呼吸する街路樹の下で

呼吸する街路樹の下で 第5話「第4章:伐採の宣告」

車から降りてきたのは、整ったスーツを着た男たちだった。その先頭に立つ、眼鏡をかけた冷徹そうな男が、梓たちの前に歩み寄る。 「私は扇動市役所、環境整備課の佐伯だ」 男は事務的に名刺を差し出したが、梓はそれを受け取らなかった。 「このイチョウの木を含め、市内の主要な街路樹を今夜から伐採、あるいは強剪定することになった。速やかに立ち退きたまえ」 「伐採!? どうしてですか! この木たちは何も悪いことなんてしてない!」 梓の叫びに、佐伯は冷ややかな視線を向けた。 「悪いことをしているのは人間の方だ。この『言の葉』現象のせいで、市内の治安は著しく悪化している。プライバシーの侵害、名誉毀損の訴えが数千件届

車から降りてきたのは、整ったスーツを着た男たちだった。その先頭に立つ、眼鏡をかけた冷徹そうな男が、梓たちの前に歩み寄る。
「私は扇動市役所、環境整備課の佐伯だ」
 男は事務的に名刺を差し出したが、梓はそれを受け取らなかった。
「このイチョウの木を含め、市内の主要な街路樹を今夜から伐採、あるいは強剪定することになった。速やかに立ち退きたまえ」
「伐採!? どうしてですか! この木たちは何も悪いことなんてしてない!」
 梓の叫びに、佐伯は冷ややかな視線を向けた。
「悪いことをしているのは人間の方だ。この『言の葉』現象のせいで、市内の治安は著しく悪化している。プライバシーの侵害、名誉毀損の訴えが数千件届いているんだ。それに、この異常な熱だ。樹木の温度上昇が周囲の気温をさらに引き上げているというデータもある。市民の安全を守るのが我々の職務だ」
「それは……言葉を吸い込みすぎたせいなんです!」
 梓はハルから聞いた話を必死に伝えた。
「木は、私たちの代わりに熱と悪意を肩代わりしてくれているんです。それを切り倒したら、その熱はどこへ行くんですか? 全部、私たち人間に返ってくるんですよ!」
 佐伯の眉が微かに動いた。彼は一瞬だけ、自分の胸元に手をやった。そこには、ネクタイの裏側に小さな、本当に小さな光る葉が張り付いているのを、梓は見逃さなかった。
「……非科学的な妄想だ。我々は行政として、数値と法に基づき行動している」
 佐伯は眼鏡を指で押し上げ、冷徹な視線を周囲に走らせた。
「この木が市民の精神衛生を害し、気温上昇の一因となっているのは明白だ。作業員、始めろ。まずは枝の剪定からだ」
 佐伯が合図を送ると、チェーンソーの無機質な始動音が、静かな公園の空気を切り裂いた。その音は、まるで苦しむ獣の悲鳴のようにも聞こえた。
「待ってください! やめて!」
 梓は我を忘れて、イチョウの巨木の前に立ちはだかった。両手を広げ、ごつごつとした幹に背中を預ける。
「切り倒すなら、私を先に退かしてからにしてください! この木には、私の友達の心が詰まってるんです!」
 作業員たちが困惑して足を止める。佐伯は眉をひそめ、舌打ちをした。
「……子供のわがままで行政が止まると思うな。警備員、その少女を排除しろ」
 屈強な男たちが梓の腕を掴もうとしたその時、ハルが素早い動きで間に割って入った。
「やめろ。彼女に触れるな」
 ハルの発する冷気に、警備員たちが一瞬たじろぐ。
「佐伯さん、あんたも分かっているはずだ。この木を切れば、溜まった熱がどこへ行くのかを。あんたの胸にあるその『葉』が、答えを教えてくれているんじゃないのか?」
 佐伯の顔が一瞬、苦悶に歪んだ。彼は自分の胸元を強く押さえ、激しく咳き込んだ。
「……今夜はここまでだ。機材の調整が必要になった」
 佐伯は絞り出すような声で言った。
「だが、猶予は明日までだ。明日の二十時、本格的な伐採を開始する。それまでにそのバリケードを撤去し、立ち退いておけ。これは最後通牒だ」
 佐伯たちは逃げるように車に乗り込み、去っていった。
 静まり返った公園で、梓は膝から崩れ落ちた。ハルがその肩を優しく支える。
「……ありがとう、ハルさん」
「礼を言うのはまだ早い。明日は、今日よりもずっと過酷な戦いになる」
 ハルは光り輝くイチョウの葉を見上げた。
「木も、もう限界だ。明日まで持つかどうか……」