眠りのない村の夢配達

眠りのない村の夢配達 第5話「第4章:充血した正義」

サワが「空っぽの器」になったというニュースは、瞬く間に村中に広まった。 霧がさらに濃くなった翌朝、村の中央広場には、充血した目を血走らせた住民たちが集まっていた。彼らの手には、灯が昨日配ったはずの「紙の夢」が握られていた。しかし、その表情にあるのは感謝ではなく、剥き出しの恐怖と、やり場のない怒りだった。 「灯の絵のせいだ! サワさんは、あの絵を受け取ったから眠りに落ち、夢を盗まれたんだ! あの娘は夜糸の手先だ!」 誰かが叫ぶと、同調する声が怒号となって広がった。人々は、自分たちが縋っていた唯一の救いを、最も安易な攻撃対象へと変えた。不眠で削り取られた彼らの理性に、冷静な判断を求めるのは酷だった

サワが「空っぽの器」になったというニュースは、瞬く間に村中に広まった。
 霧がさらに濃くなった翌朝、村の中央広場には、充血した目を血走らせた住民たちが集まっていた。彼らの手には、灯が昨日配ったはずの「紙の夢」が握られていた。しかし、その表情にあるのは感謝ではなく、剥き出しの恐怖と、やり場のない怒りだった。
「灯の絵のせいだ! サワさんは、あの絵を受け取ったから眠りに落ち、夢を盗まれたんだ! あの娘は夜糸の手先だ!」
 誰かが叫ぶと、同調する声が怒号となって広がった。人々は、自分たちが縋っていた唯一の救いを、最も安易な攻撃対象へと変えた。不眠で削り取られた彼らの理性に、冷静な判断を求めるのは酷だった。彼らはただ、自分たちの恐怖を誰かのせいにしたかったのだ。
 広場の演壇に、村長である玄造が立った。彼はこの村で最も長く起き続けている人間の一人だ。その顔は深く刻まれた皺で覆われ、枯れ木のような指が演壇の縁を強く掴んでいた。彼の瞳は誰よりも赤く、その奥には深い絶望が澱んでいた。
「静かにしなさい! 騒いでも霧は晴れん!」
 玄造の声は、かすれてはいたが、不思議な威厳を持っていた。騒ついていた住民たちが口を閉ざす。
「サワの身に起きたことは悲劇だ。だが、我々は学ばねばならん。眠りは死への入り口だ。そして、眠りを誘うものは全て、夜糸の館への手引きとなる。我々はこの数年、灯の絵という『毒』に頼りすぎていたのだ」
 玄造の鋭い視線が、群衆の端に立ち尽くす灯を射抜いた。
「灯よ。お前の善意は疑わん。だが、お前の絵は人々に『安らぎ』という名の致命的な油断を与えた。今日この時をもって、夢の配達を禁ずる。お前のスケッチブックと絵の具は、村の蔵で預からせてもらう。これ以上、村人を眠りに誘うことは許さん」
「そんな……! 村長、私の絵がなければ、みんな本当に壊れてしまいます! 休息がなければ、心の方が先に死んでしまうわ!」
 灯は必死に声を上げたが、玄造の決意は岩のように固かった。
「壊れるのは、眠った時だ。起き続けていれば、少なくとも我々は『我々』でいられる。苦しみに耐えることこそが、我々に残された最後の尊厳だ。お前自身もだ、灯。お前がなぜ眠れるのか、その理由が判明するまで、お前もまた自宅での謹慎を命ずる」
 村の男たちが灯を取り囲み、彼女の鞄を強引に奪い取った。スケッチブックが地面に落ち、表紙が泥で汚れる。灯はそれを取り返そうとしたが、突き飛ばされて冷たい地面に這いつくばった。
 住民たちは、自分たちが昨日まで宝物のように扱っていた「紙の夢」を、次々と広場の焚き火の中に投げ込んでいった。紙が燃える匂いと共に、灯が描き出した穏やかな風景が、黒い灰となって霧の中に消えていく。
 灯は、燃える炎の中に、サワの子供の足元の絵が炭化していくのを見た。その時、彼女の胸の奥で、何かが鋭く弾けたような感覚があった。それは痛みというよりは、世界が音を立てて崩れていくような絶望感だった。