眠りのない村の夢配達 第10話「第9章:痛みの再発見」
灯は玄造に促され、村の広場にある古い石碑の前に立った。霧が渦巻き、視界を遮ろうとするが、彼女はしっかりと地面を踏みしめた。 石碑には、村が始まった頃の古い伝承が、苔むした文字で刻まれていた。かつてこの村は「夢見の里」と呼ばれ、人々は自分の夢を語り合うことで絆を深め、互いの心を理解し合っていたという。しかし、ある年に未曾有の大飢饉が起き、生き残るために人々は互いを裏切り、愛する者から食料を奪い合った。 その罪悪感があまりにも重すぎたため、生き残った住民たちは「この記憶を消してほしい。痛みを忘れさせてほしい」と山の神に祈った。それが、夜糸の呪いの始まりだったのだ。忘却は救いとして与えられたが、それ
灯は玄造に促され、村の広場にある古い石碑の前に立った。霧が渦巻き、視界を遮ろうとするが、彼女はしっかりと地面を踏みしめた。
石碑には、村が始まった頃の古い伝承が、苔むした文字で刻まれていた。かつてこの村は「夢見の里」と呼ばれ、人々は自分の夢を語り合うことで絆を深め、互いの心を理解し合っていたという。しかし、ある年に未曾有の大飢饉が起き、生き残るために人々は互いを裏切り、愛する者から食料を奪い合った。
その罪悪感があまりにも重すぎたため、生き残った住民たちは「この記憶を消してほしい。痛みを忘れさせてほしい」と山の神に祈った。それが、夜糸の呪いの始まりだったのだ。忘却は救いとして与えられたが、それは同時に「眠り」という安らぎを奪う代償を求めた。
代々の村人たちは、自分たちの先祖が犯した過ちを、無意識のうちに「忘却」という形で封印してきた。不眠の呪いは、その封印が解けそうになるたびに、人々を恐怖で縛り付けるための装置だったのだ。
「……みんな、起きて! お願い、目を開けて!」
灯は忘却の円の中に飛び込み、眠る人々を一人ずつ揺さぶった。だが、一度忘却の淵に沈んだ人々は、底なし沼に沈んだ石のように動かない。彼らの意識は、夜糸の館にある「記憶の糸」の中に閉じ込められ、急速に分解されていた。
灯は決意した。彼女は自分の指を噛み切り、流れる血を絵の具代わりにして、石碑の表面に描き始めた。
描いたのは、美しい夢ではない。
流行病で冷たくなっていく両親の身体。看病もできずに一人で泣き明かした夜の寒さ。村人たちから向けられた「なぜお前だけ眠れるのか」という冷たい視線。そして、自分が自分自身を切り捨て、夜糸という怪物を作り出した時の、あの引き裂かれるような痛み。
「私は、灯! 私は……お父さんとお母さんを助けられなかった! 私は、一人で生き残るのが怖くて、悲しくて、だから自分の心を殺したの! 私こそが、夜糸を作った張本人なのよ!」
灯の叫びが、静まり返った村に響き渡った。それは美しく装飾された「紙の夢」よりも、はるかに強く、人々の深層心理に届いた。
忘却の円がひび割れ、そこから黒い泥のような感情が溢れ出していく。それは醜く、ドロドロとした後悔や憎悪の塊だったが、同時に、彼らが人間としてこの世に存在しているという、何よりの証拠だった。
灯は血の滲む指で、さらに石碑に描き続けた。自分の過去を、村の罪を、隠さずに全てさらけ出した。
「怖くてもいい! 苦しくてもいい! それが私たちの生きてきた証拠なら、私は全部抱きしめてやる! だから、みんなも戻ってきて!」
村の霧が激しく渦巻き、夜糸の館が断末魔のような音を立てた。ついに、最後の対決の時が近づいていた。