、私が見せましょう。ミアがどれほど大切か。彼女が何を失ったかを、国民に知らせる機会を作る。喪失は浅い言葉じゃない、だから私は公に記す」

エリナの声には怒りと悲しみが混じっていた。彼女はこの勝利を自分の言葉で締めくくりたかったのだろう。だが、ミアはそれを遮った。

「いや。そんな大げさにはしなくていい」

声が小さくて、周囲の鼓動に飲まれそうになる。ミアは自分の手を見下ろした。盟痕の脇には、いつの間にか細かい白髪が一本、混じっていた。年齢が進んだ証だ。使用ごとに進む一歳分の刻みが、今は確かな重さとなって身体に乗る。

「私は、ただ……ここでいるだけで。あなたたちの側にいるだけでいい」

しかし彼女の言葉の裏には恐れがあった。自分が消えゆくこと、誰かのために消えることの意味。仲間の誰もが、それを看過することはできなかった。

その夜、騒ぎが収まった頃合いを見計らって、ミロは人混みから静かに抜け出した。彼はふらりと祭壇へ向かう細い階段の影に座り込み、ポケットからミアの徽章――鋳鉄に近い銀色の円形の印章を取り出した。普段はミアが首にかけていたものだ。昼間の人混みの中、ミロはその金属片に指先を這わせたことがある。今日はもう一度、もっと深く。

徽章は表面に王家の紋が刻まれているようでいて、ミロにはそれがただの紋章などではないことがうすうす判っていた。彼は軽いナイフの先で縁をこじ開けると、銀色の薄蓋が少しだけずれ、中から冷たい金属の香りと、思いがけない細工が顔を覗かせた。

微細な歯車。人差し指先ほどの小さな輪と、さらに小さな歯が連なっていた。機械部の隙間には、暗号のような刻み――点と短い線の組み合わせが配されている。ミロは息を飲んだ。指先が震える。

「……これは」

彼の声はひそやかで、誰にも届かない。徽章は象徴ではなく、何か装置と合わせて初めて役目を果たす鍵なのだ。ミロの記憶の奥底で、幼いころに聞いた古い歌の一節が震えるように蘇る。歌詞は断片で、意味をなさない単語の羅列だったが、その節回しが、徽章の刻みと奇妙に共鳴するように彼の耳に戻ってくる。

ミロは徽章を胸元に戻し、薄い息を吐いた。祭壇の方向から、かすかな音が聞こえた。機械的な、低く空気を揺らすようなうなり。昼間には気づかなかったものが、夜の静けさの中でははっきりと聞こえる。

彼は立ち上がると、声無く祭壇へ向かった。石の一枚を押すと、隙間から冷たい風が漏れ、薄く光る金属の輪が地下へ向けて回転しているのが見えた。微かな機械音が、城塞の石壁を伝って身体の奥に響く。

ミロの指先が震え、瞳が潤む。彼はその場に膝をつき、徽章を胸に当てたまま小さくつぶやいた。

「これが……動いているのか」

誰にも言えない震えが、彼の肩を伝って走った。遠くで、誰かがまだ酒を飲んで笑っている。だがミロの世界は、今、冷たい機械音だけで満たされていた。音は次第に大きくなり、城塞の祭壇の奥深くから――まるで眠れる獣が目を覚ますかのように――何かが呼吸を始めた。

ミロは徽章を握りしめ、その冷たさが掌にしみた。足元の石が微かに振動する。胸の中で、ミアの顔が一瞬フラッシュした。彼は何かを思い出そうとするが