眠りのない村の夢配達 第7話「第6章:鏡の中の少女」
「気づくのが早かったね、灯。やはり君は、私の半分だ」 背後で、夜糸の声がした。 灯が振り返ると、彼は織機の傍らに立ち、出来上がったばかりの布を愛おしそうに撫でていた。その手つきは、まるで我が子を慈しむ母親のようでもあり、獲物を愛でる猟師のようでもあった。 「人間はね、美しい夢だけでは生きていけないんだよ。光があれば必ず影があるように、記憶にもまた、喜びと対になる痛みが不可欠だ。君が人々に『美しい夢』だけを与えた時、彼らの心の中にある『痛み』は行き場を失い、純化された糸となって私のもとへ届く。君の絵は、痛みを絞り出すための圧搾機だったのさ」 「私が……夜糸、あなたの手伝いをしていたっていうの?
「気づくのが早かったね、灯。やはり君は、私の半分だ」
背後で、夜糸の声がした。
灯が振り返ると、彼は織機の傍らに立ち、出来上がったばかりの布を愛おしそうに撫でていた。その手つきは、まるで我が子を慈しむ母親のようでもあり、獲物を愛でる猟師のようでもあった。
「人間はね、美しい夢だけでは生きていけないんだよ。光があれば必ず影があるように、記憶にもまた、喜びと対になる痛みが不可欠だ。君が人々に『美しい夢』だけを与えた時、彼らの心の中にある『痛み』は行き場を失い、純化された糸となって私のもとへ届く。君の絵は、痛みを絞り出すための圧搾機だったのさ」
「私が……夜糸、あなたの手伝いをしていたっていうの? みんなを救うために描いていたのに!」
「手伝い? いや、共犯者と言ったほうがいいかな。あるいは、表裏一体のパートナーだ」
夜糸はゆっくりと仮面を外し、その素顔を晒した。
灯は息を止めた。そこにいたのは、自分と瓜二つの顔をした、だが数年分ほど年長に見える「自分自身」だった。瞳の色も、鼻の形も、唇の薄さも全く同じだ。ただ、その瞳には灯のような迷いや光はなく、底なしの深い闇が湛えられていた。
「私は、君が捨てた『痛み』の化身だよ、灯。数年前、この村に呪いが始まった時、君はあまりの悲しみに耐えかねて、自分の中の『痛みを司る心』を切り離した。それが私だ。君が『灯』として光の部分を引き受け、私が『夜糸』として闇の部分を引き受けた」
「嘘よ……そんなはずない! 私はずっと、一人で生きてきたわ!」
「嘘だと思うなら、その鏡を見てごらん。君が何を忘れてきたのかを」
夜糸が指し示した先には、巨大な姿見があった。
灯が鏡の前に立つと、鏡の中の自分は、灯の動きとは無関係に動き出した。鏡の中の灯は、泣きながら両親の亡骸に取り縋り、やがて狂ったようにスケッチブックを破り、自分の記憶を黒い絵の具で塗りつぶしていた。
あの日――村全体を襲った流行病で、灯の両親も亡くなった。灯は一人取り残され、あまりの孤独と恐怖に、自分の記憶を「美しい夢」へと書き換えようとした。その過程で溢れ出した「真実の記憶」が、霧と混ざり合い、夜糸という怪異を作り出したのだ。村の呪いは、灯の個人的な悲劇が、村全体の「忘れたい過去」と共鳴して拡大したものだった。
「君が眠れるのは、自分自身の本質を私に預けているからだ。君は空っぽだから、盗まれる夢がない。だが、村人たちは違う。彼らはまだ、自分の心の中に『痛み』を抱えている。だから私はそれを回収し、君の代わりに織り続けているんだ。私と君が一つになれば、この村の不眠は終わる。全ての人間が、自分たちの記憶を完全に忘却し、永遠の安らぎを得るのだ」
夜糸は灯に歩み寄り、その頬を冷たい指で撫でた。その指先からは、抗いがたい眠気の誘惑が伝わってくる。
「さあ、灯。もう一度、私と一つになろう。苦しみも、悲しみも、全て私が引き受けてあげる。君はただ、美しい夢の中で眠っていればいい」
灯の意識が遠のき始める。夜糸の抱擁は、死のような甘美な誘惑に満ちていた。
だが、その時。灯の脳裏に、サワのあの充血した目が浮かんだ。そして、広場で自分の絵を燃やした村人たちの、あの絶望的な表情が。
『あの子に会いたい』
サワが求めていたのは、忘却による安らぎだったのだろうか。それとも、たとえ痛くても、あの子が存在したという証拠だったのだろうか。
灯は、夜糸の手を力強く振り払った。
「……違う。忘れることが、救いじゃないわ。それは、生きていたことをなかったことにするだけだもの」
灯の声は、館の静寂を切り裂いた。
「私は、自分の痛みを取り戻す。そして、村のみんなにも、自分たちの痛みを取り戻してもらう! どんなに苦しくても、それが私たちが生きてきた証拠だから!」