王女騎士 第11話「第十章 夜襲──盟誓を張る影」
月は薄く、城塞の瓦屋根に灰色の帯を落としていた。石畳は昨夜降った雨でまだ湿り、軍靴の踏み鳴らす音が深く吸われる。ミアは広場の影で息を整え、呼吸と足取りだけを頼りに敵の動線を確かめた。目の前には、塀と門と、うねるように張り巡らされた見張り塔の列。向こう側には、今夜奪還すべき都市の灯りが並んでいる。
月は薄く、城塞の瓦屋根に灰色の帯を落としていた。石畳は昨夜降った雨でまだ湿り、軍靴の踏み鳴らす音が深く吸われる。ミアは広場の影で息を整え、呼吸と足取りだけを頼りに敵の動線を確かめた。目の前には、塀と門と、うねるように張り巡らされた見張り塔の列。向こう側には、今夜奪還すべき都市の灯りが並んでいる。
「計画はこれで終わりだ。夜陰に紛れて二手に分かり、補給路と正門を同時に制圧する。住民を巻き込め。朝までに広場を抑える」
エリナが低く命じる。彼女の声は震えていながらも、聴衆を動かす強さを持っていた。城塞の民が背中を預けるその器は、戦いの最中にある一種の灯火だ。ミアは彼女の瞳を見て、守るべき対象がそこにいることを確かに確認した。
「前線はあたしが作る。リサ、負傷者の収容場所を決めろ。サイム、偽情報で防衛を引き出す。カエル、そっちの門を潰す合図は煙弾だ。ミロ、広場の鐘を鳴らせ。合図で民が動く」
簡潔な命令。言葉は無駄なく、実務に寄せて結びついていく。それがミアのやり方だ。仲間たちは小刻みに頷き、闇へと散っていった。彼ら全員が、ミアの誓いに手を置き、同じ勝利を望んでいる。だがミアには、もう一つ忘れてはならないことがあった。
盟誓の盾──その起動条件は、彼女には血肉のように馴染んでいる。心の中で数を数えるように、呟く手順を確かめる。
まず、己の意志で「守る」と声に出し、相手の名を叫ぶこと。次に、守る対象と物理的に三十歩以内であること。最後に手の接触か、互いの誓印を重ねること。
今夜、ミアはそれを何度も使う覚悟をしていた。代償も、禁止も、すべて承知のうえで。彼女は嘘を嫌うが、人を守る意志だけは嘘なく燃えていた。
最初の衝突は南の裏門で始まった。カエル・トルの部隊が煙弾で守備隊の視線を切り、黒衣の小隊が薄い霧のように城壁下を這う。ミアは隠れ家の通路を選んで接近し、慎重に障子戸の隙間から内部を覗き込んだ。城塞の守備は束になって動かず、夜の静寂を背景に銃声のような短い命令が飛ぶ。灯火の下に人影が歩き、鉄と革が擦れる音が聞こえた。
「ここで動く」——ミアはエリナの肩に手を置き、短く囁いた。小さな誓印が二人の掌の間で冷たく光った。呟きは自然と出た。
「守る。エリナ・ヴェル」
言葉は夜に溶け、盟誓の糸が二人を結んだ。視界の片隅で微かな光の筋が伸び、まるで見えない糸が傷のある方へと伸びていく。直後、外側の通路で剣が裂け、叫び声が上がった。最初の一人、若い民兵が腸を晒して倒れた。ミアは自分の腹に鋭い痛みを感じる。痛みが移り、ずしりと重く、彼女の呼吸がふっと浅くなる。
盟誓のルールの代償が即座に現れる。肉体年齢が一歳分進んだのを、ミアは腕の皮膚の感触で感じた。ほんの一瞬、いつもの冷静さが揺らいだが、戦闘の流れは待ってはくれない。ミアは息を整え、腹の痛みを堪えながら前に出た。若い民兵は助けられ、仲間に抱えられて後退する。彼の傷は急速に癒えたように見えた。ミアの胸には新たな盟痕が、薄く線を描いた。燐光のように微かに光り、いつしか周囲の暗がりで目を引く。
「ミア、どうした?」リサの声がすぐそばでする。薬師は懐から包帯と薬瓶を差し出しながら、彼女の顔に驚きを滲ませていた。
「大丈夫。動ける」ミアは短く答えた。彼女は嘘が嫌いだ。しかし、今は嘘で仲間を安心させる余裕もないと知っていた。盟誓を使ったこと、その代償は後で考える。今は前に進むだけだ。
城塞内は思ったよりも混乱していた。眠りに落ちていた民が目を開け、板戸が割れて火が噴き、隠れていた連中が武器を取る。ミアたちは裏手から侵入しては、通行路を確保し、住民に道を開けさせた。ミロは広場へ向かうあいだ、古い歌を口ずさんで人々の心に不安よりも希望の種を蒔く。サイムは文書を使って防衛隊の中に疑念を生み、士官を撹乱した。カエルは重い鉄の扉を砕き、短く唸りを上げて敵の隊列を切り裂く。
だが戦は思いの外長引いた。中庭の狭い通路で、敵の隠し兵が待ち伏せをしていた。矢の雨、火薬の匂い、金属が磨り合う音。味方の叫びが重なり、沈痛な音になっていく。ミアは短区画の内側で、民兵たちを守るために再び誓印をひねるしかなかった。
「守る。みんな――」彼女は言葉を呑み込み、指を震わせながら仲間の名を一つずつ呼んだ。誓いの言葉は鋭く、そして断続的に。盟誓の盾は複数対象を同時に守ることもできるが、条件は厳しい。触れ合いが必要で、距離制限があり、宣言ははっきりしていなければならない。ミアは一人一人の手に触れ、誓印を重ねていく。瞬間ごとに、傷が彼女へ流れ込む。瘡蓋の裂ける音が胸の中で鳴り、血は彼女の体内で熱を帯びていった。
痛みを受けた代わりに、向こうの兵士は次々と動きを止めた。ミアはその舌先で年を刻まれていく感覚を味わった。呼吸が浅くなり、筋肉の疲労が深く根付く。仲間は前に進め、それでもなおミアは歩いた。彼女の顔に一本、灰色の筋が入るのを誰かが見ただろうか。カエルは戦いの合間に一度だけ振り返り、ミアの背を見て眉を歪めた。だが彼は何も言わず、ただ前へ出た。
戦闘は街路戦へと変容した。狭い路地、曲がりくねった屋台、倒れた樽。ミアは盾として前に立ち続けた。リサは彼女の隣で包帯を縫い、傷を押し戻し、薬を投じる。しかし盟誓の効果は物理の救済だけではない。対象の体力や短期的技能も共有されるため、負傷した鍛冶屋が再び門を押せる力を取り戻した瞬間、その負荷はミアに重くのしかかった。彼女の関節はきしみ、視界の端が波打ち、記憶の端のいくつかが薄くなった。
「ミア、行き過ぎだ。代償が…」サイムが低く言う。情報屋の声には苛立ちが混じる。彼は盟誓の代償を数字として見ていた。回数、年齢、記憶の喪失。それらを計算することで行動を指示していた。
「計算はしてる。今は必要だ」ミアは短く返す。友の疑念をいちいち諭している暇はない。代償は数えられる。それでも彼女は選んだ。守ることと選ばない自由の天秤で、今は防衛を優先しているからだ。
夜がほぼ半分過ぎた頃、合図は鳴った。ミロが広場の鐘を大音で打ち鳴らし、住民が待ち構えた間合いから一斉に立ち上がる。扉が破られ、塀が崩れ、フォーメーションが乱れる。カエルの隊が正門に突入し、外側の門番は動揺した。防衛隊が中央へ釣り出される瞬間、ミアたちは一気に市街の中心へと向かった。
最も激しい戦いは広場近くの石造りの通路だった。敵の将校が指揮していた一角で、黒い甲冑が列をなす。彼らは押し戻しを知っていて、勝ち筋を作るために住民を盾にしていた。民が混乱し、泣き叫ぶ声が石壁に反射する。ミアはその中心に入っていった。誓印を持った手が幾つも伸び、彼女とエリナ、そして数人の主要戦力がひとつに結ばれる。
「守る。エリナ、民衆――全員」彼女は声を絞り、同時に数十の手に触れた。盟誓の光が広がる。守る対象の負荷は一本の幹のようにミアへと集中する。刃が、銃撃が、爆発が、すべて彼女を切り裂いた。痛みは連続し、まるで何層もの寒さが骨の中に打ち込まれるようだった。血の匂いが鼻腔を満たし、視界に映る世界が白く滲んだ。
それでも前は開いた。民は避難路を進み、将校たちは混乱し、味方の兵が一斉に突っ込む。彼女の周り