眠りのない村の夢配達

眠りのない村の夢配達 第9話「第8章:綻ぶ世界」

村は、死者の街のような静寂に包まれた。 かつては充血した目で見つめ合う、張り詰めたような緊張感があったが、今はただ、魂の抜けた肉体たちが並ぶ不気味な静寂が支配している。円の外に残されたのは、灯と、そして驚くべきことに、村長の玄造だけだった。 玄造は、円の中で石像のように固まった住民たちを見つめ、深く、重い嘆息を漏らした。 「……これが、お前の望んだ結果か、灯。我々から最後の荷物を奪い去ることが、お前の言う『救い』だったのか」 「違います……私はただ、みんなを楽にしてあげたかっただけで……あんなに苦しそうだったから……」 灯の声は震え、涙が頬を伝った。 「楽になることと、生きることは違う。お前が

村は、死者の街のような静寂に包まれた。
 かつては充血した目で見つめ合う、張り詰めたような緊張感があったが、今はただ、魂の抜けた肉体たちが並ぶ不気味な静寂が支配している。円の外に残されたのは、灯と、そして驚くべきことに、村長の玄造だけだった。
 玄造は、円の中で石像のように固まった住民たちを見つめ、深く、重い嘆息を漏らした。
「……これが、お前の望んだ結果か、灯。我々から最後の荷物を奪い去ることが、お前の言う『救い』だったのか」
「違います……私はただ、みんなを楽にしてあげたかっただけで……あんなに苦しそうだったから……」
 灯の声は震え、涙が頬を伝った。
「楽になることと、生きることは違う。お前がやったのは、本の内容が悲しいからといって、そのページを全て白紙に戻すようなものだ。それでは、物語そのものが消えてしまう」
 玄造は震える足で灯に歩み寄り、彼女の肩を強く掴んだ。その手は驚くほど熱く、そこにはまだ「生」の執着が宿っていた。
「我々がなぜ、これまで必死に起き続けてきたか分かるか? それは、忘れたくないものがあったからだ。どんなに苦しくても、どんなに自分を責めることになっても、それを手放せば、我々は人間ではなくなってしまう。ただの動く泥人形だ」
 玄造は懐から、古びた一枚の写真を取り出した。それは、彼がかつて失った家族の姿だった。写真は長年の摩擦で手垢に汚れ、角が丸くなっている。
「私は毎晩、この写真を見て、彼らが死んだ時のあの凄惨な苦しみを思い出す。そうすることでしか、彼らがこの世にいたことを証明できないからだ。私の痛みこそが、彼らが生きていたという唯一の墓標なのだ。灯、お前が作ったこの円は、彼らの『存在の証』を奪っているのだぞ。それは夜糸のやり方と何ら変わらん」
 灯は玄造の言葉に、心臓を直接掴まれたような衝撃を受けた。
 彼女が「美しい夢」を描き続けてきたのは、自分自身の痛みから逃げるためだった。そして今、村人全員をその逃避に巻き込もうとしていた。それは優しさではなく、最も卑怯な自己弁護だったのだ。
 その時、村の周囲を囲む霧が、黒く変色し始めた。夜糸の館が咆哮のような音を立てて巨大化し、村全体を飲み込もうと触手を伸ばしてくる。
「夜糸が……来る。私たちの記憶を全部食べて、肥大化しようとしているわ」
 灯は悟った。人々の記憶が希薄になればなるほど、切り離された「痛み」の化身である夜糸は肥大化し、現実の世界を完全に侵食していくのだ。このままでは、村そのものが夜糸の織る「忘却の布」の一部になり、歴史から消滅してしまう。
「村長、私……どうすればいいの? 道具も、スケッチブックももうないのに。私は何を配ればいいの?」
 玄造は灯の瞳をじっと見つめ、彼女の手に自分の「赤い実」を握らせた。
「道具などいらん。お前の心の中にある『真実』を語れ。お前がこれまで描き続けてきたのは、紙の上の綺麗な嘘だ。だが、お前の喉には、まだ語られるべき血の通った言葉が残っているはずだ。それを配るのだ、灯」